03,急にそんなこと言われても
「大王様、失礼致しますわ‼」
「おお、バードット夫人か」
元気よく、それはもう生き生きと。バードット夫人っていくつだったかしら、そろそろ還暦を迎えるんじゃなかったかしら?
誰よりも快活に広間へ向かって挨拶するバードット夫人の後ろ姿が眩しい。
「大王様、今日は素晴らしい日ですわ。なんと! 姫様が! 一人で起床をなさったのです‼」
「なんと! ようやくか!」
バードット夫人が横にずれると、大広間の奥に腰を掛ける人物の全貌が露わになった。
彼こそがこの国、コーラリウム国を納める大王、グングニーラ・ドル・コーラリウム。
たっぷりとした白髪は腰まであり、下で軽く結わえている。
蓄えられた顎髭は可愛いピンクのリボンで纏められており、その厳つい雰囲気と絶妙に噛み合っていない。
頭の上に乗せられた王冠と、玉座の横に置かれた矛は大王の証。
昔に一度だけ悪戯で矛に触ったことがあるが、海の中だというのに雷が落ちたかと思うほど叱られた記憶がハッキリと残っている。思い出すだけで恐ろしい。
「父上、おはようございます」
「うむ、おはよう。よくぞ一人で起きられたな」
「あれほど念を押されましたから」
皮肉を織り交ぜ、尾鰭を動かした。
大広間の入り口から、父上の元まで泳いでいく。玉座がある上座まで泳ぐことが出来るのは、限られた人魚だけ。
王女である私には、勿論その資格があった。
「ああペルラや、我が愛しい末娘……」
「今日はどうされたのですか? こんな早朝に」
「普通の人魚は皆活動しておるわい」
「働き者ばかりな国で将来は安定ですわね、なによりです、ええ」
残念なことに、一度狂ってしまった体内時計は中々正常にならない。
自分より遙かに大きな手に、そっと手を添えた。
「コホン。父上、本題をどうぞ」
「そうじゃな。
ペルラや、今日お前をここに呼んだのは他でもない。一つ頼み事を託したいのじゃ」
「頼み事ぉ? ……ですか?」
視界の端でバードット夫人の顔が険しくなった。
どうやら自分、今し方お行儀のよくない顔をしているようだ。思わず己の頬に手を当てる。
「どうなさいましたか? 神殿の壁にフジツボでもはりつきましたか?」
「それくらいなら近所の子供達に菓子を配って剥がしてもらうわい。
そうではなくてじゃな、お前にしか出来ない事じゃ」
咳払いがうるさい。
やけに勿体ぶったうさんくさい演出に、訝しげな目になってしまうのは仕方の無いことだ。
どうやらだいぶ面倒くさいことを押しつけてこようとしているらしい。こんなことなら海底火山が噴火しようともブッチしてやればよかった。
「ペルラや、この海の上にある領……ノーブルグラース領は勿論知っておるな?」
「一応は。海と陸を繋ぐため、数年前から貿易を始めていましたわね。それが何か?」
「ここからが本題じゃ。
ちょっとノーブルグラース領の領主と結婚してきてくれんかのう?」
自分はまだ夢の中にいるのだろうか?
そうだ、きっとそうに違いない。そもそも昨晩父上から呼び出された辺りから夢なのだ、ちょっと瞬きをしたら目が覚める……あれ、変わらない。
「ペルラ……ペルラや?」
「大王様‼ 姫様がキャパオーバーしてフリーズしていますわ‼」
「あわわ~……姫様~‼」
ドロシーの情けない声とバードット夫人の甲高い声が聞こえるが、それどころじゃない。あ、これ夢じゃない? マジ?
