05,まるっと私情
私の話が終わる頃には、ドロシーの涙は引っ込み、バードット夫人は半乾きのハンカチを畳んでいた。
「どうですか、父上。あなたの本心はアラーレとやらの流通を太くするため。もっとも確実な入手手段を取るため、私を外の世界へ放り出そうとしているのでしょう‼」
「……」
何も言い返してこない父上を責め上げる。
先ほどから顔色一つ変えていないが、額に浮かぶ油汗は隠せておらず。
もうこれはクロもクロ、真っクロだ。
「だ、大王様……」
「ドロシー。このことは今すぐ忘れなさい」
とうとうバードット夫人により、ドロシーの両耳が塞がれた。まあ全て遅いのだが。
「ふ、ふん! 例えワシの私利私欲が混じっておろうとも、ペルラがノーブルグラース領の領主と結婚するのは国の繁栄に繋がることは揺るがぬ事実よ‼
宰相‼」
「ハッ‼」
なるほど、彼がアラーレの魅力にはまった同士ということか。
どこからともなく現れた宰相の腕の中には、何やら麻袋が抱えられている。
「……えっ。ちょっ、お、お待ちください! それは私の宝ではありませんか⁉」
「流石だ我が娘、ペルラよ。その距離でこれが何たるかをすぐに見抜いたか」
「わからない方が可笑しいでしょう⁉ それをどうやってここに持ってきたのですか⁉」
「ほっほっほ。企業秘密じゃ」
形成が一気に逆転した。
直ぐに麻袋を取り返そうと必死で鰭を動かすが、宝箱は無惨にも父の手の中に落ちてしまった。
最悪だ。
「バードット夫人、あの箱は何ですか?」
「さあ……わたくしも中身は知りませんが、昔から姫様が〝何か〟を集めてはせっせとあの麻袋に詰めているのは存じていますわ」
「乳母であるバードット夫人も知らないものを、大王様は引き合いに出してきたんですか」
先の話で自国の大王に対する信頼が落ちた模様。ふんっ、いい気味だわ!
それはそれで置いておくとして。
「返してください!」
「それは聞きぬ願いよ。どうしてもと言うのであれば、ノーブルグラース領の領主と結婚してくるのじゃ。そうすれば返してやるわい」
大王が高笑いすると、その僅かな揺れで途中途半端に開いていた麻袋から中身が零れ落ちた。
「ワシは知っておるぞ、ペルラ。お主、引き籠りと言いながらたまーに神殿の外で石を拾ってはここに隠しておるじゃろう」
「な、なぜそのことを……!」
もはや親子の会話ではない。どちらかというと、犯罪者と人質を取られた被害者である。
大王は零れ落ちた炭のように真っ黒な石を拾うと、その手に乗せた。
「昔から思っておったが、なんでこんな黒い石なんじゃ? もっと宝石とか貝殻とか……地上にしかない珍しいものをコレクションするのはわかるが……」
「人の趣味に口を出さないでくださいませ!」
人の宝物を強奪した挙げ句、ケチをつけるとは。
我が父ながら引っ叩き倒してやりたい。
転がり落ちて割れないか内心ヒヤヒヤするが、ここから見る限り無事な模様。
どうにかして人質……石質? を取り返さなければ。
「ノーブルグラース領の領主はその婚姻を望んでいるのですか⁉ そもそも独身? 恋人がいたら⁉ というか名前も知りませんわ‼」
「噂では独身らしいのう。中々の男前だと聞き及んでおる。じゃからもしかすると恋人の一人や二人はおるかもしれんな」
「あまりにも抽象的です! それに一度も会ったことがなくて、それもアポ無し! どうやって結婚しろと⁉」
「お主は人魚じゃぞ? それも最高の血を引く姫。どの人魚よりも祝福の力を持ち、どの人魚よりも強い呪いを吐くことができる。その声で歌えば一発じゃ!」
「歌って、父上はご存じでしょう‼ 私は……!」
