第2話 開発してはいけないもの

 第一次世界大戦において、最初に出てきた大量殺りく兵器として、毒ガスがある。

 これは、本当に無差別であり、何が恐ろしいかというと、

「毒ガスが見えない兵器」

 だということである。

 散布されると、風に乗って、地表を縫うようにして忍び寄ってくる。上空に上がってしまっては意味がないので、基本は空気よりも重たいものである必要がある。元々毒ガスを開発した人は、それ以前に、

「空気中の窒素から、肥料になるアンモニアを取り出す」

 ということに成功し、それによって、全人類の三分の一が餓死してしまうと言われた食糧難から人類を救った人物だった。

「神と悪魔を同時に作った」

 と言ってもいい人だが、彼は毒ガス開発に最後まで後悔はないというころであった。

 毒ガスの場合も、生き残った人間に残る後遺症は、酷いものであった。そういう意味では、毒ガスや核兵器に限らず、戦争がもたらすものは、死ぬまで何らかの形でその人に残るものがあるということではないだろうか。

 第一次世界大戦というのは、いわゆる、「塹壕戦」と言われる、それによって、脚気などの後遺症に悩まされた人も無数にいて、死なずに帰国できた人も、何かしらの後遺症があったのは間違いないだろう。

 それはさらにたくさんの化学兵器が開発された第二次大戦においてもしかりであり、やはり戦争とは、メリットよりもデメリットの方がはるかに大きいと言えるのではないだろうか。

 そんな世界大戦の時代には、たくさんの、

「開発してはいけないもの」

 というものが作られた。

 だが、それ以降は、科学研究において、

「開発してはいけないもの:

 と考えられるものが現れた。

 戦争における兵器の場合には、明らかに見た目と、その実践においての効果で、開発してはいけなかったということが証明されているのだが、今の時代において、開発してはいけないものの代表として考えられるものは、

「今はまだ開発されているわけではなく、開発途上であり、その途中で、倫理的、あるいは論理的に考えて、開発が不可能ではないか?」

 と言われているものではないだろうか。

 それは、論理的に考えていくと、途中で矛盾や倫理的なところで、実際に開発してしまうと、人間に害を及ぼしたり、使うことで、世界を崩壊させてしまうかも知れないという科学的な論理が働くものだった。

 それも、一つではなく、二つだった。

 一つは、

「タイムマシンの研究」

 であり、もう一つは、

「ロボット開発」

 だということになっている。

 タイムマシンの開発には、開発のために論理的な発想の段階で、論理的な矛盾が生じてくるのだ。それを解決するために考えれば考えるほど、その矛盾が大きくなり、それによって、

「人類を破滅どころか、宇宙全体を崩壊させるとまで言われたパラドックスを指摘されている」

 と言われているのだ。

 パラドックスというのは逆説という意味で、どちらから見ても矛盾が発生し、何からせん階段のようになっているように考えられるのだ。

 パラドックスの一番典型的な例として、

「過去に戻って、歴史を変える」

 ということにある。

 よく言われるのは、

「親殺しのパラドックス」

 と言われるもので、過去に戻って、自分の親を殺すという発想から来ている。

 自分が生まれる前の親を殺すということであるが、何も殺すまでもなく、両親が出会うことがないようにしてしまえば、自分が生まれてくるということはない。

 もっといえば、ほんの少しでも歴史に関わるだけで、それ以降の歴史はすべてが狂ってしまう。次の瞬間には、まわりの数人が影響を受け、瞬間をいくつか超えるだけで、世の中すべてが変わってしまっているということも、理論的には可能であった。

 これがよく言われている、

「過去に戻って、過去の歴史を変えてしまうと、元の世界に戻ってきた時、自分が旅立った世界は存在していない」

 ということになる。

 昔の科学者の中には、

「タイムマシンを開発し、過去に行って歴史を変えてしまうと、その瞬間に、ビックバンが起こって、宇宙全体が吹っ飛ぶ」

 などと言っている人がいた。

 ただ、科学者の間において、アインシュタインの相対性理論というものを正しいと考えた時、

「未来に行くことは理論上可能であるが、過去に行くことは、机上の空論に過ぎない」

 と言われているようだ。

 時間というのは、高速で進むことで、普通に地球上にいるスピードと比べて、遅くなるという考えからいくと、高速で進むロケットで地球を発射し、戻ってくると、一年で地上ではどれだけの時間が経っているかということで、タイムマシンというよりも、

「未来に到達することができる」

 ということが理論的には可能だということである。

 ただ、その乗り物にどれだけ人間が耐えられるか、さらに、戻ってきた世界からは、二度といた世界に戻ることはできないなどという問題がいろいろあり、未来に地球に戻ってきたはいいが、肝心の地球がなくなっていたなどという最悪のケースがないわけではないだろう。

 未来に行くことは可能だとしても、これはあくまでも理論上ということであり、今の科学力では、達成までにはまだ、スタートラインにも立っていないと言ってもいいだろう。

 開発するには、人間にとって何らかのメリットがあり、それがデメリットよりも、はるかに低くなければ、開発の意味はないということを考えれば、

「タイムマシンというのは、開発してはいけないものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 もう一つの開発してはいけないものとして考えられているものでは、

「ロボット開発」

 というものがある。

 これは、理論的に無理があるタイムマシンと違い、まず前提となる部分を解決しなければいけないということで、タイムマシンに匹敵するくらいの、

「開発してはいけないもの」

 ということではないだろうか。

 そして、こちらは、理論的な問題に入る前に、倫理的な問題が大きく立ちふさがっていると言ってもいいだろう。

 ロボット開発において、大きな問題としてざっくりと言えば、二つの問題があると言えよう。

 一つは、

「フレーム問題」

 と言われるもので、もう一つは、

「フランケンシュタイン症候群」

 と呼ばれるものである。

 フレーム問題の方は、倫理的というよりも、理論的な問題と言えるかも知れないが、フランケンシュタイン症候群にも当てはまることだが、ロボットに必要な人工知能の問題となってくるのだった。

 人間がロボットに何かの命令をした場合、ロボットに限らずであるが、目的達成のための、ロジックを組み立てようとするだろう。その時にロボットは、次の瞬間に広がる無数の可能性の中から、正しい判断で選ぶべき行動を把握して、選択できるのだろうか? という問題である。

 目的達成のために少なくともいくつかは、選択が必要である。その瞬間がもし、一つの瞬間だけだったとしても、その時に行動する動きは一つではない。前に進んで何をを取っている場合に、最初に踏み出す足はどちらかであるかとか、目的物を手に取る時は、どちらの手なのか、あるいは両手なのか、など、目的に対しても一つではないのだ。

 しかし、人工知能は果たして、目的に対しての行動をちゃんと把握することができるのだろうか。つまりは、無数に存在している可能性の中から、

「これが目的達成のために関わってくる問題だ」

 と把握できるのかということだ、

 無数にある可能性なのだから、無数に考えてしまう。

「他にも可能性があるはずだ」

 と考えてしまうと、最初から一歩も動けなくなってしまうはずなのだ。

 それを克服するために、それぞれの行動をフレームのように、枠に当て嵌めて考えればいいという理屈になるのだが、元々無限な可能性なのだから、当て嵌めるためのフレームも無限に存在していることになるだろう。

 考えてみれば、無限からは、何で割ったとしても、回答は無限でしかないのだ。ゼロに何を掛けてもゼロになるという理屈と同じである。

 そうなると、フレームを作るという考えは一歩進んだのかも知れないが、これも解決するまでには無限のステップを踏まなければいけないということになる。

 これが、ロボット開発における、

「フレーム問題」

 というものだ。

 だが、もし、これが解決できるとすれば、それはやはり人間にしかないのではないかと思う。その証拠に人間は、その時々で、無限の可能性がある中から、無意識に的確な回答を求めることができているではないか。

 どうしてそれができるのかは謎でしかないが、それができるのだから、開発ができないとは言い切れないだろう。一縷の望みがあるとすれば、

「開発者が人間だ」

 ということになるであろう。

 さて、理論上の問題としてのフレーム問題とは別に、今度は、同じ人工知能に入れておかなければいけないものとして、「フランケン主体症候群」を解決させるという問題が大きいのだ。

 これは、アメリカのSF小説家が提唱した、

「ロボット工学三原則」

 に関係していることであるが、そもそもロボットというものは、フランケンシュタインという小説の中にあるような、危険を孕んでいるものでもあるのだ。

 フランケンシュタインというのは博士の名前で、その博士が、人間のためになる強靭で従順な人型の物体を作ろうとしたところ、理想的な身体を作ることには成功したが、頭脳の中で考える力が生まれてしまい、怪物を作ってしまったという話である。

