12,星屑の夢



「私がまだ子供の頃の話よ。

 昨日みたいな星月夜だったわ。父上達に内緒で海面に上がって、一通り泳いであの洞窟で休憩しようとしていたの。

 そしたら女の子が一人で泣いていたのよ」


 ああ、懐かしや。


 暖かな記憶がよみがえる。


「夜空みたいな黒髪で、黒真珠みたいに艶やかな瞳の女の子だったわ。

 珊瑚色の素敵なドレスを着ていたから、一目でいいところのお嬢様だとわかったの」


 懐かしの光景が瞼の裏に蘇る。





 それは、まだ私が十にもならない程幼い頃だった。


「うふふっ……! 今日も来ちゃったわ!」


 岩場の浅瀬でコーラルピンクの髪を靡かせて、得意げに夜空を見上げていた。


 今の引きこもり姿からは想像もつかないだろう。

 父上やバードット夫人の言いつけを破り、本当に夜な夜なあの洞窟に遊びに来ていたのだ。


「父上もバードット夫人も可笑しなこと言うわね、地上に上がっちゃダメだなんて! こんなに綺麗で楽しい場所に来ないなんて、人生損しているわよ」


 美味しい空気に澄んだ青空。

 流石に日が昇っているうちは人間に見つかるので、地上に顔を出すのは専ら夜だった。


 体を水面に浮かせ、ゆっくり夜空の下を泳ぐ。

 手を伸ばしたら宝石みたいな光が降ってきそうで、夜空が自分を包み込んでくれてるみたい。ああ、これを幸せと言わんでなんと呼ぶ。


「……皆も地上に上がってくればいいのに」


 父上が「地上は危険なものがいっぱいじゃ、絶対に上がってはならんぞ!」と言い聞かせているから、皆来たくてもこれないんだわ。

 なにがそんなに危険だというのだ? 確かに人間に会ったら驚かせてしまうのはわかる。何度か遠目で人間を見たことはあるが、そんな凶暴な種族に見えないのだ。


 幼い私には、まだ大王の言う〝危険〟がなんたるかを理解できていなかった。


 いつも通り優雅に背泳ぎを楽しんでいると、変な音が波音に混ざって耳を掠めた。


「何かしら?」


 聞き間違えではない。

 海鳴りでも海鳥の鳴き声でもない。


 これは、人の声だ。


「(人間が近くにいるのかしら)」


 胸が高鳴ったのを、今でも良く覚えている。


「(もしかすると今日は近くにいるのかもしれないわ!)」


 怖いものを知らない純粋な子供は好奇心の塊。悪く言えば無謀。


 声が聞こえた方へ泳いでいくと、そこには洞窟があった。


「(いたわ! でも子供ね)」


 波を立てないよう、岩場の隙間から声の主を覗き見る。

 真っ暗で見えにくいが、かろうじて明るい色の服は確認できる。顔までは見えないが、背丈で自分とそこまで歳が変わらないだろうと憶測できる。


「(あら……泣いているのかしら)」


 顔をぬぐう仕草や漏れ出る嗚咽は甲高い。

 ピンクのドレスを着た少女が、たった一人で蹲っていた。




「ねえ、どうしたの?」

「えっ?」


 私は岩場から体を出すと、洞窟へ向かって迷うことなく尾鰭を動かしていた。

 