「さもなくばこの石は海の泡じゃ。ワシから数寸も離れるとたちまち泡へと変わる呪いをかけたぞ。嫌なら……ほれ、人間になる薬じゃ。サクッと領主を落としてくることじゃな」
今朝読んだ絵本を思い出した。
描かれた人魚姫は、愛のために自慢の声を渡して魔女から人間になる薬を手に入れた。そして地上に待ち受ける破滅へと向かうのだ。
だが現実はどうだ。父上が兼任で魔女役? 破滅するのは石? どんな展開だ。
手の中に小瓶が落ちてきた。もはや選択肢は無いのか。
今この瞬間に見た、父上の悪い顔は一生忘れない。
「さあ、選べ。
――愛の侵奪か、海の泡か」
完全に悪役のセリフだ。
「あれって宝石ですかね?」
「うーん……わたくしにもただの石にしか見えませんが……。
しかし姫様にとっては大切な物なのでしょう」
「なんだか大王様が悪者に見えてきましたよぉ……」
やるしか、ない。
あの石をもう一度この手で抱くのなら、これを飲むしか。
薬のコックに手をかけた。
「父上、再確認を。私がノーブルグラース領の領主と結婚し、アラーレにをこの国にもたらし。コーラリウム国の民を地上へ押し上げる架け橋となれば、宝物を返していただけるのですね?」
「約束しよう」
バードット夫人が再びハンカチで目元を拭っていた。
今が人生の岐路なのだろう。
「では、約束は違わぬようお願いいたします」
瓶を開けると、独特の匂いが鼻を突く。
できるだけ味がわからないよう、一気に飲み干した
「ウッ……!」
「姫様!」
ドロシーの悲鳴が鼓膜を震わせた。
思わずむせかえるような、飲み慣れない甘ったるい味の薬だ。
違和感がまとわりつく喉を抑えながら、顔を上げた。
「父上、私は必ずこの役目を果たしてみせますっ……」
「うむ」
父上の手に小さな渦潮が生まれた。嫌な予感しかしないが、これだけは必ず言ってやりたい。
霞む目を必死に細め、苦しくなる喉から声を絞り出す。
「その石達が私の手に戻ってきたその時は……!」
とうとうその手から渦潮が解き放たれ、それは私の体を飲み込んだ。
「っ……覚えてやがりくださいませェ――‼」
恨み辛みと共に海面へ押し上げられていった。
「ふう……やっと行ったか」
「ご立派でしたわ」
「しかしなんじゃ、あの捨て台詞は。負け役の常套句そのものではないか……」
バードット夫人はハンカチで鼻をかむと、ペルラが消えた方角を見上げた。
「しかし大王様。いくら姫様を外の世界に出すためとは言え、大切な宝に呪いをかけたのはあんまりですわ」
「そんなもの、最初からかけておらんよ」
大王は椅子に深く腰をかけると、バードット夫人と同じように遥か上にある海上を見上げた。
「まあ、嘘だったのですか」
「そうでもせんと、あの子は外の世界に行かんからな」
宰相は大王から石の入った麻袋を受け取ると、大切そうに金庫の中にしまった。勿論、先ほどの言葉通り泡になんかならない。
「大王様。姫様の宝物は確実にお預かりいたしました」
「ありがとう。お前にも変な芝居をさせてしまった」
「アラーレが美味だったのは本当です。しかし姫様には悪いことをしたと思っておりますよ」
「お前が気に病むことはない。遅かれ早かれ、外の世界と我が国を結ぶ希望の架け橋は必要だったのじゃ」
「姫様ならきっと果たしてくださいますわ」
言い切るバードット夫人の目に、もう涙は浮かんでいなかった。
「あの方は心優しい方です。きっとこの国に太陽をもたらしてくださるでしょう」
渦潮は納まり、海水の流れは穏やかさを取り戻した。
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