第3話 タイムマシンに変わるもの

 令和三年というと、まだ世界的なパンデミックの最中であり、その後、どのような世の中になっていくのか、まったく想像もつかない時であった。

 とにかく、前年に流行り出した全世界を巻き込んだ伝染病。最初はどこも何も分からなかったので、とにかく、国内封鎖や都市封鎖などで、感染を抑えるしかないということであったが、議論はワクチンの問題となってきた。

 人流をいくら抑えようとも、感染は減るわけではない、一度は感染を抑えることができたとしても、その後にくる。再度の波に持ちこたえられなくなってくるだろう。

 そういえば、ある政治家だったか、コメンテイターだったかが、

「緊急事態宣言など出さずとも、一定の感染はあり得るとして、経済を回せばいい」

 と言っていた人がいた、

 その理由には、

「感染することで、その人には免疫がついて、感染から治った人が免疫を持つことで集団免疫ができて、最終的な感染爆発にはならない」

 と言っていたのを、当時は皆で、

「そんな危険なことができるはずなどない」

 と言って、皆で叩きまくっていたが、考えてみれば、その考えも一理あったのではないかと、令和三年の夏には感じる。

 確かに、徹底的な感染防止策や水際対策を行ったことでパンデミックを抑えることが当初はできていた国があった。

 全世界から、絶賛され、

「あの国を見本にすればいい」

 と言っていたが、変異株が入ってくると、それまで抑えきっていたウイルスが、一気に感染爆発して、想定外の状態になっていた。

 その国は、感染が当初大したこともなかったことで、ワクチン供給の優先順位は低くなっていた。

 そのために、抑えきることができないのだが、考えてみれば、これも、当初にほとんど感染者がいなかったことで、集団免疫はほとんどない状態で、感染爆発をすれば、ワクチンもない状態で、まるで他の国の一年前の状態になってしまったという例もある。だから、最初は笑っていて、皆で叩きまくった話が現実味を帯びてくることもあるのだ。

 これは、お話の終盤でも出てくることであるが、

「時代は時系列とともに流れていて、今まで正しいと思われていたことが、すぐにそれは悪いことだったとして情報が行きかうことになる。何が正しいのか分からなくなってしまうと、いよいよ混乱で何もできなくなってしまうのではないだろうか」

 ということになるだろう。

 そんな時代だったこともあって、医療に関しては研究者にとって敏感であった。

 この伝染病の問題があったために、医療体制はひっ迫し、伝染病患者だけではなく、一般の病気の人がまともに治療を受けられないという事態にもなっていた。

 救急車を呼んでもすぐに来てはくれない。

 来てくれて救急車に乗っても、受け入れ病院がなくて、救急車の中で十何時間という時間を過ごし、死んでしまう人も出てくる。

 本来なら普通に病院に運び、手術をすれば簡単に救えたはずの命である。

 だから、新型伝染病に関してだけの研究ではなく。従来の病気の特効薬であったり、治療薬の開発も予算のうちに盛り込まれた。

 こちらは厚生労働省が中心になって動いているが、こちらの予算も結構なものであった。さすがに命に直接かかわることなので、政府も了承しないと、次回の選挙で負ける可能性がある。政治家にとって、開発うんぬんは問題ではないのだ。いかに自分たちの政権を守れるかというだけしか考えていないからだ。

 それでも、大学病院などでは、いろいろな研究がなされていた。

 K大学でも当然のことながら、研究に邁進していた。医学部、薬学部と、それぞれ単独で持っている総合大学なので、別学部との交流も積極的だ。

 医学、薬学部関係から、河合研究所にも依頼があったが、彼らは密かな研究も手掛けていたので、ただ、それを公開することができない手前、やんわりと研究を手伝っているという感じであった。