 愛くるしい黒真珠のような瞳を驚きの色で染めた少女は、海の中に居る自分を凝視する。どうやら驚いた拍子で涙は止まったようだ。

 よっこらせ、と洞窟の浅瀬に腰をかけた。


「人魚……⁉」

「そうよ、私は人魚。ペルラっていうの。こんなところで何で泣いているの?」


 ん? と首を傾げてみせると少女は頬を染め、夜空を切り取ったような黒髪を掻いた。


「本当にいるんだ……」

「あら、私達にとっては貴女も同じ様な感想よ」


 よいしょ、と岩場に乗り上げると尾鰭をピタン、と一回鳴らした。


「何か悲しいことがあったの?」

「お……わ、私、体が弱くて……」

「体?」

「うん。それで、お父様とお母様がもっと強くなりなさいって、色んな勉強とか運動とか……」

「あら、無理強いはよくないわね」


 親の心子知らずとはよく言った物だ。今思えば少女の親達も、少女を思ってのことだったのだ。

 少女に課されたものがどれほど過酷な物かは計り知れなかったが、大王を父に持つ私も一般家庭よりかは厳しく育てられてきた。


 そんな背景もあって、少女に同情をせざるを得なかった。


「親が厳しいと大変よね。でもこんなところで一人は危ないわよ」

「それは貴女も同じだよ」

「あら、知らない? 人魚の声は武器なのよ。いざとなったらどうとでもなるわ!」


 そう言ってまだ膨らみのない胸を張って見せた。そんな自信満々の私を見て、少女はようやく笑ったのだ。


「そっか、人魚は強いんだね。……ここに来たのは、よく歌声が聞こえるからなんだ」


 あ、犯人自分だ。


 顔が固まった。


 海面に上がった私は気分が高揚し、時折心行くまで歌い散らかす癖があった。

 よく父である大王も気分が良いと拳をきかせて熱唱している。側でその光景を見て育った自分にも、その癖は移っていた。


「(やだ、父上の鼾がうるさいとかバードット夫人の小皺が増えたとか姉様方の香水がキツイだとか悪口替え歌を熱唱していたわ……‼)」


 顔が青くなる私をよそに、少女は膝を抱えてふんわりと笑う。


「私の家、すぐそこなんだ。今日みたいに晴れた夜はよく綺麗な歌が聞こえてくる。だからもしかすると、歌っている人に会えるかなって思って」

「あー……えっと……もしかして、私、かも……」

「うん、人魚さんの声だ」


 アウト。

 頭の中で幼いドロシーが大きく×と書かれたテロップを持って飛び出してきた。


「よ、よくわかったわね。そんなにハッキリと聞こえていたのかしら」

「うん、お父様の鼾がうるさいし、最近鼻毛に白髪が混じってきたんでしょ? あの屋敷の部屋にいても聞こえてきたよ」


 もう一生悪口替え歌は歌わない。

 固く決意を胸に、少女が見上げた先を追った。


「貴女、あのお屋敷に住んでいるの⁉」

「うん、そうだよ」

「すごい! まるでお伽噺に出てくるお城みたいだって、ずっと思っていたの!」

 

 海の外へ顔を出す度、いずれ訪れたいと思っていたこっそり憧れを抱いて眺めていた屋敷だ。


「お城……。確かにお城みたいかも。無駄なくらい部屋は多いし、絶対に必要ないだろっていうくらい使用人もいるし……ダンスホールなんかもあるんだ」

「うわあ……素敵……」


 なんだ、少しは元気が出たのか。さっきより格段に明るくなった顔色を見て、安心したのを今でもよく覚えている。

 悪口替え歌を聞かれて気まずくなっていた自分とは反対に、少女は悲しみの色を消して星影を映した黒真珠の瞳でペルラを見つめる。


「ねえ、人魚ってどこに住んでいるの? なんであんなに歌が上手いの? 普段は何を食べているの? 他の人魚はここに来ていないの?」

「落ち着いてェ……‼」


 元気になりすぎるというのも考えものである。

 少女にグイグイと押し迫られ少し後ろに下がると、手に小石が当たった。


 元々ひびが入っていたのだろう。簡単に割れたその石は、暗い洞窟の中で明るい輝きを放った。


「な、なにこれ⁉」

「発光石だよ。太陽の光を吸収して、割れた衝撃で発光するんだ。知らないの?」

「初めて見たわ……。綺麗ね!」

「はい、どうぞ」


 差し出されたのは、割れた石より少し大きい物だった。

 真っ黒でゴツゴツしていて、この石が太陽の光を閉じ込めるなんて信じらられない。


 まるで宝石を触るかのように、己の手に石を転がした。


「貰ってもいいの?」

「もちろん! 本当は町の方にいっぱい落ちてるけど、海岸には少ないね」


 少し重たい石。その重みの分だけコーラリウム国に済む国民達が憧れる、太陽の光が詰まっているのだと考えると、幸せな重みだ。


 海底に存在しない石を慈しむ私に、少女は恐る恐る口を開く。


「ねえ、明日もここにくる?」

「ええ、父上や乳母に見つからなかったら、ここに来るわ!」

「じゃあ私もここに来るよ! その……だからまたお話してくれる……?」

「嬉しい! 私、初めてお友達が出来たわ!」


 初めてのことだらけだった。それまで気軽に話せるとしたら血の繋がった家族か、身近にいる従者か。

 仮にも私は姫。その肩書きが邪魔をして、今まで友達らしい友達を作ったことがなかったのだ。


 初めて躱した友達との約束を胸に、胸の鼓動を高鳴らせた。





「本当に楽しかったわ、夢のような時間って、こういうことを言うんだって思ったもの。

 珍しいお菓子に果物、海底にはないお話。無限に広がる世界だったわ」

「素敵なお友達ですね」

「そう、なんでも知っている自慢の友達だったの」


 でも、すぐに終わりは来た。



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