36,迷子予備軍


 受け身なんて取れるはずもなく、私の体は地面に一直線。顔から落ちていかなかったのが不幸中の幸いかしら。


 ベシャリ、と間抜けな音を立て、地面と熱い抱擁を交わすこととなった。


「(姫様‼)」

「(大丈夫よ、隠れていなさい)」


 自らの体で陰を作り、ドロシーを物陰に追いやった。




「折角セレンがこの地をより良くしようと毎日頑張ってるんだよ? なのにそれを踏み荒らすような真似してさぁ…….



空気読みなよ」


 突如現れた声には聞く覚えがあった。きっと助けに入ってくれたのだろう。

 誰かと確認したいが、なんせ逆光。目が潰れそうだ。


「クソッ‼ なんだよ、お前‼」

「ただのしがない商人さ」

「あ」


 太陽の光に照らされた明るい金髪、どこか飄々とした物言い。

 ルネス様だ。


 セレンディッド様やダミアン様に比べると華奢な腕が、先ほどまで私を捕らえていた男の首を掴んでいる。


「な、なぜここにルネス様が……?」

「商談帰りにちょっと市場を覗いていたら、路地裏が騒がしかったからさ。大丈夫?」

「はい、ありがとうございます……」

「怖かったよね、もう大丈夫だよ! こんな奴ら、さっさと警備の人間に突き出してやるから!」


 こんな暗がりの中でも、ルネス様の髪は美しく眩しい。

 いつもと変わらない調子の知り合いに会って、少しだけ安心感を感じる。


「なんだよ‼ 話が全然違うじゃねーか‼」

「話ってなんだよ。誰かに依頼でもされたワケ?」

「なっ……テメェには関係ねェよ‼」


 ルネス様と粗暴な男のやり取りを聞いて、思わず後ずさる。

 まだ乱れる呼吸を整えながら、まだ呪いを受けたまま固まる男を睨みつけた。

 ルネス様に捕まっている男と、ひったくりの男はきっと仲間なのだろう。


 いいや、それよりもっと問題なことがある。


「(さっき、私の口を塞げばこっちのものって言っていた……わね……?)」


 まるで私の声が危険物とわかっていたかのように――




「――ルネス、ご苦労だったな」

「おっ! 保護者が到着!」

「(ゲッ‼)」


 な、ななななんでセレンディッド様とダミアン様がここに⁉

 生ゴミ庫の横でドロシーまでもキョドっているのが見える。


 裏路地の向こうから太陽を背負って現れた二つの影は、この数日間で随分と見慣れたものだ。これだけ距離が開いていても誰だかはっきりと判断がつく。


「な、なんでこんなところに領主が……」

「なに、たまたま朝の散歩していただけだ」

「何がたまたまだ……」


 セレンディッド様の隣で頭を抑えるダミアン様の顔には疲労が色濃く伺える。

 なぜこんな路地裏にお三方がいるのか疑問が浮かぶ。

 とりあえずドロシーを向こうに追いやって正解だったわ。


「くそッ‼」

「あっ」


 予期せぬ人物たちの登場にホッとしていた。それがいけなかった。

 捕らえられていた男の一人が、ルネス様の手を振りほどいたのだ。そしてあろうことか、反対側に走り出す。


 そこまでは俊敏に動いていたのだけれど。


「何処へ行く」

「ぶばっ」

「(足ってあんな使い方もあるのね)」


 自分の置かれている状況にもかかわらず、感心してしまった。スローモーションで倒れる男を見送りながら地面にへたり込む。

 顔面から落ちたけど、大丈夫かしら。


「セレンディッド様の足は器用なのですね。あんな簡単に男の足を絡めとってしまうなんて。

 まるでタコみたい」

「ぶふっ……‼ タ、タコ……‼」

「……」

「(なにかまた変なことを言ったかしら)」


 ルネス様が吹き出し、ダミアン様が後ろを向いてしまった。

 もう私はこれ以上余計なことを言わない方がよさそうね。ただでさえ寄り道がバレてしまったんだもの、怒られる要素は少ないに越したことないわよ。


「…………ルネスは仕事の帰りだったのか」

「うん、商談が早めにまとまったからさぁ、セレンのところに行こうとしたんだよね。

 そしたら裏路地からもめる声が聞こえてさ! 何かと思ってびっくりしたよー!