 だが、そのうちに、山沖教授が、

「医学、薬学部関係に、全面的に協力するような体勢を取った方がいいかも知れないな」

 というようになっていた。

「どうしてですか?」

 と研究員が聞くと、

「これからはお互い様だということだよ」

 と言って、ほくそ笑んでいたが、その理由を研究員は分からないだけに、教授の笑顔が気持ち悪かった。

 そのことは研究員にも少ししてから分かるようになってきた。

 その頃から山沖教授は、研究員とは離れて一人で何かを検証しているようだった。研究というところまではいかないが、教授室に閉じこもり、何かの資料をネットで確認しているかと思うと、昔の資料を調べたり、図書館の資料室に引きこもったりという生活が数日続いていた、

 その状態が終わったかと思うと、山沖教授は研究員を集めて、会議を行った。

「今後の研究室での方針を少し話しておきたいと思う:

 と言って、会議が始まった、

「最近、大学の方が政府からの依頼を受けて、新型伝染病以外の医学の進歩に邁進してもらうように予算が組まれ、大学もその要請にこたえるということを決定したようだが、我々は違った側面から、この要請にこたえたいと思う。ある意味では、この要請に対しての我々の理論を実験してみようという試みである」

 と教授がいうと、

「それはどういう意味ですか?」

 と聞いた、

 山沖教授は新聞記者への記者会見などは実にうまいのだが、自分の研究に没頭することが多い研究所内での会議などでは、興奮が過ぎて、自分の言いたいことを整理できなかったり、あまりにも先を目指しているため、先を示すことが難しくなり、話が支離滅裂になってしまうので、研究員はしばし戸惑ってしまう。

 しかし、それもいつものことなので、さすがに最近は研究員も慣れてきた。そのおかげで、誰もが会議での教授に驚くことはなくなり、こうやって話を腰を折ったとしても、それは却って教授の混乱を和らげることになると皆分かっているので、こうやって話を遮ることも少なくないのだ。

 今回も同じことのようだが、

「実は、今私が、引きこもっていろいろ研究を続けているのはご存じのことと思うんだが、一番基本的に見ているのは、先代である河合教授が残した研究ノートなんだよ。そこには、実際の研究の詳細というよりも、河合教授が感じた疑問や、考えていたことが列挙されているんだ。それは一つの研究に没頭している時はまったく無意味なないようなんだが、企画という段階で見る分には、大いに参考になる。そういう意味では研究員の君たちにはあまり参考になるものではないのだが、私のように、詳細を詰める前の企画段階では、実に必要なものなんだ。しかも、企画段階では、他の研究や類似の発想などを参考文献から引用してきて、どこまで信憑性があるのかを確かめる必要がある。それが、最近の私だったわけだ」

 というのだ。

 研究員は何となく分かったが、実際の自分たちの研究に役立つことではないので、半分分かっている程度だった。

 さらに教授は、

「その時に、河合教授が残した研究ノートというものがあって、そこには、冷凍保存について書かれていた。それは、人間の冷凍保存という、まるでSF小説か、ホラー小説でも詠んでいるかのような発想なのだが、大真面目に書かれているんだ。その効果というよりも、目的がハッキリしていて、それが大学が依頼されたことに絡んでくるんだ。つまりは、今は不治の病で放っておくと、余命半年くらいの人を、冷凍保存して、不治の病の特効薬が見つかって、その効果が証明された時点で、眠りから覚ませば、その人は助かるのではないかという、それこそSF小説のような話なんだが、あくまでもノートに書かれているのは、その可能性についてというだけなんだ。あくまでも科学者としての好奇心とでもいうのか、冷静に考えれば、そんな簡単なことではないことは、一目瞭然だと言えるのではないかな?」

 と、言った。

「確かにそうですよね。もし、何十年後かに生き返ったとしても、その人の戸籍や年齢、家族との生活や、これからどうやって生きていくかなどの現実的なことを何も考えていないわけでしょう?」

 と研究員は言った。

「そうなんだ。あくまでも科学者のエゴを書いただけなんだが、それは、逆に開発してはいけないと言われるタイムマシンで、未来に行ったという発想と同じことになるんだよ。ただ、時間を超えたわけではなく、眠っていたということなんだけど、これって、本当にあり得ることなのかどうかだよね。実際に冷凍保存したという過去はないわけだし、果たして人間が冷凍保存に耐えられるかという問題もあるわけだ。何しろ人間ほど、弱い生き物はないわけだからね」