 つまり、身体が強靭であればあるほど、ロボットには人間には抗えないという意識を組み込んだ電子頭脳を入れ込んでおく必要があるということであった。

 そこ考えられたのが、

「ロボット工学三原則」

 というものであるが、これは、あくまでも、SF小説の中のネタとして扱われていたものであるが、今でもとぼっと工学を研究している人にとっては、バイブルとされている。

 最初に提唱された小説に書かれている三原則というのは、その名の通り、三条まで存在しているが、そこには明確な優先順位が存在する。それは、矛盾をなくすという意味でつけられたものであるが、小説ではそれを提唱しておきながら、実はさらにそこにはいくつかの矛盾が存在し、ロボットがまるで人間のように悩んでしまって、行動ができなかったり、人間に危機が及んだら、本来であれば、ロボットは人間を救うために命を投げ出さなければいけないのに、それができなくなってしまったなどという、実によく考えられた話になっていた。

 ロボット工学三原則は、完全に倫理の発想である。

 ロボットというのはあくまでも、人間を補助するものであって、人間の利益を壊してはいけない。人間の生命に危機が及べば助けなければいけない。ただ、そこには、いろいろな矛盾が生じるため、優先順位が必要だ。

 だが、この優先順位がすべてにおいて人間のためになるかというと分からない、ロボット工学三原則の基準を壊さないようにして、さらに細分化した細かいマニュアルのようなものをロボットに組み込む必要があるのだろうか。そうなると、マニュアルに矛盾が生じた場合、ロボットがどうなるのかなどということを考えると、フレーム問題と同じように、アリ地獄状態に陥ってしまうことだろう。

 それを考えると、ロボット開発という問題も。

「開発してはいけないものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 ロボットという概念はSFや特撮、マンガなどでいろいろ書かれている、タイムマシンでも同じだが、それはあくまでも、開発された後のことであって、それも可能性の一つを題材にしているということであろうか?

 そんな、

「開発してはいけないもの」

 に変わる何かを考えないと、科学の世界は衰退していくだろう。

 そのために、何をどのように開発すればいいかということを、各国立大学では、その専門部を設立し、研究を重ねていた。

 中には一部の大学でもランダムに選ばれたところが、

「タイムマシン、ロボットの開発、あるいは、それに代わるものの開発を研究する部署の設立」

 と国が義務化したわけではないが、特に研究に成功すれば、研究費は国が全額負担をするということで、いろいろな私立大学に研究を依頼した。

 大学によっては、

「今でも経営が苦しいのに、開発費用を捻出できない」

 ということで辞退したところもあったが、半分近くの私立大学では、この試みに賛同し、理学、工学、物理学系の学部が、研究室を創設するのであった。

 前述のK大学で、歴史研究が大っぴらに研究されていたが、密かに国が推奨する、

「開発できないものに変わる研究」

 が行われていた。

 こちらは、歴史研究よりも、時代は古く、昭和の終盤から考えられていたもので、世界的にも、タイムマシンやロボットに変わるものの研究がほとんど表に出ていなかった時代のことである。

 その時代はバブル経済の時代でもあり、開発が不可能かも知れないことに、お金を使うことも否めない時代だっただけに、密かにであっても、結構踏み込んだ研究もできた。

 その時の最初からその研究に携わっていた人が、河合教授という人で、今はもう七十歳になっていることもあって、引退していて、それを後任の山沖教授に任せて、隠居状態だと言ってもいいだろう。

 河合教授が残した資料が、弟子であった山沖教授に託されて、さらなる研究が行われていた。

 河合教授の残した資料はあくまでも、構想までで、実際に研究がなされたわけではなく、理論の問題だけであった。

 昭和の時代と違い、平成に入ってからバブルが弾けると、研究費もほとんどがカットされ、一時期は普通の研究ですら進めることができないくらいになってしまい、二進も三進もいかなくなってしまっていたのだ。

 そんな時代を乗り越えて、二十一世紀になると、研究がまた進められるようになった。その頃に、河合教授は研究室の責任者になっていた。

 研究費用を昔のように使えないということもあり、かつての理論を封印せざるおえなくなった。あの頃は、何とか細々と研究をしながら、

「開発してはいけないものに変わるもの」

 の研究をしていた。

 時代は、それから少しして、リーマンショックなどがあり、またしても不況に追い込まれたが、研究に関しては、それまでと変わらず、少々の予算は組まれていたのだ。

 それだけ、政府の中での文部科学省も、この研究に力を入れていたということであろうか。それとも、

「今までのように、ダラダラして結果が出ないよりも、一気に勝負を決めて、ダメならダメでスッパリ諦めるという方がいいのかも知れない」

 ということで、積極的な開発に舵を切ったのではないだろうか。

 そう思うと、河合研究所でも、大っぴらには他の研究室の手前できないので、密かに研究を続けることになっていた。その頃はまだ、国立大学に対して研究を義務化するなどという考えのない時期だったのだ。

