13,さようなら、友よ
それから数日、毎晩の様にバードット夫人や大王の目を掻い潜っては海面に顔を出した。
もちろん〝あの子〟に会うため。
「今日はこの本を持ってきたんだ!」
「まあ! どんなお話?」
〝あの子〟と一緒に過ごす時間は宝物のように輝いていた。毎日私の知らない物を持ってくる代わり、少女はいつも同じ物をねだるのだ。
「ねえ、今日も歌ってくれる?」
「本当に歌が好きなのね」
「歌が好きなんじゃないよ、ペルラの声が好きなんだ!」
「変わった子ね」
照れ隠しに唇を突き出したもの、悪い気はしなかった。
「いい? 人魚の歌は魅了の歌でもあるのよ。その人魚の気分次第で人間をどうとでもできる、本来は恐ろしいものなのよ」
「あんなクソデカボイスで悪口替え歌を歌っていたのに?」
「一生の不覚……」
「それに、ペルラはそんなことしないよ」
短期間で随分と信頼関係を築けたものだ。
そしてねだられるまま、毎晩少女のために歌うのだ。
「わあ……やっぱりペルラの歌は綺麗だね!」
「そんなことないわ、私の姉様方の方がもっと上手に歌うのよ」
「でも私はペルラの声が好き! ねえ、これからもずっと聞かせて」
「しかたないわね。でもその代わり、私の知らないことを沢山教えてね」
「もちろん!」
なんと幼く甘やかな約束だっただろうか。
だが、それが最後だった。
「いたぞ!」
「人魚だ!」
二人の時間は、引き裂かれた。
「お嬢様もいらっしゃるぞ!」
「人魚の声に魅了されたのか……」
私の歌声を掻き消すように、低く怒りが含まれた声が洞窟の向こうから聞こえてきたのだ。
初めて聞く野太い声に、喉の奥をひくつかせた。
「な、なに……? あの人たちはどうして怒っているの?」
「た、大変だ……家の人間に見つかったんだ……!」
「貴女のおうちの人なの?」
なら少し話せばわかってもらえるのでは?
焦る少女を宥めようとした時だった。
「ッキャア‼」
「ペルラ⁉」
幼くまだ柔らかかった私の腕に、何かが突き刺さった。
それは、本でも見たことのある凶器、矢尻だ。
現れた男達の中にいた、ひと際若い男の手はボーガンが握られていたのだ。
「うっ……」
「ああっ……そんなっ……ペルラ、ペルラッ‼」
最初は冷たい氷でもぶつけられたのかと錯覚したが、一瞬で腕が熱を持ち始める。
まるでそこに心臓があるかと思うほど、ドクドクと脈打つ。
「野蛮な人魚め‼ 歌声で誘惑していたのか⁉ お嬢様から離れろ‼」
「やめて‼ ペルラはそんなことしていない!」
私達はそんなつもりがなくても、人間にとって歌う人魚は恐怖の対象だったのだ。
私を庇うように立ちはだかった少女は、大人によって無慈悲に引き離されてしまった。
「やめろ! 離せッ‼」
「落ち着いてください、お嬢様‼」
「おい‼ さっさと殺してしまえ‼」
こんなところで殺されてたまるか。
腕を庇い、人間の男を睨み上げて唇を噛み締めた。
なんとかして海に逃げ込まないと――
「待て! 殺すな!」
「なんでだよ‼」
「お前も聞いたことくらいあるだろ⁉
人魚の肉は万能薬になる! 高値で売れるらしい!』
それを聞いた幼い二人の顔は蒼白になった。
そんな迷信を信じているのか。
「でも最近、あのコーラリウム国と交流が始まったんだろ? それに水を差すようなことは辞めた方がいいんじゃないか……」
「人魚つっても海の中にうじゃうじゃいるんだろ? 一匹ぐらい居なくなってもわからねェよ!」
「(この子を守るだけならともかく、私欲に利用されるなんてまっぴらごめんよ……‼)」
幼くとも自分の立場くらいはわかっている。自分はコーラリウム国の姫だ。
ここで殺されたりでもしたら、先祖達が渇望し築き上げてきた外の世界に通ずるための努力が水泡に帰す。
「(こんなところで終わらせるわけにはいかない……‼)」
海に向かって這いつくばった。
「今度こそ仕留めろ!」
逃げるしかない。
怒りと痛みを舌の上に乗せ、黒い感情を吐き出した
『〈――忌まわしき命を刈り取る弓よ。朽ち果て有るべき姿へ還れ〉』
それは呪いだ。
黒い感情が込められた言霊を受けたボーガンは腐食し、男の手の中で朽ち果てた。
「うわぁっ⁉」
「に、逃げろ‼ 殺されるぞ‼」
そんな愚かなこと、誰がするものか。
矢を抜き、地面に打ち捨てる。ノロノロと頭を上げると、男達の腕に抱えられて連れて行かれる少女と目が合った。
その黒真珠のような瞳には涙が張られており、揺れている。
「(ああ、こわがらせてしまったのね)」
この腕から流れた血が恐ろしかったのか、初めて見た呪いが恐ろしかったのか。
もしかすると全てが怖かったのかもしれない。
背後で海が荒れる気配がした。
「これは……父上の渦潮……」
一連の騒動を見られていたのだろうか。
最後の力を振り絞り、地面を這うと迷うことなく海に身を投げた。
暗い海が、自分の血で濁っていく。
「(さようなら、初めての親友……)」
この日を境に、私は陸に上がることは無かった。
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