 と、教授は言った。

「じゃあ、このノートをどうして今になって出してきたんですか?」

 と言われた教授は、

「現在の感染症研究とは別に医療ひっ迫の観点から、これまでの病気をいかに治すかという研究を依頼されているんだが、私は、別の観点から、この問題に取り組もうかと思っているんだ」

 と答えた。

「それが、先代の室長が残したノートというわけですか?」

「ああ、そうなんだ。このまま他の人たちと同じように依頼されたことだけをやっていれば、いいというわけでもないような気がしてね。それで、先代のノートを見返していると、ここにある冷凍保存の研究について書かれていることに興味を持ってね」

「でも、教授は今言われたじゃないですか。この内容は好奇心だって」

「ああ、確かにそうなんだけど、これを先代が私に残したのは、いずれこういう時代が来た時に、私にこのノートを使って研究し、それで人類を救えるような研究ができあがればいいというつもりで残したのではないかと思ってね」

 と教授は言った。

 ただ、これは教授の勘違いであって、先代はそこまで深く考えていたわけではない。この研究を進めることができないので、断念せざる負えないけど、自分で持っていると、どうしても気がかりになるので、身近な人に預けておきたいということで、山沖教授に預けただけのことだった。

 河合教授というのは、そんな聖人君子のような人だったわけではなく、自分の手柄はしっかりと自分の手柄にしたいタイプの人で、ある意味、

「科学者らしい」

 と言える人であったのだ。

 そんなことをつゆほども知らない山沖教授だったが、いずれは自分の研究にしたいということで、あくまでもこのノートは参考にしかしていない。あまりこれを利用してしまうのは、自分の科学者としての精神が許さなかった。そういう意味では、二人の教授は似た者同士だと言ってもいいだろう。

 河合教授はそのことが分かっているのか、ノートに書いていることも、普通であれば分かりずらい書き方をしている。自分にしか分からないはずの言い回しが随所にあり、まるで虫に食われた古文書を解読しているかのようだった。

「そもそも俺は科学者であって、考古学者ではない」

 と思いながら、何とか解読しようと試みた。

 河合教授の性格を思い出そうとするのだが、なかなか思い出せるものでもない。そして当然、本人に聞きに行くなどもってのほかで、自分の科学者としてのプライドが許すはずもない。

 そういう意味も込めて、山沖教授に預けたのだろう。

 河合教授が山沖教授を買っていたのは事実だった。自分の研究者としての後継者だと思っていたが、実際にそうなった。運営に関しては苦手ではあるが、コミュ力などは研究室一であり、河合教授が知っている研究者の中でも、一、二を争うような感じであった。

「解読するのも難しいですよね。私も手伝いましょうか?」

 と言われたが、

「いや、ここは私だけで解読して、企画を立てることにしよう。研究員である君がここで関わってしまうと、話がややこしくなる。あくまでも、初動では、企画と開発は別でなければいけない」

 と、山沖教授は言った。

 これは、河合教授からの受け売りでもあって、さらに、自分の経験からも同じことを感じていて、あくまでも研究員は研究員としての立場をしっかりしている方が、研究に力が入る。なぜなら、ら、全体を知ってしまっていると、自分の部分を勝手に想像してしまい、もし勘違いでもしていたのであれば、そこから修正は難しいからである。下手をすれば、復帰ができないくらいのスランプに落ち込んでしまい、そのまま研究者としての寿命が終わってしまう可能性だって無きにしも非ずであった。

 研究員は、山沖教授に諭されて、渋々であるが、企画参画を諦めたのだった。

 山沖教授は、河合教授のノートを見て、最初に感じたのは、

「字が汚い」

 ということであった。

 これは前述のように、字を汚くすることで、暗号のようにしようという意思の表れだ。

 本来なら、暗号であることを悟れば、それ以降、何もしないかも知れないという実に甘い考えもあったが、あくまでも、最初から信じていないことだった。

 冷凍保存という考えは、SF小説などではよくあった。今やろうと完下手いる。

「不治の病の克服」

 という発想も今に始まったことではなく、過去にあったことであるというのは、事実である。

 しかも、この話は、山沖教授がまだ研究室では若手研究員だった頃、河合室長が食事に誘ってくれた時にしてくれたことがあった。あの頃はまだ山沖教授も、一介の研究員だったこともあって、教授の話を、半分、真面目に聞きながら、半分は夢物語のように訊いていた。

