30,負けない
部屋の中に備え付けられた、一人で使うには大きすぎるソファー。思うんだけれど、二人で使うにしても大きすぎるのよね。
ジュースは冷たく、とろっとした舌触りがやみつきになりそう。クッキー、と言って置かれたお菓子は、何かの芸術品かと見間違うほど精巧な造りで食べてしまうのが勿体ないくらい。
そんな綺麗な食べ物達を、ルネス様は次々とその口の中に放り込んでいく。
「僕的には、もっとペルラと話をしたいんだけどさ。
ずっとセレンに絡まれるじゃん? だから近寄りたくても近寄れないんだよねー」
「ずっと、というわけではありませんわ。セレンディッド様はお忙しい方ですもの、部屋が隣と言うだけなので朝と夜に顔を見せてくださる程度ですわ」
「それが……ああ、いや、うん、まあいいや……」
わ、このクッキーというお菓子、美味しいわ!
見た目も可愛いし、コーラリウム国に持って帰ったらきっと皆喜ぶに違いないわ。その前にドロシーにも食べさせてあげたいわね……。
ルネス様が何か言葉を濁していたけど、目の前のお菓子に夢中だった私は深く掘り下げなかった。
「あの堅物をドロドロにさせるのはペルラだけだよ」
「堅物? セレンディッド様のことですか?」
「うん。屋敷内でも噂になってるんだよ、このままサラ嬢じゃなくて、ペルラを娶るんじゃないかって」
「えっ」
愛の籠絡に来た身としては大変ありがたい。
それはそれで嬉しいけど……。なんというか、そうなったら私は本物の横恋慕をする女だ。本当にそれが現実になったら、サラ様に刺されるんじゃなかろうか。
血まみれになった自分を想像してみると、ゾッと背中が冷たくなった。
「……なーんてね! 大丈夫だよ、そんなことにはならないから!」
「へ?」
「サラは隣の領地の息女。このノーブルグラース領とローレンス領の繁栄のためにやって来た、謂わば攻略結婚だからね、政の一つ。
ペルラはあくまで噂だよ!」
「で、ですわよね!」
少しでも期待してしまった自分が恥ずかしくなった。
サラ様の出で立ちから見れば、彼女もまた立場のある人間だとわかっていた。が、まさか領地の息女だったとは。
「(ということは、ある意味私と似たもの同士って事ね)」
我がコーラリウム国もノーブルグラース領との密接な親交を望んでいるのだ、自分と同じ目的ということは正真正銘のライバル。
実は自分が一国の姫だと正体を明かせば、セレンディッド様とサラ様の婚姻に待ったがかかるだろうか?
……いいえ、人間は人形を恐れている。混乱を招くだけだわ。
「もしかしてセレンのこと、好きになっちゃった?」
「とんでもありません、恐れ多いですわ!」
「ふーん……」
「(な、なんということを聞くのよ……!)」
そう、彼はあくまでも宝を取り返すための協力者だ。ただし一方的な。
一日でも早く宝が手に戻って来るように、そして人魚達が地上に上がってこれるように仕向けなければいけないのだ。
目的を見失っては、いけない。
「ペルラってさ、この国の人間じゃないよね?」
「出身は別の国ですわ」
もうこの問答にも随分となれた。
セレンディッド様にも同じ様な話をしたし、サルビアさんともたわい話の中でそういった類いの話は出ている。
「僕も出身は別の国なんだ。親の代から商人でさ、小さな頃キャラバンに紛れてこの領地に流れ着いたんだよね」
「あら、そうだったのですか。てっきり地元の方かと思っていました」
「あはは~。もう長年居るから馴染んじゃってるよね、もう地元っていっても過言じゃないよ」
また一つ、綺麗にデコレーションされたクッキーがルネス様の口に吸い込まれる。
「で、ペルラはどこの国から来たの?」
なぜだろう。
探るような視線に、言葉が喉の奥で引っかかった。
「珊瑚みたいな髪に、アメジストみたいな瞳。職業柄色んな国の人と会ってきたんだけどさ、ペルラみたいに綺麗な髪の色は初めて見たんだよねー。
中東の方にも珍しい毛色の人は居たけど、そんなに明るくなかったんだ。育った環境も関係してくるかも知れないけど、どうやったらそんな綺麗な髪になるのかな?」
「その……姉達も私と同じように綺麗な髪をしておりました、きっと色んな国の血が混ざってこの様な色が出るのだと思います」
「複座に掛け合わさった遺伝子、ね。是非ともペルラの家族についても教えて欲しいな」
一番聞かれたらまずい質問なのよね……!
