08,エンカウント


 突如として聞こえた第三者の声に体が硬くなったのは、反射神経だ。


 そんな自分より先に動いたのはドロシー。

 主人を守らなければいけないという忠誠心が働いたのだ。


 自分よりも遥かに小さくなってしまった羽毛に埋もれた背中を見て、頼もしく感じる。


「(父上がドロシーを着けてくれたのは正解だったわね)」


 その警戒心の強さに、心強さすら覚えた。そして目の前に現れた人影を睨み上げる。


「こんな夜更けに人が来るなんて思ってもみなかったですわ、そちらこそ何を?」

「聞いているのはこちらだ」


 男の声だ。思わず腕をさする。


 大丈夫、今私は人間だ。

 そう自分に言い聞かせ、呼吸を整える。

 声が震えないように己を奮い立たせると、深く息を吸い込んだ。


「ただのしがない町娘でございます、どうかお捨ておきくださいませ」

「町娘なら尚更だ。こんな人気のないところで、しかもこんな真夜中に見過ごせないな」


 やがて星明かりで、近づいてきた男の全貌が露わになった。

 夜の海みたいに黒い髪は潮風に靡き、吸い込まれそうなほど深い漆黒の瞳。仕立てのいいコートを着た男だ。


「……何故裸なんだ」

「何故って」


 ハッと思い出した。自分たち人魚は服を着る文化はなかったが、文化の違い、というやつだ。


 とりあえずそれらしい振る舞いをした方がよいだろう。体を隠すように、後ろに追いやっていたコーラルピンクの髪をササッと前に流した。


「か、貝を捕っていました。残念なことに、一つも採れなかったけれど」

「こんな夜分にか?」

「人が居ないと取りやすいと思ったので……」

「こんな夜中に海に潜るなんて無謀だ。それに貝も砂に潜ってしまっていないはずだ」

「わ、私が夜の海を好きなのです」


 我ながら苦しい言い訳だ。今にも飛び掛かりそうなドロシーを背中に隠し、喋らないよう嘴を抑え込んだ。

 早く向こうに行ってくれ、ドキマギしながら祈るが、その願いは届かず無遠慮に距離は縮められていく。


「もうすぐ日が変わる。送るから家に帰れ」

「もう少し貝を探してから帰ります。何かを持って行かないと、父上に怒られてしまうもの。きっと家にも入れてもらえないでしょう」


 コートを脱ぎながら、男がすぐそこまでやってくる。思わず尻を後ろに引くが、もうすぐ後ろは岩だ。


「……服は?」

「み、見当たりませんわね。な、流されたのかしら」


 これ以上近寄られると、もう逃げ場所はない。慣れない人間の足で走ることはおろか、歩いていくことさえできないだろう。いよいよ距離が縮まる。


 ドロシーが飛び出そうとしたときだった。



 バサッ



「っ……?」

「身体が冷える。着ていろ」


 潮風に当たって冷えた肩に、男が着ていたコートがかけられた。

 さっきまで男が来ていたコートは暖かく、ほのかにいい匂いがする。


「(私、少し変態臭いわね……)」

「家は何処だ? この領地でそんな虐待じみたまねがされているのであれば問題だ。すぐに君の父上に交渉しよう」

「いえ、あの! 今日帰らなくて大丈夫なのです! 出稼ぎで何日も帰らないことはザラにありますわ!」


 まずい、これ以上踏み込まれたらボロが出る、というより、もう出ている気もする。

 ああ、これから作戦会議をして今後の方針を決めていかないといけないのに、とんだハプニングがあったものだ。

 

 断固として立ち上がらない様子の私に、男は眉を顰めた。


「では今日は何処に寝泊まりする気だ」

「ここに……」


 恐る恐る地面を指さした。


 というか、ここしか寝るとこないでしょ。だって帰れないもの、固くても雨露を凌げるだけマシよ。ここで一夜明かしてやろうじゃないのよ。

 察しろ、そして立ち去れ。そんな念を送っても、通じることはなく。

 男は額に手を当てて深い息をついた。


「ここで寝るつもりだったのか……」

「ええ、なので今日はもう休みます」


 コートを脱いで渡そうとすると、再び体に押しつけられた。


「なら貴女の寝床は俺が用意しよう」

「は」


 いやいや、なにをおっしゃるのやら。そんなこと言っても、今し方決心した私の心は揺るがない。

 そして私の世話をするという義理なんか、この男にないだろうに。


 全力で拒否しようとすると、手を掬われた。


「ちょっと⁉ 貴方には関係ないわ‼」

「大ありだ。この領地でこんな夜中に、それも裸の女が一人で海辺に居るなんて許さない」

「貴方何様よ‼」

「領主様だ」

「りょ……ほへぇ……?」

「どういう感情の声だ」


 眩暈を感じるのは薬の副作用だろうか。


 後ろに隠れているドロシーが、息を飲む気配がした。


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