 さ、ペルラ。立てる?」

「あ、ありがとうございます……」


 差し出された手を素直に取ると、ゆっくり立ち上がった。足が震えるのはきっと走ったからね。

 そうよ、後ろから聞こえる砂を踏みつける音が怖いとか、決してそんなんじゃ……!


「ペルラ、屋敷を出るとき俺がなんと言ったか覚えているか?」

「寄り道をするな、と……」

「そうだな。ここは屋敷と反対方向だが、道に迷ったか?」

「ごめんなさい。誘惑に負けました」


 はい降参。


 だって全面的に私が悪いもの、怒られるのなんて子供でもわかるわ。

 しょんぼり頭をうなだれた。どんなお叱りを受けてもしょうがない。肩を落として反省の言葉を続けようとすると、頭にあの暑い手が置かれた。


「これに懲りたらもう寄り道はしないことだな。俺たちが見張っていなかったらどうなっていたことか」

「……見張っていた? ほどたまたま散歩していたとおっしゃっていませんでしたか」

「…………」

「まさかずっとついていたのですか⁉」

「まあまあ、ペルラ。そんなにセレンを責めてやるな。

 屋敷を出たときからずっと心配していたんだぞ」


 そういえば……。

 遙か昔、自分が今より随分と幼い頃の出来事を思い出した。


 子供……それこそ陸に遊びに行くよりもう少し昔だ。

 まだ好奇心が旺盛だった自分は、城下に一人で買い物に行ってみたいと言い出して小銭を握りしめて街に繰り出したことがあった。


 緊張でお金を握り締める手に汗をかいていたのだって覚えているわ。

 前日まで穴が開くほど見つめた地図を、必死になって頭の中に思い浮かべていた。でも緊張している子供が急に完璧なおつかいを遂行できるはずもなく、途中で迷子になってしまった。


 もう泣き出す一歩手前だったわ。

 なんなら周りの店の人達もオロオロしていた。そうよね、だって王女が往来で、それも一人で泣きそうになっているなんて。


 もうだめかも知れない、誰かに頼ってお城に連絡を入れて貰うと考えたところだったわ。

 なんと影から父が出てきたのだ。


『おお、やはり迷子になってしまったか』

『ち、父上……』

『心配してついてきたかいがあったというものじゃ。ほれ、父と一緒に買い物行こう』


 そして父に手を引かれて買い物、無事成功させたというどこにでもある、可愛らしいエピソードだ。


 そう幼い頃のエピソード。

 家族が集まれば「あ、昔こんなことあったわよね」と笑い話に出来る感じの。


 つまり今回、セレンディッド様は、私のはじめてのおつかいについて来ていた。

 幼児と同じ扱いされていると言う事実に気が付き、愕然とする。


「私は子供じゃありません‼」

「ほう、寄り道をしたのにか」

「ンギィ……! そ、それとこれとは別です!」

「言い訳は後でどれだけでも聞いてやる。ダミアン、ペルラを屋敷まで送ってくれ」

「はいよ」

「あっ! ちょっと!」

「はいはい、屋敷でゆっくり休もうなー」


 もう! 私は荷物でも何でもないのに‼

 肩に軽く担がれ、あっという間に薄暗い路地から連れ去られてしまうのだった。


 私とダミアン様、そして隠れながらコッソリ私達の後ろをついてきたドロシーが立ち去れば、そこに残っているのは地面に沈んだ男と私の呪いがかかったままの男だった。

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