09,突撃、深夜のお宅訪問
こんなことってある?
「(こんなに早くターゲットに接触するなんて……!)」
この目の前に立つ男が、篭絡しようとしている男だったとは。
心の準備が全くと言っていいほど整っていなかった。誰がこんな洞窟で人間と、それもこれから探そうとしていた人間と鉢合うと考える? 心臓に悪いわ。
「(もしかして父上はこれを見越してここに打ち上げたのかしら)」
大王にもなると先賢の目が働くのか。凄いな、大王って。
直接は見えないが、後ろではドロシーもあんぐりと口を開けているだろう。その間抜けな顔を見れないのがちょっと残念ね。
「領主様だったのですか、これは大変ご無礼を。何せ暗がりでご尊顔が見えなかったので……」
「そんなことはどうでもいい」
星あかりに照らされた男の首は血管が浮いており、とても男らしい。
鼻梁は高く、整った唇はやや薄い。獲物を刈る鳥の様に鋭い目が、自分に向けられていた。
神殿に飾られている名工の手にかかった彫刻かと思うほど、恐ろしく顔の整った青年だった。
父から中々の色男と聞いていたが、何処が中々だ。特上だろうが。
「どうかしたか?」
「いえ……」
いかん、見惚れていた。
「(こ、この男を籠絡しなきゃいけないのよね)」
できるか? この男前を? 自分が⁉ ちょっと泣きたくなった。
「行くぞ。立てるか」
「はい……っあ⁉」
立てることは立てたが、如何せん人間歴ほんの数分。うまく足が動くはずもなく、領主の胸にダイブすることとなったのだ。
瞬間的に過ったのは、コーラリウム国で流行の小説だ。
確か友人との待ち合わせに遅れそうな可愛らしい人魚が猛スピードで泳いでおり、曲がり角で美しい青年人魚とぶつかり、その勢いで青年の胸にダイブしてしまうのだ。
「大丈夫?」
「ええ……あ、貴方は?」
「あ、動かないで」
優しく頭に触れた、男らしい手。
その手に握られていたのは――
「髪にトサカノリ、付いていたよ」
朝食に囓った海藻だった。
「……おい」
「あ。ご、ごめんなさい」
いけない、小説に頭が飛んでいた。
領主と名乗る男から身を離すと、コートを無意識に掴んだ。
「いいや、怪我は無いか?」
「怪我……そうね……」
どうしよう、歩けないことをなんとごまかそうか。
するとなんということだ、男は私の足と背中に腕を回し、その体を持ち上げたのだ。
「きゃあ⁉」
「海に潜っている間にぶつけたのか。怪我をしているのならなおさら放っておけない」
「お、降ろして!」
ふいに過去の記憶がフラッシュバックした。
誰にも言ったことのない、無理矢理蓋をした〝苦い記憶〟。
初め宙に浮く感覚と過去の恐怖で、視界が滲んだ。
「落ち着け、何もしない。ただ屋敷に連れ帰って手当をするだけだ」
「結構よ‼ 家に帰るわッ‼」
「その帰る家がないのだろう?」
無意識に男の服をきつく握っていた。相当おびえる姿は、それこそ虐待を受けて育った哀れな娘に映ったことだろう。
実際は全く違うのだが。
私が持ち上げられたことによりドロシーの姿が露わになったのだが、何処にでもいる海鳥より腕の中で暴れる自分の方に気を取られているようだ。
トテトテと別の岩陰に隠れるドロシーは、男に触れられることなく見事にその姿を隠した。
「あそに屋敷が見えるだろう」
「ッ……⁉」
暴れるのを一端止め、男の示す方を見上げた。
そこにそびえ立つのは、大きな屋敷。私が住まう神殿よりかは小さいけれど、存在感のある大きな建物だ。
「あ、あそこって……」
「あそこはこのノーブルグラース領の領主が住まう屋敷だ。代々受け継がれていて、今では俺があの屋敷の主だ」
びっくりした衝撃で、頬に涙がポロリと零れた。
「あそこに……行けるのですか?」
「ああ。街の者はみんな寝静まっている。静かにしろ」
「で、でも、そんな急に訪問してはご迷惑でしょう……」
「所有者である俺が良いと言っている。貴女を正式な客人として迎える」
岩場に隠れたドロシーに助けを求めようとするが、彼女もどうするべきか判断がつかないようだ、もの凄くバタバタしている。
確かに目の前の男、一見すると害はないだろう。
でも! ここで連れて行かれてもいいのだろうか⁉
ジトッ……と精巧な男の横顔を見つめると、困ったような笑みが返ってきた。
「申し遅れた、俺はセレンディッド。セレンディッド・ノーブルグラースだ」
「……私はペルラと申します」
本物の領主かどうか、あの屋敷に着けばわかることだ。
もし騙されていたその時は、呪いをかけて逃げてしまえばいい。ほら、バードット夫人も「女は度胸でございます!」とかよく言っていたし。
「(姫様ァ‼ ドロシーは後ろからちゃんと着いて行きますからねー‼)」
「(お腹空いたのかしら)」
噛み合わないコンタクトを最後に、私はセレンディッド様の元へ行くことが決定した。
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