 それは、時系列とともに、最初は夢物語であったのだが、そのうちに真面目に聞こえるようになってきたからであって、それが、教授の劇場的な話し方に魅了されたからだったに違いない。

 最初は大人の冷静さを持って話していた教授を、

「さすがに、室長だけのことはある」

 と思っていた山沖だったが、次第に話をしている教授が自分の話の酔ってきたのか、まるで子供のように、まくし立てるような話し方になった。

 もちろん子供のようにと感じたのは、最初がさすがと思わせたからで、話は理路整然としていて、どちらかというと、早く相手に伝えてしまわないと、自分が話していて分からなくなってしまうほど、話がつながっているということだったのかも知れないと、山沖は感じたほどだった。

 だが、劇場型の話をする人間は、その傾向があるようで、相手を納得させる言い方は、これが一番効果的ではあるが、一つ間違えると、説得力はなくなってしまい、その後何を言っても、言い訳をしているとしか思えないと感じさせるに違いなかった。

 山沖は、その時、まだ若かったこともあり、さらに現場の責任者としての自覚も出てきたことで、教授がこの話をしてくれたのだと、意気に感じていたのは間違いないと思う。それを山沖自身が、

「自分は教授から認められている」

 という思いが、慢心になっているくらいの自信家であったことは、今でも感じていることだった。

「研究員というのは、自分を信じることから始まるんだよ」

 と、よく教授が言っていたが、それが自分の性格にマッチしていると、山沖は感じていたことだろう。

 山沖という男は、どちらかというと、ポジティブな方であった。何でもいいように解釈するところもあり、それが自分の中で、研究員としての活動に役立っていると思っている。そういう意味でも、

「研究者という仕事は天職なのかも知れないな」

 と感じていて、しかもそれを教授も認めてくれていると思うと、慢心しない方がおかしいかも知れない。

 もっとも、慢心というのが悪いのであれば、教授も山沖に対して、そこまでおだてたり、二人で呑みに行くなど、言い方は悪いが贔屓してくれることもないだろう。

 教授とすれば、後継者を育てるという意味で、

「目を掛けている」

 という意識なのかも知れないが、受けている方とすれば、

「贔屓してもらっている」

 という感情になっていたのだ。

 贔屓というと、不公平という言葉をどうしても連想してしまうが、それは、贔屓目という言葉のイメージが悪いだけで、決して贔屓することもされることも悪いとは思わない。

「おだてられて力を発揮するという人がいるが、それは本当のその人の力ではないのではないか?」

 という人もいるが、

「いやいや、おだてられて力を発揮するという人がいれば、それはそれでいいことではないか。人が人の力を引き出すということは、引き出す人も、引き出される人も、それだけ先に進んでいるんだから、それを認めないということは、まるで昭和の根性論や精神論、いわゆるスポーツ根性ものと呼ばれるマンガが流行った時代のようで、時代遅れではないかと思うんだよね」

 と、山沖は常々考えていた。

 この考え一つを取っても、自分がポジティブな人間だということを自覚しているのだと思っているのだった。

 研究者は慎重であるべきであるが、研究の進め方で、どこが力の入れどころなのかということを無意識に感じることができる人が、ある意味、ポジティブな思考を持ち合わせた人間なのではないかと思うのだった。