 それが、義務化されるようになったのは、一度政府が下野したこともあり、再度政権が戻った時の文部科学省は、

「ズルズルではいけない」

 という思いがさらに強くなり、国立大学に対し、義務化することで、それを、全面に押し出し、内閣の方針の中の、科学研究部門での中枢研究として、内閣の所信表明でも明言されたのであった。

 K大学は元々密かにだったので、今もその方針は変わっていない。そういう意味では、

「K大学というところは、歴史研究においては、一流だけど、他に関してはなかなかパッとしない大学だ」

 と言われるようになっていたのだ。

 しかし、研究を重ねてはきたのだが、なかなかパッとするものは生れてこなかった。

 彼らはまず、

「開発してはならない」

 と言われているものをどうして開発してはいけないのかということを、徹底的に研究した。

 あくまでも、

「開発してはいけないもの」

 ということでの、理論的な論文は発表され、その論文が物議をかもしたことで、全世界的に、

「開発を基本的にはしてはいけない」

 という法律を作る国すらあった。

 だが国際法で明記されているわけでもないし、国連での決定でもない。あくまでも、世界的な科学者を分科会とした研究チームに対して、国連がその研究の成果を認め、

「開発してはいけないと言われているものに変わるもの」

 ということで研究が勧められることになった。

 もちろん、諸国の中には、実際にタイムマシンやロボット研究を続けているところもある。ただ、ロボットもタイムマシンも、世界的に認可が下りるまでには相当な研究結果が出なければ、開発したことにはならないということになった。

 勝手に製造したりすれば、その時点で罪となり、研究者としての名誉も何もかもはく奪され、下手をすれば、有罪となり、服役もあるくらいの厳しさであった。

 それだけ、先人の著わした、

「開発してはならないもの」

 という論文は説得力があったのだ。

 日本でも、国連に遵守していた。

 そもそも日本という国は、国際的には独自で活動することのできない弱い国であり、大国の傘の下にいなければ、平和が守れないという国であるため、他のことに関しても、他の国の傘に入り、半分属国化しているのは、ずっと続いてきたことであったが、最近では、それがさらに明確になっていき、それが日本という国を亡ぼす最初のきっかけであったに違いない。

 戦後の復興は見事であったが、それもタイミングのよさ、立地的な問題。そして、超大国に隷属したようなひ弱な国家が、まるで寄生虫のように生き残ってきた結果であり、それをいまさらどうこういうのは、本当に、

「いまさら」

 であるが、有事の際にその弱さを一気に露呈したのだった。

 河合研究室では、河合教授が引退した時というのが、今から十数年前、密かに研究を行い始めてから、落ち着いてきた頃だっただろうか。

 室長は、当時、五十歳の別の教授が引き受けることになったが、いかにも密かな研究室の室長らしく、あまり表に出ることを嫌い、人と話せるだけのコミュ力が皆無に近い人だった。

 そのため、若い人たちが支えることになったのだが、当時三十歳前半だった山沖氏が、まだ助教授であったが、実質的なリーダーとなって、研究室を支えてきたのだった。

「山沖先生は、室長に比べて、実行力もコミュ力もあるので、研究員のリーダーとしても、スポークスマンとしての、発表なども、実にうまくこなしている。他から見れば、誰が室長なのか分からないくらいなのかも知れないな」

 と、大学教授会でウワサになっていた。

 そういう意味で、山沖助教授が教授になったのは、異例の速さであった。室長はさすがにまだ任せられないということだったが、実質的な室長と言ってもいいだろう。むしろ、他の人に室長を任せておいて、自由に山沖教授が動ける方がいいというのが、大方の意見であった。

「山沖教授はいいよな。責任はすべて室長に取らせればいいんだからな」

 とやっかんでいる他の教授もいたようだが、それ以上に山沖教授の実力派本当にすごいものであった。

 他の研究では第一人者としての地位を不動のものにしており、自他ともに認める、

「時代の風雲児」

 と言ってもいいかも知れない。

 そんな山沖教授は、生まれた時代にも合っていたのか、もう少し遅かったり速かったりすれば、彼の実力は埋もれてしまっていたかも知れない。

 彼と同じ研究に勤めている人たちは、皆そう感じていただろう。

 山沖教授の師匠が河合教授であれば、河合教授を知らない若い研究員は、河合教授がどんな人だったのかと気にしているようだった。

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