07,閉じ込められた太陽の光




「うっ……」


 頭が痛い、体が痛い、喉が痛い。


「(私……ああ、そうだわ……父上から薬を貰って……)」


 渦潮に飲み込まれた後、どうなったんだろう。

 体を起こすと、まず視界に入ってきたのは真っ暗闇。そして次に気が付いたのは、冷たくて堅い感触だった。

 これ、岩だ。


「無事地上に打ち上げられた、というところかしら……」


 鰭を動かそうとするが、違和感。

 軋む首を後ろに回し、目を見開いた。


「ああ……やっぱり人間になってしまったのね」


 やっと記憶が蘇ってきた。あのとんでもない父親、こんな高級な薬を私利私欲に使うなんて。

 見事な鱗はすっかり姿を消し、そこにあったのは二本の人間の足。


 やってくれたわね……。

 手をついて項垂れるしかなかった。


「(……いいえ、元々姫としてコーラリウム国の民を地上に導くのは、役割の一つだったのよ)」


 今まで逃げてきた王族の責務。いつか誰かが果たさねばならぬのなら、夢を追いかけている姉達より引き籠りプータロー姫のが、まだまし……でもないな?


 暗闇にようやく目が慣れてきた眼をこらしてみると、頭を傾げた。


「ん? なんだか見た気がッ……⁉」


 え? お待ちくださいませ?

 多分、今もの凄い間抜けな顔をしていると思う。


「うそ、父上ったら……! よりにもよって、なんでこんなところに打ち上げたのよ!」


 まるで隠れ家のような、岩の壁の穴。

 後ろには海が広がっており、青空は闇に覆い尽くされて星がさざめく。


 ここは、洞窟だ。


「とにかくここから出て……ッギャッ‼」


 この場にバードット夫人がいなかったことを喜ぼう。

 姫らしからぬ悲鳴を上げ、スッテンコロリンと地面に転がった。


 それもそのはず。こっちとら生まれてこの方十八年人魚一本でやって来たのだ。人間の歩き方など知ろうはずもない。

 人間の足を手に入れた人魚は、その感覚に慣れず激痛、なんて噂を聞いたことがうまく動かせないだけで痛くはない。どちらかというとこけた方が痛い。サゲ。

 人間は器用なものだと、逆に感心してしまう。


「はあ……私はこんな気分だっていうのに空は綺麗ね」


 何年ぶりに空を見上げるだろうか。

 頭上には満天の星空が広がっていた。月は見当たらないのに空が明るい。



 ――こういう空は星月夜って言うんだよ



 遥か昔の記憶が蘇る。まともに動かない足を抱え込むと、改めて夜空を見上げた。

 星空を背景に、一軒の大きな屋敷が視界に入る。


「あーあ……思い出さないようにしていたのに」


 いやだいやだと言っていた割に、地上に出てみれば案外あっさりとしたものだ。


 呆然と星空を見上げていると、一匹の海鳥が飛んで来た。


「(えらく飛び方が下手くそね)」


 優雅さとはかけ離れた……もがいている、と表現すべきか。

 どんどん近づいてくる海鳥に、嫌な予感がした。


「え、ちょっと」


 こっちに落ちてくる⁉

 避けようとするも、咄嗟のことに体が動かない。


 やがて海鳥はその翼を動かすことを止め――


「姫様ー‼ 御無事だったんですねェ⁉」

「ギャーッ⁉」


 この場にバードット夫人が……以下略。


「何⁉ 何なの⁉」

「私ですよ、ドロシーですよー⁉」

「ドロシー⁉」


 頭上に落ちてきた、この喋る海鳥が?

 ついさっきまで一緒に居て、悪態を付いていたドロシーだというのか⁉


「なななななんでこんな姿に⁉」

「大王様の言いつけですよぉ!」

「アッ! ドロシーだわ‼」


 今にも泣き出しそうな甲高い声がペルラの脳天を突き抜ける。


「姫様一人だと不安だから、見張れって!

