04,医者が匙を投げる

 


 それは宮殿に住まう臣下も寝静まった、真夜中のことだった。


「あ……もう読み終わってしまったわ」


 安定の引きこもりである私だが、一応部屋を出ることもある。

 それは神殿内にある書庫だ。


 なんやかんや言いながら娘に甘い父上の計らいで、ここの書庫は非常にバラエティに富んだ本が揃っている。

 定期的に本の入れ替えなんかも行われており、巷で有名な本もよく置かれている。


「次の本を借りに行かなきゃ。……今の時間なら皆寝ているわよね」


 ドロシーならともかく、バードット夫人に見つかると厄介だ。

 通常なら寝台でグッスリ眠っている時間帯の筈だが、昼夜逆転している自分はこれからが一日の本番なのだ。

 もし見つかればやれ早く寝ろだのやれ夜中に出歩くなだの……ああ、想像するだけで煩い。


 万が一にも鉢合わせにならぬよう、いつもと違う通り道をチョイスするという徹底ぶり。


 そこれまではいつもの日常だった。




「大王様。こちらが今回ノーブルグラース領から送られてきた品でございます」

「うむ今回もまた珍しいものばかりじゃな。国民達もさぞかし喜ぶじゃろう」


 聞こえてきた声に首を傾げた。


「(ああ、そういえばここの通りには宝物庫があったわね)」


 目的地の書庫しか頭になかったため、すっかり失念していた。

 恐る恐る入口を覗き込むと、父上と宰相の後ろ姿が見える。


 心なしかその背中が浮足立って見えるのは、気のせいではないはずだ。


「(あの様子だと貿易に成功したのね)」


 聞くつもりはなかったが、やけに嬉しそうな二人の声が私の尾鰭を引き留める。


「地上……ノーブルグラース領の商品が入ってくるのは実に久方ぶりですな!」

「半年ぶりじゃろう、これを見た民の喜ぶ顔が今から見えるようじゃ」


 なんと、珍しい商品が入ったらしい。

 見たい好奇心が押し寄せるが、今の二人は仕事中だ。邪魔をしてはいけないとそのまま声をかけず通り過ぎようとしたのだが。


「これはなんじゃ?」

「菓子でしょうか? 随分と変わった形をしておりますな」

「(お菓子? 珍しいわ、いつもなら焼き物とか絨毯が多いのに)」


 早く書庫へ行きたいのに、所々出てくるワードに尾鰭が止まる。

 一旦は離れることを決意したが、燻る好奇心に負けて再び扉に張り付いた。


「どれ、ワシが一口」

「お待ちください‼ 毒味が先でございます‼」

「毒ごときでこのワシが殺せるものか……グッ……⁉」

「だ、大王様‼」


 不吉な会話を聞いて自分の趣味を優先させるほど薄情じゃない。

 返そうと持っていた小説を放り投げると、宝物庫に駆け込んだ。


「父上‼」

「ぐっ……オォ……‼」

「ああ、なんという……‼」

「早く医者を呼んできなさい‼」


 まさか地上の者が劇薬を?


 転がっている菓子を睨め付けた。

 こんな子供の口にも入りやすそうな形状に、どれほどの劇薬を詰め込んだというのだ。

 とにかく、すぐ吐き出させなければ。


「父上‼ しっかりなさってください‼ 父上‼」


 背中をドンドンと叩いていると、異変に気付いた。


「…………ぃ……」

「なんですの⁉」


 何かを伝えようとしているのか?

 父の聞いたことがないか弱い声に、慌てて耳を近づけた。



 それが間違いだった。



「ッ……‼


 ウマイッッ‼」



「ギャヒンッ‼」


 あれは鼓膜が逝ったかと思った。


 予想も出来なかった父上の勢いに、思わず後ろへ転がってしまった。


「なんじゃこの香ばしさ‼ それに口いっぱいに広がるまろやかな油‼ なのに少しもくどくない‼」

「大王様‼ 医者を……あれ?」

「元気そうですな。どちらかというとペルラ様の方がえらいことなっておりますぞ」


 医者に腕をかり、側にあったスツールに腰を下ろした。

 薬匙を片手に持っている辺り、どうやら薬の調合中に連れてこられたらしい。


「い、一体なんですの……?」


 片耳が痛いわ、父上は訳のわからないことを喋り出すわ。

 まさか幻覚でも見えているのか……?


「うまい……うまいぞぉ‼ これっぽっちでは全く足りん‼ もっと輸入……いや‼ 製造方法を……‼」

「大王様! 何が起こったのですか⁉」

「ええい! 四の五の言わんとこれを食ってみよ‼」

「こ、これは、先ほどの菓子?」


 宰相は父上の気迫に負けた。そりゃ大王だから当然か。

 この海の王に早く早くと急かされては断れる筈も無い。宰相は恐る恐る例の菓子の一粒を口に運んだ。


 もしかしたら父上は私と医者の存在に気がついていないのでは?

 眉をひそめて首を伸ばすと、ようやくその菓子のご尊顔を拝見するのに成功した。


 パッと見は地味。少しゴツゴツしていて、色は砂浜のよう。味の想像なんて全く出来ない。

 あれは本当に美味しいのだろうか?


 片耳を抑えたまま、ゆっくり咀嚼する宰相を見守る。


「こっ、これはぁっ……⁉ 口福、口福ですぞ‼」

「お主もそう思うじゃろう⁉ これは是非とも我が国に流通させねばならぬ‼

 次の貿易は……三か月後じゃと⁉ おのれっ……待てぬ‼」

「しかしこれは規定でございます! 今更日程の変更など取り持ってくれないでしょう……」

「くっ……‼ もっとノーブルグラース領との交流を深めなければ……‼」


 別の意味でヤバい薬でも入っているのでは?

 医者を見上げると、諦めろと言わんばかりに首を横に振られた。

 いや、貴方は諦めないでよ。


「して、この菓子の名はなんというのですか⁉」

「ええい、焦るでない‼ 菓子の名前くらい、袋の裏に書いてあるじゃろう‼


 名は――」


 なんとも華のない面子の頭を突き合わせて、小さな袋をのぞき込む。

 そして低い声で絶妙に不協和音を奏でるのだ。


「「アラーレ」」




「おっと」


 医者がよろけて持っていた薬匙を落とた。


 幸先悪いな……。


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