「私は冷凍保存についてなんだけど、これに注目したのは、タイムマシンというものの実効性に疑問を感じたからなんだよ。今もいろいろなところで研究がなされていると思うんだけど、どうしても、相対性理論の考え方から、タイムマシンでは未来には行けるけど、過去にはいくことができないというものだよね? 未来に行くには、ロケットなどの高速で移動するものに乗って、飛び出して戻ってくると、そこは数百年先だったなどという夢のような話だよな。だけど、君も知っているのではないかと思うのだが、今ある最高速の物体を使ってその中で一年以上過ごしたとしても、秒単位でしか時間の誤差は生れないんだ。それを考えるとb、それこそ、光の速度を超えるものでなければありえないということになる。そういう乗り物の開発はひょっとすると、未来においてはできるかも知れないが、ではそこで人間が果たして耐えることができるかということだよね。そのために、人口睡眠装置を使って、ロケットの中にいる間。ずっと眠っていたとしようか? 一体どうなるんだろうね?」

 と、教授はそこで一回話を切った。

「私は以前、その手の話で、少し怖い話をドラマで見たことがありました。数人で宇宙ロケットに乗りこみ、全員が一斉に睡眠装置で睡眠状態になるんですが、一人のクルーが目を覚ました時、他の人たちは何があったのか分からないけど、たぶん機械の故障だったんでしょうね。睡眠装置の蓋が開いてしまっていて、中を見ると、他のクルーが皆白骨化していたというものでした。そのドラマではつまり、自動睡眠装置お中では時間が進まない工夫がされていて、他の機械では、蓋が開いてしまったために、急速に時間が進み、骨になってしまったのではないかというものなんです」

 と、山沖の話を切った、

 すると教授が、

「ん? ちょっと待ってよ。その話でいくと、生き残った人も、蓋が開いて出てきたのだから、時間があっという間に進んでしまって、老化してしまっているんじゃないのか?」 

 というと、待ってましたとばかりに、山沖は言った。

「そう、その通りなんです。でも、時間が進むにしたがって、別に年を取っていくというわけではない。ロケットを点検していると、もうすぐ地球に帰る日が近づいていたんですよ。地球上では、理論的に、数百年が過ぎているはずでした。地球に降り立つと、そこにはすでに見たことがない光景が広がっていた。だけど、見たことのあるような人もいるんですよ。そこにいたのは、自分たちをロケットに乗せて打ち上げた研究員たちで、ビックリしたことに、白骨になっているはずの人たちも、生きてそこに存在していた。どういうことなのかと聞くと、自分たちが飛び立ったあとで、タイムマシンが完成し、実用化したという、実はロケットに乗って宇宙に飛び出したのは、タイムマシンが失敗した時の保険として飛び出したのであって、実は自分以外の人たちも、こっちの世界にタイムトラベルしていたのだ、同じ人間が同じところに存在できないという観点から、ロケットを遠隔操作して、タイムトラベルに成功した人間をロケットの中で抹殺したというわけなんだそうです。でも、逆にタイムトラベルに耐えられなかった自分は、タイムトラベルで白骨化してしまったので、ロケットに乗っている本人が生きているということになるんだそうです。つまり、タイムマシンも、ロケットによる移動も、どちらも保険だったということになるんですよ。恐ろしい話でしょう?」

 という山沖の話を訊いた教授は、一瞬背筋が寒くなったのか、ビクッと身体を動かしたのだった。

「いや、なかなか、ホラーなお話だね。でも、今の話は実際にもあり得ることなのかもしれないね。科学者というのは得てして保険を掛けるものだし、それが当たり前だと思っている。逆に保険も掛けずに研究するというのは、科学に対しての冒涜であり、科学を万能だと思うことも、してはいけないことではないかと言われているんだ。そういう意味ではその小説を書いた人は、よく科学者の心理を分かっている、小説家の頭の構造というのは、案外科学者の頭の構造に似ているのかも知れないな」

 と教授は言った。

「そうかも知れません。私もその小説を読んだ時、何か背筋に寒いものを感じましたからね。でも、本当にタイムマシンやロボットというのは、言われているように、開発してはいけないものなのでしょうか?」

 と山沖がいうと、

「そうかも知れないけども、そもそも、これらの発想は小説の世界から飛び出した発想だとも言えるんだよ。ロボット工学三原則もそうじゃないか。逆にいうと、小説家のような発想がなければ、科学者もできないということになるかも知れない。さっきも言ったように、保険を掛けるという発想が科学者にあるだけで、小説家というものはある意味、思ったことをいくらでも書ける。だけど実際の研究者はそうはいかない。下手なことを研究して、間違った方向に世界を導いてしまうことだってあるんだ。それを思うと、責任は重大だよね」