 陸は楽しみですけど、こんな姿に変えられるなんてぇ……大体鳥って‼ 私海鳥に徹する自信なんてないですよ‼」

「と、飛び方が独創的で唯一無二な海鳥って感じだったわよ!」

「それは褒め言葉じゃないですー‼」


 恨むなら父を恨んでくれ。

 おいおいと泣きすがるドロシーの背中を撫でるしか、私に出来ることは無かった。


「もう帰ってもいいのよ? でもどうやって元の姿に戻るのかしら」

「それが厄介なんですよ! 姫様がこの領地の領主と結婚するまで、私の姿を戻す薬は渡さないって大王様がおっしゃったんです‼」

「え、それってドロシーの人生が私にかかってるってこと⁉ やだ、重い‼」

「重い⁉ 今重いって言いました⁉」


 二人の悲痛な金切り声が、洞窟に反響する。

 知らないうちに外堀が埋められていき、いつの間にか退路が断たれていた。恐ろしや、コーラリウム国大王。


「(何が何でも地上とのパイプを太くしてこいってことね)」


 思わずため息が零れた。肩に止まったドロシーのふかふかな羽毛に、頬を寄せてみる。


「姫様はこれからどうするのですか? 行く当てはあるのですか?」

「あると思う?」

「愚問でしたね……」


 悲しくなるだけだ。全て行き当たりばったりなこの計画、どうやって遂行してやろうか。

 死んだ目で夜空を見上げていると、先ほどよりかは落ち着いた様子の声が耳元で聞こえた。


「あの、姫様。大王様が持っていたあの石ってなんだったんですか?」

「ああ、あの石? 私の宝物よ。


 小さな頃、この洞窟で教えてもらったの」

「こ、えっ、この洞窟⁉ ここに来たことがあるんですか⁉」


 目が白黒させるドロシーに、思わず苦笑いが零れた。


「あのね、私だって昔から引きこもりだったわけじゃないのよ。

 幼い頃は他の人魚達と同じように外の世界へ憧れてたわ」

「ひ、姫様がぁ⁉」

「驚くのも無理はないけれど、そこまで私って引きこもりのイメージかしら」

「はい」

「(こんな澄んだ瞳で肯定されても……)」


 凄いぞ、瞳が一点の曇りもない。 


「父上やバードット夫人は知っているわよ。ほら、ここって神殿から比較的近いでしょう?

 だから皆に内緒で、よくこの町の様子を見に来ていたのよ」

「今では考えられませんね……」


 従者としてあるまじき発言の数々。

 まあしょうがないか。彼女をここまで引きこもり信者にしてしまったのは、常日頃の私の行いだ。


 よっこらせ、と体制を変えると、手に何か固いものが当たった。


「あら、ここにも落ちていたのね」

「その真っ黒い石! 姫様の宝物じゃないですか!」

「そうよ。この石は海底に存在しないけど、地上には沢山落ちている物なの」


 そうっと石を撫でると、ドロシーが気まずそうに肩を揺らした。

 この石のせいでドロシーの人生も窮地に立たされているのだ、純粋な気持ちでは見れないだろう。


 掌に転がる石を、突く。


「この石は発光石といって、太陽の光を中に吸収する石なのよ」

「太陽の光を?」

「ええ、見てみなさい」


 その石を振りかざし、浅瀬の岩にぶつけた。

 すると石は簡単に割れて、手の中で粉々に砕け散る。


「ほら」

「わあ……!」


 折角の石が、というドロシーの心配はその光景によって掻き消された。


「凄い! 光ってる!」

「でしょう? 石が割れると空気中に漂っている成分と反応して、中に閉じ込められた光が出てくるのよ。でも、これは時間が経つと消えてしまうの」


 温かい暖かな黄金色の光はやがてその輝きをなくし、元の黒い石になってしまったのだ。

 ほんの一瞬の出来事は、複雑な感情を抱いていたドロシーを励ますのに十分な効果があったらしい。


「姫様物知りですねぇ、流石毎日引き籠って本を読んているだけあります!」

「あら、これは本で学んだことじゃないわ。教えて貰ったの」


 粉々になっても尚、その存在は愛おしく掌に残っている。


「誰に教えてもらったんですか?」

「友達よ」

「は? 姫様に友達?」

「そのガチトーンはヤメテ」


 ちょっと心にクるから。ただでさえこんなところに放り出されて弱っている心にクるから‼


「あ、クマノミのシマゾウですか? あの子物知りですもんね~」

「違うわよ! 私は「何をしている」」


 ドロシーの目が鋭く光った。

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