第166話 ミドガルズオルム

 砕けていく半球の重力場。

 流れ込む大量の海水により、あの空間の中にあったあらゆる環境が失われていく。

 その様子を、エクスキャリバーンは外側から眺めていた。


「これで、間違いなくこの惑星の生態系は変わるよ」


 と、狭かったコクピットから解放され、ブリッジにやってきたメグは呟く。

 それも当然だ。あの空間は、ウミサメカラスの繁殖地でもあったはずだ。それが失われた、ということは今すぐには影響は出ずとも、必ず大きな変化につながる。


「海流の様子は?」

「少なくとも、あの場所への侵入を阻もうとしていた激しい流れはなくなったよ。つまりは――」

「あの遺跡によって操作されていた海流がこの周辺にはあった。そういうことですか」


 海流にまで影響を及ぼす存在があの遺跡にはあった。

 だがそれも、失われた。

 何もかもが、大量の水に押し流されていく。圧力によって押しつぶされていく。


「それはそうと、だ。アッシュ。君は少し反省したまえ」

「……悪い」


 いつもの席に座り、アッシュは腕を組んだまま目を閉じて黙り込んでいる。

 シルルもそんな様子を察し、小言はいいつつも本気で怒鳴ったりするつもりはないようす。むしろ、心配している、といったほうがいい。

 それほどまでに、アッシュの様子はおかしかった。


「マコ、彼に尋ねるのは無理そうだからあえて君に聞くが、アッシュとウロボロスネストの首領と思われるあの女にはどういう関係が?」

「前に、アッシュがアクアティカ1に行った時があったでしょ。あの時に会っていた女――それが、ウロボロスネストの首領、アルビオンとか言われてたけど、アタシやアッシュにとってはアリアといったほうがなじみ深い、かな」


 マコも、少しばかり動揺はしているが、アッシュほどではない。

 当然と言えば当然で、旧知の仲であった人物が自分たちにとっては怨敵だったと知れば動揺もする。


「そういえばマコさんは、そのアリアとかいう人に対して結構なこと言ってましたよね」

「実際に会ってみればわかる。独占欲の塊。嫉妬深く、自分とアッシュ以外には一切興味を持たな――あれ?」


 そこでマコが、自分の発言に違和感を覚えたのか、言葉に詰まる。

 そしてそのまま少しばかり考えたあと、その違和感の正体に気付いてはっとする。


「そうだよ。なんでアイツ、ウロボロスネストなんてテロリストやってるんだ?」

「ちょっと待ってください。マコさん、わたし達にも理解できるように説明してください」

「アリアって女は、アッシュ以外の事に興味を持たない女なのに、なんでわざわざテロリストなんてやってるのかって話! 必要がないのに、あの女がそんなことをするはずがない」

「? つまり、ウロボロスネストとしての活動も、アッシュさんに何らかのメリットがあるから、ということかな?」


 と、メグが尋ねると、マコは頷いて肯定した。

 だがそれを聞いたアッシュは苛立ちを隠せず、コンソールに拳を叩きつけた。


「そのためになら、親父まで殺すのかよ……!」

「アッシュさん……」

「ッ!? こんな空気のところ申し訳ないのですが、さきほどの遺跡から何か巨大なものが浮上してきます!」

「何だって?」


 マリーの報告を受け、シルルとベルが即座に自身の席へと戻りコンソールを操作。状況の確認を行おうとするが、マリーが言った通りの情報しかわからない。

 電磁波による探知――反応なし。音響による探知――感あり。エーテルによる探知――水中のため不完全。重力場での干渉――確認。レーザーセンサーによる観測――可能。熱感知――不可。