「でも、小説家もそうなんじゃないですか?」

「いや、小説家は、フィクションだと言えば、いくらでも書けるんじゃないかな? それを思うと、逆に怖い気がするんだけどね。でも、逆にその自由な発想が、研究者のヒントになることもある。そういう意味では思考回路が似ているというのも、、あながち間違いではないかも知れないな」

 と教授は言った。

「見終わった後、最終的に終わり方も中途半端だったので、いろいろ考えてみたんですが、やっぱり分からなかったですね」

 と山沖がいうと、

「それはそうだろうね、この手のドラマ、私はオカルトなのだと思うんだけど、こういう話は最後にぼかして、いかにその内容を視聴者に考えさせるかというものだと思うんだよ。特にこれが小説となると、たぶん、最後の数行であったり、一ページくらいの間で、何か大どんでん返しがあり、それが中途半端に煮えるのかも知れないんだけど、それが小説の醍醐味だと思うんだよ。もっとも、そんな小説が面白かったりするんだよね。特に今はそういう小説も多いしね」

 と教授は言った。

 なるほど、教授の言ったとおり、今から思えば、その手の小説の出版も、テレビドラマ化されるものもそのようなものが多かった。

 そういえば、テレビドラマ化されるものも、昔から比べると、結構変わってきた。

 昔はホームドラマや、刑事ものでも、一話完結で、人情ものなどが多かったけど、それが平成に入ると、

「トレンディドラマ」

 なるものが増えてきた。

 原作があるというよりも、脚本家がオリジナルで書く時代であり、そのノベライズ本が売れた時代でもあった。したがって有名脚本家が数名いて、どの脚本家が手掛けたドラマなのかということで、視聴率が大きく変わったりしたものだ。

 テーマも恋愛ものが多かったりした。いわゆるトレンディな世界である。

 それが終わると、少しドラマ関係はシリアス系統に入ってきたりしたが、次第にそれがいろいろあジャンルが増えてくることになった。

 その理由としては、原作が脚本家オリジナルであったり、小説であったりという従来の形から、現在の定番と言ってもいいような、マンガが原作のものが多くなった。

 マンガの映像化から始まり、その実写化が試みられるようになると、現在のように、ほとんどのドラマの原作が、連載漫画だったりするという現象になってきた。

 きっと、印刷物が減ってきたことにより、小説などの活字よりも、マンガのようにビジュアルで訴えるものが見やすいというのもあるが、今の若者は、

「二次元や二次元半、二。五次元」

 などという言葉があるくらいで、二次元半などというのは、

「平面の広がり」

 と解釈されているようだ。

 それだけ時間が経ってしまったということであろうが、山沖の若かりし頃は、そんな発想があるわけもなく、そもそも、テレビの時間帯も今とはかなり違っている。

 何しろ、テレビ離れをしていることで、今では、有料放送が主流になっている。ネットやスマホで映像が見れるようになって、叙実になってきていることだろう。

「お金を払って好きな番組を見る」

 そうすれば、民法で見たくもない番組ばかりが並んでいるゴールデンの時間、好きな放送が見れるのだから、いいことである。その番組が配信している番組であれば、何でも見れるのだから、お金を払ってでも見たい人もいるだろう。全体的にテレビ離れしているだけに、有料放送局も必死であろう。

 とにかく会員数を増やすことが大切であり。パソコンやスマホで見ている人にとっては、ありがたいのではないだろうか。

 本が、電子書籍になり、テレビが有料放送の配信になってきている昨今。時代の流れは本当に早いと言えるだろう。そういう意味で、ずっと、

「開発できないもの」

 があるという研究の世界は時間が止まっているのではないかと思われても仕方がないだろう。

 山沖教授のように、河合教授の提唱した、

「冷凍保存という考え方」

 が、いかにタイムマシンに変わるものとして実用化できるかということが、大きな問題だと言えるだろう。

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