というか、結婚? 誰が? 私が? 会ったことも名前も知らない人間と⁉
「なんじゃ、そんな結婚くらいで動揺しよって」
「結婚くらいですってぇ……⁉」
「あっ! 姫様が戻った‼」
聞き捨てならないセリフが出てきては我に返るしかない。
自分の目はどちらかというと垂れ目。しかし今ばかりは船が降ろす錨の如く、吊り上がった。
「簡単に言ってくださいますわね⁉ 結婚くらい、とおっしゃるのであれば他の人に行ってもらってください! 私より地上に行きたい人魚は沢山居るでしょう、またとない機会ですわ、是非辞退したく存じます!」
「そうもいかんじゃろう、これは国事の一貫じゃ。ワシの血を引く娘に任せるのが当然じゃわい。
四人娘の中で一番の上の娘は町でブティックを立ち上げて成功しておるし、二番目の娘はコーラリウム国きってのジュエリーデザイナーになった。三番の娘はついこの間下町の青年と結婚してしまったし……」
あ、これやばい。
急に矛先を変えられて勢いが萎む。
そう、既に神殿を出て自立した姉達はそれぞれの生活を立派に築き上げていた。
華々しく海の世界で活躍をする姉たちと違い、毎日部屋に引きこもって働きもせず、必要最低限の教養を受けて本を読み漁りプータローを極めんとばかりに引き籠もる末娘の自分。
しかもつい数分前に今度も脛を囓っていくと決意したばかりだ。
「もうわかるな?」
「で、でも父上? 何故急にノーブルグラース領の領主と? 向こうから婚姻の申し出があったのですか?」
「そうではない。だが……」
顔の直ぐ横を、小魚が通った。
王の間に生息している海藻が踊り、薄暗く照らされた広間に怪しい影が躍る。
「お前も知っておるじゃろう。この海の国に住む者達の多くが、地上に憧れを抱いている」
何か言い返してやろうかと思ったが、言葉が引っ込んだ。
「春に咲く珊瑚より淡いベビーピンクの花に皆は胸を高鳴らせ、夏になると夜空に咲く明るい花火を目指して水面を目指す。秋には紅く萌ゆる愛しい寂しさを求め、冬は白化粧を施された町を眺める。
外へ行ってはならぬと子供に言い聞かせる大人たちも、我慢を強いることも強いられることも耐えてきた。
何故外に自由と美しい世界があるのに、我々はいつまでも暗い海底で過ごさねばならぬのか。少しはあの何処までも透けるように美しい青空に輝く太陽を浴びに行ってはならぬのかと、誰しもが思っておるじゃろう」
緩く首を振る大王の横で、バードット夫人とドロシーが俯くのが見えた。
言われなくても、そんなことは知っている。
ドロシーは特に春が好きなようで、毎年暖かい時期になると隠れて水面まで上がっているのも知っていた。
「(……わかっているわよ、コーラリウム国の皆が外の世界を見たがっていることくらい)」
小さく俯いた。
「我がコーラリウム国とノーブルグラース領は細いがかすかに繋がりがある。しかし、今のままだとその繋がりはいつ切れても可笑しくないくらい不安定なものじゃ。
人間にとって、人魚という存在は未知のものじゃろう。ならば我らが率先して歩み寄らねば、この先誰もその未来を切り開かんじゃろうて。
我々王族は、この海の国に住まう者達をもっと太陽の下に送り出す機会を作らなければならん」
「うっ……‼ わたくし達のためにっ……御芳情に涙で前が見えませぬ‼」
「だいおーざまぁ……‼」
従者二人の涙は、この国の代表だろう。
けど、私はその涙には乗っからない。
表情を崩さず、腕を組んで見せた。
「ふうん。つまりこの国と外の世界の架け橋になれということですわね」
「おお! わかってくれたか!」
「ええ、この国をまとめあげる偉大な父上のお考え、感服いたしましたわ」
頬にかかったコーラルピンクの髪を後ろに流した。
まだバードット夫人とドロシーはおいおいと泣き、後ろに控える執事達も肩を震わせている。
大王の民を思う心に胸を打たれているのだろう。
王の間に自分の無機質な声が響いた。
「……で、本音は?」
自分より高い位置にある父の右下瞼が動いた。
伊達に長年この人の娘をやっていない。
「なんのことじゃ」
「父上の癖はわかっています。図星を付かれるといつも右目の下瞼が動くことくらい、熟知しておりますわ」
「姫様! 大王様は我々の心を汲んでくださったのです! そのお心を疑うなど‼」
「そうですよー! むしろそれ以外になんだって愛しの娘に結婚してこいなんて言うんですか‼」
「父上」
「……」
姦しい外野は置いておき、再び父上を見上げる。
自分と同じアメジストの瞳が、こちらを見下ろしていた。
……あ、キョドッた。クロだ。
私の中に確信が生まれる。負けねェぞ。
「つい先日、久方ぶりにノーブルグラース領と貿易を行っておりましたわね」
「う、うむ」
これは、まだ記憶の中でも特に新しい。
これは一昨日の話だ。
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