 エクスキャリバーンに搭載されているありとあらゆるセンサーを駆使し、その存在が何であるかを割り出そうとする。

 だが、出てくる結果は、確かにそこに何かが存在しているが、電磁波を完全に吸収し、熱を一切外部へ放出しない何かが遺跡が壊れた後に現れた、ということだけ。

 しかも、その姿は音響センサー――ようするにソナーとレーザーセンサーによって朧気ではあるが割り出すことができた。


「なんだ、これは」

『クジラ、ですか?』


 各自が混乱する。それはまるでクジラのような姿をした何かである。

 だが、そんなものよりもはるかに巨大で、なんならエクスキャリバーンですら飲み込めるのではないかというほどの巨体が、海底を割って浮上してくる。


「衝突だけは回避しろ!」

「了解」


 とにかく、その巨体との接触は避けたい。質量ではどう考えても勝てない。

 ぶつかられた時点でエクスキャリバーンのシールドが強固とはいえ、それを貫通して水圧で潰されるか、そうでなくとも物理的に破壊されかねない。

 十分な距離をとろうと速度を上げて浮上を開始する。

 当然――浮かび上がってくる巨大物体の監視は続けつつ、だ。


「一体、どれだけの大きさなんだ……?」


 クジラのようだ、と形容していたものの全貌が、離れることでようやく見えてきた。

 いや、むしろ全貌が見えないからこそ確信できた、というべきか。

 クジラのように見えていたのはただの頭部。その後ろにまだ身体といえる部分が存在していた。

 そう。この巨体はクジラではなく――大蛇である。

 巨体をうねらせながら急上昇していく大蛇。


「ちょっと待った。アイツの進行ルート上って……」

「アクエリアスの艦体が集結してるポイントだ。とはいえ、エクスキャリバーンがこの場にいるのは拙い。衛星軌道上へ一旦ワープするぞ」

「できるのですか、シルル」

「奴等ができたんだ。私が設計したこのエクスキャリバーンができないわけがない」


 そう言うと、水中でありながらハイパースペースへのゲートを展開し、惑星アクエリアスの衛星軌道上から少し離れた宇宙空間と眼前の空間を直結させる。

 当然のように大量の海水が宇宙空間めがけて放出されるが、それと共にエクスキャリバーンもゲートをくぐり、宇宙空間へと一瞬で転移する。


「もはやなんでもアリだね、この艦」


 と、メグが言うが――実際、その通りである。縮退炉なんてものを搭載している以上、本気を出せばエネルギーを使って発生させることができる事ならば何でもできてしまうだろう。

 実際、さっき行った空間転移もそのひとつである。


「――えっと、皆さん。アレ、かなり拙いのではないですか?」


 そういってマリーが惑星アクエリアスの海を拡大したものをメインスクリーンに表示する。

 それは、先ほどまでいたポイントのほぼ真上。

 艦隊が集結している場所だ。そこのほぼリアルタイム映像。

 すると、その艦隊の真下から巨大な蛇の頭が出現。その際に大量に水しぶきを巻き上げる。――艦隊もろとも。


「ベルさん、アレどのくらいの大きさですか?」

「集結していた艦艇のうち、一番大きいのと比較して、今海面に出た部分だけでおよそ4000メートル。本体はもっと大きいから――もしかすると全身は世界中を覆っているのかも」

「世界を覆う蛇……ミドガルズオルムか」


 と、シルルは呟く。

 かつて地球で語られていた数多ある神話のうちのひとつに登場する世界を覆うほどの大蛇。

 確かに、その名を与えられるに相応しい巨体である。

 ふと、その蛇が動きを止めて口を大きく開いた。

 その口腔内は強烈な光を放ち、それが何であれ危険なものであることは察せられた。


「あれの攻撃目標は?」


 嫌な予感がする、とアッシュは誰でもいいから答えてくれ、と祈りつつ尋ねた。

 そのアッシュの顔に危機感を覚えたシルルはアニマに一言かけて演算を手伝ってもらい、その軌道を計算する。

 出た計算は複数パターンある。

 まずあの蛇が放とうとしているものがただのビームであった場合。ビームはほぼ直進するため、口の向いた砲口にあるいくつかのメガフロートが犠牲になる。だがそれを防ぐ手立てはない。というか、今からではどのみち間に合わない。

 では他の場合はどうだ。レーザー砲? そんな出力ならビームよりも大規模な破壊をもたらすだろう。

 陽電子砲なら――最悪だ。撃つだけで大気を汚染する上、射線上のあらゆる物体を消し飛ばしてしまう。


「出たぞ、アッシュ。2つに1つだ」

「1つは、メガフロートが犠牲になるこのままの姿勢だとして。もう1つは?」

「エクスキャリバーン。惑星上から、衛星軌道上付近にいるこの艦を認知し、超高出力のレーザー砲で狙撃しようとしている可能性だ」

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