38,適材適所



 パリンっ!


 広い厨房の中で、薄いガラスの割れる音が鳴り響いた。

 元は芸術作のように衣装の凝らしたデザインが施してあった美しいグラスは、完膚なきまでに粉々に床で姿を変えていた。

 そんな哀れなグラスの前で顔色を失なわれていくのがわかる。ついでに眉の形がハの字に下がっていくのも。


「ご、ごめんなさい!」

「あらら、怪我はありませんか?」

「私はなんとも……でもコップが割れてしまって……!」

「こちらで片付けておきますから大丈夫ですよ。さあ、そろそろ一休みの時間ですよ」


 サルビアさんの優しい言葉が身に染みる。

 優しく肩に置かれた手で、自分がいかに力んでいたのか自覚した。そうよね、こんな繊細なコップ一つ運ぶのにガチガチになっていたら落とすわよね……。


 今私とサルビアさんがいるのは、屋敷の厨房の中だった。

 魔法のように一瞬で片づけられたコップは、綺麗にまとめられて袋の中へ。


「(はー……流石侍女頭のサルビアさんだわ、見習わなくちゃ……いいえ、おこがましいかしら)」


 後から聞いた話だが、この屋敷に来た日に私の軋んだ髪を優しく洗ってくれたサルビアさんはこの屋敷の中でも特に頼られている侍女頭だった。

 コーラリウム国でいうバードット夫人的立ち位置だろう。


「ペルラさんはお部屋でおやすみ下さい、また夕食前にお声がけしますね」

「はい、わかりました……」


 これ以上ここにいたら流石のサルビアさんに迷惑をかけるだろう。

 そう判断した私は自室に行くしか選択肢はなかった。


 道中頭の中に思い浮かぶのは、例のお使いの事ばかりだ。

 結局品物は無事に届けられたもの、セレンディッド様との約束を破って寄り道をした私は、なんとなく自ら町に行きたいと言い出し辛くなってしまった。


 せめて別の手伝いを、と申し出てみた結果がサルビアさんのお手伝い。でも結果は出るどころか、むしろマイナスだ。


「はぁ……」


 思わずため息が零れる。

 宮殿暮らしで蝶よ花よと箱入り娘に育てられた私は、家事をするような立場でないかった。こんな生活があるとわかっていたら、せめて人並みに家事ができるくらいの手伝いをすべきだった。今となっては後の祭りだけれど。

 なので手伝おうにも慣れないことばかりで失敗を繰り返すばかりだった。


 最近では歩くことにも慣れ、今となっては軽く駆け足が出来る程度まで成長を遂げた。

だが私の最終目的はセレンディッド様の籠絡。〝あの子〟を探しつつ、ここにしがみつくしか無い。


「(置いてもらう代わりにお手伝いを、と言ったものの……。これでは逆に申し訳ないわ)」


 あのおつかい作戦大失敗の日から、たびたびサラ様が私の部屋を訪れるようになった。「もう歩けるようになったのでしょう? いつまでも部屋に引き籠もっているのも体によろしくないわ、少しは外に出て働いてみてもいいんじゃないかしら? ああ……おつかい一つまともに出来ないんだったわね、働く能力がないというのも考えものだわ、早くこの屋敷から出て自分の人生を全うするという責任を負ったらいかがかしら」と、煽ってくる始末。


「(私だって目的を果たしたらさっさと出て行くわよ!)」


 だから貴女の婚約者をちょっと誘惑させてください。と、言ってやろうかと思ったくらいだ。あの女、いけ好かん。お互い様だろうけど。


 本音を言えば、もう一度お使いのチャンスが欲しい。何か物を破壊するのであれば、今度こそ寄り道をしないから買い物をした方がまだ役に立つのではないだろうか。

 と、少し低めの自己評価をすると腕を摩った。


「(……私を襲ってきた人達、いったい何者だったのかしら……)」


 まるで私の声が武器だとわかっていたような口ぶりだった。

 結局あの男達はセレンディッド様達が警察に突き出したらしいけれど、正体は教えてもらえないままだった。

 自分でなんだったのか解決を目論もうと思ったが、なんせ非力すぎる。


 もしあの時、セレンディッド様達がいなかったら……と考えると、悪寒が走る。

 それは、昔自分に向けてボーガンを放った人間たちに植えつけられた恐怖とよく似たものだ。


 あ、嫌だわ、メンタル的にまいっているのかしら。


 気分が落ち込んだまま自室に繋がる長い道のりを、トボトボを歩く。

 ようやく見えてきた自室の扉を開けると、思いがけない人物がソファーに座って本を読んでいた。


「セレンディッド様! いかがなさいましたか?」

「ああ、戻ったのか」


 おや、と頭を捻る。

 

 確か彼の今日のスケジュールは、サラと一緒に外出をする予定だったはず。昨晩氷菓を食べさせて貰いながら、教えて貰ったから確かなはず。


「愛しい我が婚約者殿は買い物をするだけしたら満足したようでな。早めに解散になったんだ」

「そう、いうものなのですか?」


 そんなに婚約者をずさんに扱っていい物なのかしら。私自身婚約者なんていたこともないからわからないけど、あんまりいいことではないような気がする。

 ……胸がモヤモヤするのはここまで歩いてきた疲労だ、そうに違いない。


「まずは防犯グッズでも渡そうかと思ってな」

「防犯グッズ?」


 頭を少し掲げ、セレンディッド様の懐からいくつかのグッズを取り出すの目視する。


「これは不審者を見たときに鳴らす笛。こっちは催涙スプレー。 こっちはとりもちだ。安心していいぞ、ルネスの商会の商品だからな、品質は確かなものだ 」

「は、はは……ありがとうございます……」


 さわやかに笑うセレンディッド様が怖い。 なんだろう、この「次出歩くときに寄り道したらどうなるかわかっているだろうな」という圧は。


「冗談はさておき、そろそろ休憩に入るかと思って待っていたんだ」

「(絶対冗談じゃないわね……)いかがなさいましたか? 肩でも揉みましょうか?」


 肩揉みなら父上の肩をよく揉んでいたので、多少なりとも自信がある。

 何回かセレンディッド様に披露していたが、最初の数回だけで最近ではすっかりその特技も陰に隠れている。


「肩揉みはまたの機会に頼む。少し出かけるのに付き合ってくれないか」


 喜んで! と返事をする前に、視界が普段より高くなっていた。

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