06,こんな夜には何かが起こる
ノーブルグラース領では毎年春になると収穫祭が行われる。
神に感謝と繁栄を願い、街を飾りつけ歌い踊り、この地で採れたものを食す祭だ。
今年もその時期がやってきたと机に勤しむのは、このノーブルグラース領の領主、セレンディッド・ノーブルグラース。
仕立てのいいシャツをラフに着こなし、黒く艶やかな髪を襟足で結わえている。その黒く切れ長な目は涼やかに書類を睨みつけていた。
「(今年も採れた海産物の質や量は申し分ない。しかしその分単価が下がる……全て掃ければ領地としても儲けは見込めるが、現実は甘くない)」
さてどうしたものか。
ノーブルグラース領は海が近く、観光地としても賑わっている。よそから観光客を集めもてなすことで収入を得ているのだ。その機会の一つが、今回の祭だ。
ノーブルグラース領は潮風が吹くため建物の劣化も早く、毎年修理のための補助金をと望む声が上がっている。
税金から捻出している補助金だが、そこばかりに集中すると別の施設に回す金がなくなり、格差が出てしまう。
少しでもその差を埋めるため、なんとしてもこの祭は成功させなくてはならない。
「ねえセレン。そんなに根を詰めすぎたら早死にするよぉ?」
「ルネス、今年の衣装なんだが去年よりもう少し多めに用意できるか?」
「聞いてないし! ったく……いいよ、沢山仕入れとくよ、まいどありー!」
客人が座るためのソファーに寝転ぶのは、金糸のような髪を揺らす青年。指に付けた控えめなアクセサリーは、主張こそ表に出していないが見るものが見れば質のいい宝石を使っているとわかるものだった。
仲の良い知人にしか呼ぶことの許されない呼称を、このルネスは軽々と言ってのけるのだ。
ペンを止めることなくひたすらサインを書き続けるセレンディッドの前に、少し音を立ててお茶が置かれた。
「そうだよな、毎年転んで破いたり肉のソースぶっかけて台無しにする小僧が多いもんな!」
「お前の幼少期は特に酷かったってね、ダミアン」
「げ、なんでルネスがそんなこと知ってんだよ」
ダミアン、と呼ばれた男はきまりが悪そうにセレンディッドの隣に収まった。
日に焼けた小麦色の肌にオレンジがかった茶髪。少し動くと腰に下げられた護衛用の剣が重そうに金属音を鳴らす。
「そんなのセレンから聞いたに決まってるじゃん。放っておいたら全裸でその辺を駆け回ってるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたらしいよ?」
「そうなのかセレン⁉」
「お前達、仕事の邪魔をするなら出て行ってくれ」
眉間に刻まれた皺は疲労を表しているようだ。
ダミアンは自分のお茶ともう一つのカップを持つと、ルネスの寝転ぶソファーの向かいに座った。
「おらルネス、邪魔するなら出てけってよ」
「えー? 僕ぅ? どっちかっていうとダミアンじゃん」
「視覚的に一番邪魔なのはお前だろうよ」
目の前に置かれたお茶を飲み干すと、ルネスは足を放り出して天井を仰ぐ。
「だってー! 今日はセレンと飲もうと思ってきたのにさー! 仕事なんてつまんない!」
「俺だって領主という立場がある、飲むのは祭が終わってからだ」
「ちょっとくらいいいじゃんか! 最近冷たいよね、もしかして他に気になる奴でも出来たわけ?」
「なに、お前ら付き合ってんの?」
ダミアンの何気ない一言に、とうとうセレンディッドは机に突っ伏した。
どうやら集中の糸がプッツリを切れたらしい。
「……散歩に行ってくる」
「えっ! じゃあ僕も!」
「待て待て! 護衛の俺が付いて行かなきゃ意味ないだろ!」
「二人とも必要ない」
バッサリだ。
椅子に掛けてあったコートを取ると、黒い髪を流して慣れた手つきで袖を通す。
「明日までに仕上げなければいけない仕事が残っている、すぐ戻る」
「ぶーッ! すぐ戻るなら「ルネス、隣町のギルバーディー夫妻が赤い石のアクセサリーを探しているらしい。お前の商会ならいい石を持っているんじゃないか?」見積もり作ってくるよ‼」
「よし、じゃあ俺も付いて「そういえば門番のアドフルがダミアンに稽古を付けて欲しいと言っていたぞ。勤務は終わったばかりだろうから、探せばその辺りにいるんじゃないか?」しゃーねぇな、一本しごくか‼」
人は長年つるんでいると、ある程度の行動を操ることが出来る。というか、この二人が単細胞すぎるだけな気もするが。
セレンディッドは厄介な取り巻きを部屋の外に追い出すと、インクが乾かないように瓶の蓋を閉じた。
「さて……行くか」
こんな夜はどうしても行きたくなる場所がある。
窓から見える夜空は、月が出ていないのに夜空でさざめく星明かりで十分に明るい。
今夜はいい夜だ。
迷うことなく、足を屋敷の外に向けた。
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