因みに母は物心がつく前に亡くなっているし、父上はあの通り真っ白な髪。姉達の髪はグリーン、ブルー、バイオレットと非常にカラフルで美しい髪だ。
多分これ、言っちゃダメなやつ。
思わず飲みかけのジュースに紅茶に視線を落とした。
「ちらっと聞いたんだけどさ、ペルラの家って漁師一家なんだよね? なのになんでそんなに綺麗な喋り方なの?」
「……」
なんだか……シャチに追い込まれるアザラシの気分だわ。
……あ、思い出したわ。
「もしペルラのご家族がまた別の土地に移り住むって言うんなら、是非僕の商会の人間も連れて行ってくれない? きっと色んな所を旅してここに流れ着いてきたんでしょ?
ペルラみたいな綺麗な子が生まれたって事は、お母様がきっと凄く美人なんだろうね。そんな美人さんと何処で出会えるのか、是非教えて欲しいな!」
そうだわ、ノーブルグラース領と貿易を終え、アラーレ達を眩しそうに見る父上と宰相の目に似ていた。
途端に、体の温度が下がったような気がした。
「ルネス、ここに居たのね」
「サラ様!」
助かった。
声掛けやノックも無しに、ペルラの部屋へ入ってきたのはサラだ。
本来であれば流石にノックをしろと憤慨するのだろうが、今回ばかりは助かった。
サラ様に向かって恭しく礼を取るルネスを見て、詰まっていた息を吐き出す。
「(さっきのはなんだったのかしら……)」
自分の思い違い、だろうか。
そんな私を気にとめることなく、二人の会話はどんどん進んでいく。
「セレン様は?」
「本日は外出されております。夕食には戻られますよ」
「あらそうなの」
興ざめ。
そんなことは一言も言っていないはずなのに、表情から心の声が只漏れだ。
「あら、貴女。まだこの屋敷にいたのね」
その目は鋭く、明らかな敵意がこもっていた。
今はこの挑発に乗るときではない。
自分で自分に言い聞かせ、微笑みを貼り付けた。
「セレンディッド様の寛大なお心遣いには感謝しております。お陰様で怪我も快方に向かっております」
「あらそう。ではもうすぐこの屋敷を出て行く、ということね」
そりゃ面白くないわよね。
私を娶るという噂が屋敷中を流れているのであれば、確実にサラ様の耳にも入る。
婚約者としては面白くないだろう、私も同じ立場なら絶対そうだ。
「この屋敷から経つという具体的な日程は決まっておりませんが、近々申し出る予定でございます」
「そうよねぇ? いつまでも甘えてばかりで働きもせずというのは、貴女も肩身が狭いでしょう」
それ、海に居る時からです。
つい口に出しそうになったが、寸前のところで押しとどめた。えらいわ、私。
「そうだわ、ルネス! 貴方のところで働き口を紹介して差し上げなさいな」
「え、僕ですか?」
「そうよ。この間穀物を運ぶ人間が腰を痛めたとか言っていたでしょう。足が治ったのであれば、手伝ってもらいなさな」
「うーん……どうでしょうねぇ……」
え、面接前から落とされるの? 酷くない?
っていうか、私の意見も聞かずに勝手に就職先を決めるなんておかしくないかしら。
これは流石にありがた迷惑というやつだ。何か物申してやろうかと迷っていると、サラ様の綺麗な顔がズイッと近付けられた。
「不満そうね。それとも本当にセレン様の妾の座でも狙っているのかしら」
「と、とんでもございません!」
ヤバ、声がひっくり返った。
恐るべし女の勘、殆ど企みがバレている。
お願いだからそんな睨まないでよ、貿易の確固たる約束と石を取り返したらちゃんと身を引くから!
この空気、どうにかしてくれ。
そんな私の願いを汲み取ってくれたのが、ルネス様だった。
「サラ様、先日僕の紹介に上質な布地が入ってきたんです。もしお時間があるようでしたら、一度ご覧になりませんか?」
「布地……いいわね、ちょうど新しいドレスを仕立てようとしていたのよ」
「それでは僭越ながら、エスコートさせてください」
サラ様は最後に私を鼻で笑うと、その華美なドレスを翻して部屋から出て行くのであった。
「……姫様? もう人間達は出て行きました?」
「……」
「姫様? あれ、聞こえています?」
あの女……。
「絶対泣かす」
「ヒッ⁉」
ドロシーの羽根が、床に落ちた。
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