10標的のアジト


 あの洞窟からセレンディッド様の足でここまで来るのに、そう時間はかからなかった。

 暗くて辺りはよく見えなかったが、確実に光は近づいている。

 時間が経つと共に、自分の体温が上がっていくのを感じていた。




「おかえりなさいませ。そちらの方は……」


 本当に領主だったのか。

 出迎えてくれた年配の女性が、私の姿を見て目を見張った。


「俺の客人だ。丁重にもてなしてくれ」

「承知致しました」

「よ、よろしくお願いいたします……」


 まさか人の腕から挨拶をする日が来るとは。


 屋敷の玄関には、深夜だというのに数人のお仕着せを着た使用人が並んでいた。


「彼女に湯浴みの準備を」

「かしこまりました」


 なんだそれ、初めて聞いたぞ。


「ユアミ? とはなんでしょうか?」

「簡単に言うと暖かい水に入って体を暖め、汚れを落とすことだ。

 潮風に晒されて体が冷えている、早急に暖める必要がある」


 あんたが熱いだけだ。

 こっちとら極寒の海で生まれ育った人魚だぞ。


「必要ありません、寒いのには慣れていますもの」

「そんなわけにはいかないだろう。体に付いた潮を流さないと、その綺麗な髪も傷む」

「平気ですわ、日頃から潮水に浸かっていますもの」

「……普通の人間なら、海に入った後は湯浴みするものだが」


 ギクリ。


 体が固まった。

 そうだ、今自分は人魚でなく人間だった。普通の人間として振る舞わなければ、すぐに疑われてしまう。

 ハッと顔を上げると、セレンディッド様がジッとこちらを見下ろしていた。


「もしかして……」

「え、えっと……」


 ヤバい。

 目を白黒させる自分、訝しげなセレンディッド様、何処か微笑ましそうに見つめる使用人達。

 最早状況は混沌としている。


「……もしや、漁師の娘か?」

「え? リョ、リョウシ?」


 まーたわからない単語を出してきて!


 ポカンとする私をよそに、セレンディッド様は何処か納得したように頭を上下に振る。


「そうか、それで貝を採るために潜っていたのか。それなら日頃から潮水に浸かっているというのは納得がいく。

 しかし湯浴みはせずとも潮くらいは落とすと思うのだが、」

「あー‼ 私、ユア、ミ、大好きですわ‼」


 動揺のあまり単語の区切りが可笑しい。

 クワッと目を見開くと、セレンディッド様の胸元を掴んだ。最早無礼講。


「(私は人間私は人間‼ 絶対にここから追い出されない方がいいわ‼)」


 見る限り歓迎されている様子。偶然とはいえ、一日目で目標人物にここまで近付けたんだもの!

 このまま流れに身を任せれば、この領主を籠絡できるかどうかはさておき今日はゆっくり休める‼

 ならば人間らしくユアミ、というものを受けた方がいいだろう。


「そうか、ならよかった」

「ええ、ええ! お気遣い痛み入りますわ!」


 自分が選択したことは正しかったのだろうか。

 不安がないとは言い切れないが、今はここで上手く立ち回らなければ後が無い。


「(……それにしても、随分と広いのね。私一人だと絶対迷子になってしまうわ)」


 コーラリウム国の神殿も立派なものだが、こちらも負けていない。


あ、あの焼き物は少し前の貿易で入荷した物と似ているわ。

 あっちの絨毯の模様も見たことある。


 怪しまれないようにキョロキョロ周りを見渡していると、一つの扉の前で止まった。


「彼女は足を怪我している。サルビア、補助を頼む」

「承知いたしました」

「え、貴方は?」

「は?」


 あれ、自分は何か可笑しな事を言っただろうか。


 固まるセレンディッド様とは対象に、サルビアと呼ばれた年配の使用人は一層笑みを深めた。


「お嬢様、湯浴みは殿方と一緒になさるものでは……ああ、特定の間柄になると好んで共に湯浴みされる方もいらっしゃいますね」

「サルビア、もういいから連れて行ってくれ……」

「あら、失礼いたしました」


 あ、何か間違ったらしい。


 しかしこれ以上傷を深めないよう口を閉ざすしかなかった。





 そうしてペイッと浴室に入れられたのだが。


「(ま、眩しい……‼)」


 なんだこの目が潰れそうな程光に照らされた空間は‼

 叫ばない自分を褒めてやりたい。


「夜なのにこんな明るいなんて……わ、声が響くわ!」

「ふふ……初めてこの浴室を見たときは、流石は領主様のお屋敷だと私も驚きましたわ」

「そ、そうですわね……」


 ここで歌ったらさぞかし気持ちが良いのだろう。まあ歌えたら、の話だが。


 手伝ってもらいながら浴室に入ってくと、なるほど。白い大きな入れ物に大量のお湯が張られている。


「(あの中に入って汚れを落とすのね)」


 それであればササッと終わらせてしまおう。

 

 お礼を言おうと後ろを振り向くと、何故か何人かの使用人が張り切った様子で腕を捲っていた。


「さあお嬢様! 綺麗にしましょう」

「いえ、自分でできますわ」

「いいえ! 是非! お手伝いさせてくださいませ!」

「はあ……」


 なぜここまで喰い気味に。


 彼女たちの意気込みに押され、結局承諾するしかなく。


 真夜中の屋敷に悲鳴を響かせながら、ツルピカに磨き上げられたのだった。






「さあ! これで大丈夫ですわ!」

「うっ……こんなことって……」


 人間の湯浴みとはあんなに大変なのか。

 バスタブから引き上げられ、ゲッソリしながら用意された椅子にもたれかかった。少し痩せたんじゃないかしら


「(こんなことならもっと人間の生活について勉強してくればよかったわ……)」


 そんな事を思っても後の祭りなのはわかっているけど!

 薄手のワンピースに着替えさせられて火照った体を休ませていると、セレンディッド様が入ってきた。


「終わったか」

「はい。綺麗な御髪ですわ」


 そういってコーラルピンクの髪を梳かれた。

 最後によくわからない液体を髪の揉み込まれたところで、サルビアさんの気は済んだらしい。


「ご苦労だった、サルビア。夜中にすまなかったな」

「とんでもございません。何かご用があればなんなりとお呼びくださいませ」


 そういって微笑むと、しずしずと音も少なく浴室から出て行った。


「部屋を用意した。行くぞ」

「はい……」


 今すぐここで寝たい。身体が温まって眠気が襲ってくる。

 というか、今まで引きこもっていたのよ? 急にこんなに活動して、体が悲鳴を上げている。


 重たい身体を立ち上がらせようとしたが、セレンディッド様の手によって再び抱きかかえられることになる。


「うひぃッ⁉」

「もう少し悲鳴のチョイスはないのか?」


 気を抜いているところで急に持ち上げられたら誰だってこんな悲鳴を上げると思う。

 反論する暇もなく、あっという間に浴室から出て行くこととなった。


「貴女の部屋は俺の部屋の隣だ。ベッドサイドにベルを用意した、何かあったら駆けつけるから呼んでくれ」

「(普通は使用人が来るものじゃ無いかしら)」


 なんて思うものの、人生初めての湯浴みに疲れ切った引きこもり体力へぼへぼ民は、もうおねむなのだ。

 他にも何か言っているようだが、夢うつつで耳に何も入ってこない。


「眠いのか?」

「まさか……」

「もうすぐ着く。そのまま眠ってもかまわないぞ、食事はー……」


 仮にも一国の姫よ、初対面の男の前で寝落ちだなんて無防備なことするもんですか。


 その言葉は音にならず、瞼は落ちた。


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