34,ミッションコンプリート
「すごい、これが人間……」
「圧倒される力強さですね……」
一つ一つの小さな命が、こうして生活を営んでいるのか
人間の世界の一面に眩しさと感動を覚える。
そんな私の背中を、ドロシーが翼で突いた。
「ほら、姫様! 見てしまうのもわかりますけど、おつかいを成功させなきゃいけないんですよ!」
「そ、そうだったわ」
感動してこのまま帰ってしまっては本末転倒である。
ドロシーにせっつかされて、カバンに閉まっていたメモを慌てて取り出した。
「店はどこですか?」
「えっと、ここから近いみたいね。
あ、あの店かしら!」
セレンディッド様の手によって丁寧に描かれた地図には、店の色の構えや売っているものの特徴まで細やかに描かれていた。
少し店から離れたところまで行くと、その特徴を1つずつ照らし合わせて行く。
「間違いないわね。ここの店だわ!」
「私は少し離れたところから見守っております!」
「そうね。喋る鳥は人間の世界にもいないもの」
何せ人間として、この人だかりの中に溶け込まなくてはなくてはならないのだ。
ドロシーが建物の陰に隠れたのを確認すると、緊張した足取りで、ゆっくり店頭に近づいていく。
「こんにちは」
「こんにちは。今日は何をお求めかね?」
「本日はセレンディッド様のつかいで参りました。先日注文したペンのインクが届いたと」
「インク……ああ、あれのことだね! すぐに持ってくるよ、待っていてくれ」
どうやら話はすぐに伝わったらしい。これならすぐに任務は遂行できそうだ。
ほっと胸を撫で下ろしていると、目的のものはすぐにやってきた。
「これだね。代金はもういただいているよ。領主様によろしくと伝えておいてくれ」
「分りました。ありがとうございます」
少しだけ重みのある紙袋を受け取ると、割れないようにハンカチを下にしていそいそとカバンの中にしまった。
店主に見送られながら店を後にすると、歓喜で体が震えてきた。
「(やった……やったわ……‼)」
とうとう地上での買い物に成功したのだ。
厳密に言えば、お金のやりとりは発生していないが、あの屋敷以外の人間に声をかけ、コミュニケーションを取り、物を受け取るという偉大なことをやり遂げたのだ!
店から離れてよろよろ歩いていると、木にとまっていたドロシーの下までやってきた。
「(姫様‼ おめでとうございます‼)」
「(ありがとう、でも当然のことよ)」
ふっふっふっ……!
地上の店に入っただなんて、宰相が知ったら飛び上がるでしょうね! 帰ったらこの体験を施肥とも聞かせてあげたいわ!
「(さぁ、目的も達成しましたし、早く屋敷に戻りましょう!)」
「(ねえドロシー? この市場がどうなってるか、気にならない?)」
「え」
間抜けな声を出したドロシーに向かって、ニタリと笑ってやった。
「だって頑張っておつかいを成功させたのよ? 少しくらいご褒美があってもいいじゃない!」
「(ダメですよ! よく言うじゃないですか、遠足だって家に帰るまでが遠足だって!)」
「これは遠足なんかじゃないもの、いいでしょ!」
「(まずいですって、領主様に怒られますよ!)」
「バレやしないわよ」
海の中に引きこもっていた頃の自分が見たら、飛び上がるだろう。
公の場で大声を出して反論できないドロシーを宥めると、帽子を深くかぶりなおして自由になったその足でゆっくりと市場の奥へと足を踏み入れたのだ。
「あーあ……これは言い訳できないほどの寄り道だな。どうすんだよ、セレン」
「想定の範囲内だ」
「それでここまでついてきたのか……」
「あらっ! 領主様! こんなところでなにをなさっているんです?」
「なに、少し街の様子を視察しているだけだ。もうすぐ祭も近い、準備の進捗を確認しているだけだ」
「(俺らって立場が無かったら完全に不審者なんだよなあ……)」
止めるドロシーを振り切った甲斐があったわ。
「わあ、これはなんの紐かしら?」
「これは花の染料を使って染め上げた髪紐さ!」
「このいい香りがする袋はなにかしら?」
「これはサシェって言ってね。中に香料や乾燥させた花、ハーブが入っているんだよ」
「まあ綺麗! ランプの1種かしら?」
「これは東洋の模様を描いた、ステンドグラスさ!」
「初めて見る食べ物だわ!」
「おや、パイナップルは初めてかい? ひと口どうぞ」
「綺麗な服!」
「これはフィッシュテールのワンピースさ! 着るだけでまるで人魚のようになれるよ!」
美味しい食べ物に、色とりどりの装飾品、海の中では考えられないような服に甘くとろけるような芳しい香り。
「(なんて楽しいの!)」
ここが楽園? 今まで楽しくて癒しのあるところは自室のベッドだけだったのに!
市場で貰ったパイナップルをかじりながら、近くのベンチに腰を下ろした。
行き交う人々を眺めながら、口いっぱいに広がる果汁に舌鼓を打つ。
「(この街のどこかに、もしかしたら〝あの子〟がいるのかしら)」
何気なく住民たちの髪色が目に留まって、パイナップルを食べる手が遅くなった。
セレンディッド様から何も教えてもらえないということは、あの方の所にも情報が入ってきていないということかしら。
それとも〝あの子〟は既に屋敷を出て行ってしまって、別の場所に住んでいるとか?
だとすると、この街に住んでいるのかしら……え、それだったら探しようがないじゃない。
ネガティブな黒い感情が頭をよぎって気持ち悪い。
大きく頭を振ると、残っていたパイナップルを口の中に放り込んだ。
「(弱気になっちゃだめよ‼
〝あの子〟だけじゃないわ、海のみんなにもこの楽しい世界を見せてあげなきゃいけないのよ!)」
父上から貰ったこの人間になる薬だって、そうバカスカと量産できるものじゃない。
それにこんなに早く領主であるセレンディッド様に接触できたのだって、奇跡なのだ。やるしかねェ。
パイナップルの入っていた容器を小さく畳んでいると、懐かしい単語が耳をかすめた。
「アラーレ! アラーレはいかが? ノーブルグラース名物だよー!」
「忘れていたわ」
父の目的は、便宜上だけで言うと人間と人魚の交流を図ることだった。
しかし蓋を開けてみれば、ただ美味しいと叫んでいたアラーレを腹いっぱい食べたいだけという、とんでも理由。
……一応見ておきましょうか。
「(ふうん……結構人がいるのね)」
少し疲れてきた足で屋台に近づくと、香ばしい匂いが漂ってくる。
なるほど父上と宰相はこの匂いにやられたのか。
なお、こちらは完全に父の私情なので、優先順は最底辺に等しい。
路地裏を通り過ぎてあと数は歩けば辿り着ける。
ただ通り過ぎれば、いいだけだったのに。
「(ん?)」
何か黒いものが路地裏に落ちている。
一歩バックして覗き込んでみると、黒い物は人間のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます