第4話 モノを捨てられない

 綾香にはもうひとつ性格的に、まわりの人と違うところがあった。

 それは、

「モノを捨てられない」

 という性格だった。

 子供の頃から、ルーズなところがあり、整理整頓ができないことで、よく親から叱られたりしていたが、その影響もあってか、なかなかモノが捨てられなくなってしまった。

 モノを捨ててしまうことで、大切なものだったりするのも構わずに捨ててしまうことが怖い。だからゴミも大切なものも一緒くたにしてしまって、捨てられずにいるから、モノだけが増えてしまう。

 本当なら、最初から選別しておけばよかったのに、それをしていなかったことで招いた自業自得なのだが、それも、親から叱られた記憶が強く、叱られたことで、余計に意固地になり、いうことを聞かないようになったのだった。

 実に感嘆な算数の数式ではないか。

 片づけをしないから、ゴミなのか大切なものなのかも分からず、山積みにしてしまう。片づけなければならないのだが、面倒くさいという意識から、一緒くたにして捨てようとする。

 しかし、その中に大切なものがあるから、捨てることができない。だから、さらにモノが山積みになってしまう。

 この繰り返しだった。

 山積みになる前に整理できていれば、問題なかったのだろうが、それができなかったことで大切なものが含まれたゴミを整理することができない。

「必要になった時に探せばいいだけで、捨ててしまえば、探すこともできない」

 という考えが頭の中にあった。要するに、掃除の仕方が分からないのだ。

 そんな考えの人は他にもたくさんいるはずだ。下手をすると、

「部屋が汚いくらい、大切なものを捨ててしまうよりマシだ」

 と考える。

 しかし、整理整頓が得意な人は、

「散らかっている部屋にいるから、何もできないんだ。部屋を見れば、その人の頭の中が見えるようだ、部屋の光景がそのまま頭の中だからな」

 というのであろう。

 理屈は確かに分かっているのだが、一旦、こうなってしまうと、なかなかそうもいかない。

「まずはいらないものをどんどん捨てていけばいい」

 というが、それができるくらいなら、こんな苦労はしないというものだ。

 そもそも、性格的に叱られると委縮してしまう人間に対して、強く叱るというのは、二つのマイナス面を呼んでしまう。

 一つは、さらに委縮してしまって、何をしていいのか考える以前に、身体が動かないという症状だ。これが一番多く、一般的なのだろうが、少数派であるかも知れないが、決して少なくないだろうと思うのが、叱られたことで、余計に反発し、決して相手のいうことなど訊かないと自分にいい聞かせる人であった。

 その人は結果的には委縮しているのだろうが、それを知られるのが嫌で意地を張っていると言ってもいい。だが、それをまた否定しようとすると、さらに意固地になるのだから始末に悪い。

「押してもダメなら引いてみな」

 という言葉があるがまさにその通り、叱ってもダメなら、なだめすかしたり、いいところを集中的に褒めるというのも手ではないか。

「おだてられると力を発揮するという人がいるが、それは本当の力ではない」

 という人もいる。

 それも当然の考えではあると思うが、人は理屈だけでは動かない。おだてられて、力を発揮するのであれば、それが本当の力でなくても、いいと思うのだ。そのうちに、その力が本当の力になるかも知れないし、それ以上に、本当ではない力が、そのまま本当の力にとって代わるかも知れない。要するに、何がその人の力なのだと、誰に分かるというのか、力として発揮されたものが、まわりから見て力なのだとすれば、それは本当の力ではないと誰が言えるというのか、そのことを、綾香は考えるようになっていたのだ。

 都合のいい考えなのかも知れないが、力だけが正義のような考えは、危険であると言われているではないか、まるで昭和の根性論のような発想は、本当に化石と言ってもいいだろう。

「古き良き時代」

 と言われるが、それはその時代のすべてを表しているわけではないのだろう。

 実際に、親からはよくそういう言葉を言われた。しかし、中学時代の先生の一人に、

「おだてられて力を発揮できるんだったら、それでいいじゃない。何をしたって力を発揮できない人だっているんだから、それを思えばマシなのよ。何もそんなに高みを目指す必要なんてない。無理をしても、決してあすなろは、ヒノキにはなれないんだからね」

 と言っていた。

 確かにそうだと思った。テレビやマンガの影響が大きいから、どうしても、何でもできてしまうような感情を抱かされるが、よくよく考えると、誰もがすべて何でもできるわけではない。学校の教育でも、

「何か一つ秀でたことがあれば、それでいい」

 という先生もいて、その答えを先生が言った時の質問は、

「どうして、こんなにいっぱいの科目を勉強しなければいけないんだ」

 と言った生徒がいたからだ。

 先生の答えを綾香なりに想像した時、たぶん先生は、

「たくさんのことを勉強して平均的に何でもできるようにならないといけない」

 というのだろうと思っていたが、違っていた。

「たくさん勉強していく中で、どれが自分に合っているかを探すためじゃないかな? それにね、いろいろなことを勉強しているので、どれも関連性がないと思うかも知れないけど、勉強すればするほど、それらの学問がどこかで繋がっていることが分かってくるものなんだ。それが分かってくると、自分の目指したいものが見えてくるんじゃないかって先生は思うんだよ」

 と言っていた。

 なるほど、これも確かにその通りであった。一つのことに特化するのは大切なことだと思うが、特化することのまわりには、いくつもの派生部分がくっついている。その部分を理解しようとしなければ、本質が見えてくることもなく、本当に自分に合っているものなのかどうかすら分からないまま、結局中途半端になるのではないかと思うようになったのだ。

 綾香は、大学に入ってから友達も増えたが、モテていたこともあってか、かなり気分は女王様のようになっていた。

 そんな綾香を見かねて注意を促してくれる友達もいたが、綾香は利く耳を持たななかった。

 大学に入ってから友達になった人は、高校時代からも綾香がモテていたと思っているかも知れないが、高校時代までは本当に目立たない女の子だったのだ。

 大学に入って変わったのだが、そんなに変わったというわけでもない、髪型を少し変えて、制服からワンピースなど少しお嬢様風の服を着るようになると、一気にそのかわいらしさが開花したのだった。

 まるでアイドルのような感じだった。

 まわりの男の子は、まるでアイドルの推しにでもなったかのように、ちやほやしてくれる。友達の女の子と街を歩いていると、芸能事務所のスカウトマンが、声を掛けてきて、名刺を渡していく。

 街を歩いていて頻繁に男性に声を掛けられるが、半分以上は芸能プロダクションのスカウトだった。

「ナンパなんて皆してくるけど、芸能スカウトがここまでいっぱい来るなんて、やっぱり綾香は目立ってるわよね」

 とまわりから、ちやほやされた、

 しかし、まわりの友達が皆、ちやほやしてくれるわけではない。むしろ、嫉妬心を剥き出しにしている子もいるというのに、綾香はそんなことも分からずに、ちやほやされていると思い込んでいる。

 とにかく、自分に本当の自信があるわけではないのに、まわりがちやほやしてくれることで、自分がもてているということを正当化しなければ、自分の存在価値はまったくなくなってしまうとすら思っていた。

 それだけ、高校時代までは暗く寂しい女の子で、実に狭い世界の中でだけ、存在価値を見出せていた。

 それが急にちやほやされ出したのである。自分を見失ったとしても、それは無理もないことだ。

 だからと言って、誰かが助けてくれるわけではない。途中で挫折して、どうすることができなくなったとしても、まわりは同情などしてはくれない。

「自業自得」

 と言って上から見下ろされて嘲笑されるだけであった。

 そんな日が来るなど思ってもみなかった。

 付き合ってほしいと告白してくる男はたくさんいた。

 最初は、断っては失礼だと思って、付き合ったのだが、なぜかあれほど最初に、

「君のことが好きだ」

 と言って、その後も腫れ物に触るように大切にしてくれていたのに、実はそれが、男にとっても、絶えず安心できないものだとは思っていなかった。

 綾香とすれば、

「私を好きになってくれたんだから、私のわがままくらいは聞いてくれる」

 という思いもあったのも事実だった。

 彼女は絶えずまわりからちやほやされる。ちやほやされると断り切れないのが彼女のいいところであるが、男にとっては、やり切れない。

 本心がどこにあるのか分からずに、

「私を好きになってくれた人を無視できない」

 と、まるで最初に彼に感じたのと同じ思いを抱いた。

 彼に対しても抱いたのだから、他の男性にも抱いてあげないと不公平だと綾香は思った。しかし、それは絶えず彼女に対して不安を抱いている彼にとっては、嫉妬の塊りとなって押し寄せてくる。

 彼も思うのだ。

「どうして、俺がこんな気持ちにならなければいけないんだ」

 と……。

「その憤りを彼女本人にぶつけることはできない。何しろ人気がある彼女を独り占めできているという自負から、みっともない恰好はできないという思いもあるのだ。だが、そんな気持ちをスルリと抜けようとする彼女の無慈悲な態度に怒りがこみあげてくる。どうして、俺をここまで怒らせるんだとしか思えないんだ」

 と、彼は感じるのだ。

 そこまで来ると、今度は彼が冷静になって考える。そして考えるとすぐに答えが見つかった。

 彼女が好かれるのは、誰に対しても同じように接しているからで、だから、自分も彼女にアタックすればうまくいくのではないかという打算があったはずなのだ。そう思うと、彼女だけを責めるわけにはいかないが。このまま付き合いを続けると、お互いにロクなことにはならない。

 そう思うと、別れは必然的に彼の方からになってくる。

「どうしてなの?」

 と、まさか彼女の方もいきなり宣告されるとは思っていなかっただけに、その瞬間、立場が変わってしまったことを感じた。

 綾香の方も、自分の尻尾を男が追いかけてきていることに気づいていた。

「尻尾を振れば追いかけてくるネコのようだ」

 と感じていたのだろう。

 それだけに、相手が踵を返して上から目線でこっちをフルのが分かると、

「何よ、一体。何様のつもりなの?」

 とでも言いたげだった。

 自分も、他に言い寄ってくるたくさんの男がいるのに、彼の手前、うまくいなしているつもりだった。だか、それをどうして分かってくれないのかと思うと、そこから先は平行線でしかない。

 その時初めて、自分たちが合わないということに気づくのだ。

 ただ、綾香とすれば、別れを告げられたのが自分の方だということに我慢ができなくなっていた。この思いは女としてのプライドなのか、こっちが優位に立っていると思っていたものを根本から覆されたことからなのか、とにかく、綾香にとっては男が自分に靡いているのが、自慢だった。付き合っているということの証明でもあったのだ。

 男の方は、まったく振り向きもせずに歩いていってしまう。

 もし、彼に新しい彼女ができたのだとすれば、その彼女を恨むことで、気持ちを整理することもできたかも知れない。それがいい方法なのかどうか分からないが、仮想敵を作ることで、感情を覆すことができるのだった。

 だが、彼に新しく彼女ができたというわけではないようだ。それなのに、あの晴れやかな顔をしているというのか、

「やっと自由になれた」

 という顔をしていた。

 それだけ綾香は、彼のことを縛っていたのだろうか。別に束縛していたという意識はない。では、彼が示したあの自由になれたという感覚はどこから来るのだろう? その時の綾香には分からなかった。

 彼に、

「どうして別れることになるのか、ちゃんと説明してよ」

 と言って詰め寄ったが、最初は彼は黙して語らなかった、

 それを彼の優しさだとはまったく思わず、

「別れの理由を説明することなく別れようなんて、卑怯よ」

 と追い打ちをかけてしまった。

 本音は。

「どうせ別れるのなら、その理由を知ることで、少しでも相手が悪いと思えることであれば、相手を恨むことで少しでもショックを減らしたい」

 という思いがあったからだ。

 よしんば、別れの理由に、彼にまったく非がないとしても、

「理由を理解さえできていれば、これ以降も私は恋愛に関して考えを深くすることができて、これはその授業料みたいなもの」

 という、まるで、転んでもただでは起きないという気持ちを言い訳にして、どちらにしても、知らないより知ることの方がメリットがあると思ったのだった。

 さすがに、彼もここまで言われると、意を決していうことにしたようだ。彼としても、文句の一つも言いたいと思っていたのかも知れない、

「君はいつも自分のことばかりで、まわりのことを見ていない」

 とハッキリと言った。

「何よ、それ」

 と吐き捨てるように言ったが、

「これ以上でもこれ以下でもないのさ。ゆっくりと考えてみればいい」

 とこちらも吐き捨てるように言ったのだが、言葉の重みは彼の方が遥かに重かったのが分かった。

 綾香の方も、頭に血が上ってしまい、何かを言い返したいと思ったが、頭に血が上ってしまったせいか、何も言えない。もっとも、頭に血が上っていなかったとしても、言い返すことはできなかっただろう。冷静に考えれば考えるほど、綾香に何も言い返す言葉などあるわけはなかったからだ。

 その時は分からなかったが、彼の気持ちが最後の言葉に出ていたことが分かった。そして、それが彼の本音であり、綾香のことを、もう愛することはできないと言ったのと同じだった。

 それは、彼が言った、自分のことばかり見ていて、まわりのことを見ていないというところであった。

 普通付き合っている関係の男女であれば、まわりというところを、俺というのではないだろうか。つまりは、

「君はいつも自分のことばかりで、俺のことは見ていない」

 というはずである、

 なぜなら、今の会話は別れについての理由を聞かれているのに、自分がどう感じているかということをいう場面で、第一人称が出てこないというのはおかしいではないか。

 それを、まわりという言葉でごまかしたのだ。それは、二人の関係の中で、自分が思っている二人は、すでに付き合っていないということを言いたかった。だから、自分という言葉を口にしたくなかったのだろう。

 綾子は、この言葉を聞いてショックだった。それは、自分が自己中心的な人間だと言われていることに対して、自分としてショックだと思っていたのだ。すでに別れを告げられた相手を引き付けておこうというつもりはなかった。だからこそ、別れに対しての理由が必要だったのだ。

 だが、このセリフは明らかに彼が悪いというわけではない、何しろ、彼の口から自分自身のことが出てこないからだ。それはあくまでも綾香が彼に理由を聞いたわけを最初から分かっていて、そうはさせじと、考えて答えたのではないかと思うと、これほど癪に障るものもなかった。

 こんな言葉で綾香は別れることを納得できるはずもない。

 どっちに転んでも、何かを得られると思っていた綾香の考えは、脆くも崩れ去ったのである。

 そして、残ったのは、自己嫌悪であった。

 こっちの考えを簡単に見破られたという思いと、これでは、最後まで自分が悪者であることが確定してしまったかのような結果がいたたまれなかった。

「自分で自分の首を絞めてしまった」

 墓穴を掘ってしまったことに、後悔の念は激しくなり、綾香はそのことを自分でまたしても理解できない状態になった。

「自己嫌悪は自分でなるものであって、こんな形でなるのは初めてだ」

 と感じたのだった。

 そして、その後、しばらくしてまた告白してきた人と付き合うことになった。最初こそは前のことがあったので、少し戸惑ったのだが、結局押されて付き合うことになったのだ。

 だが、今回も長続きしなかった。その理由は

「モノを捨てられないこと」

 にあったのだ。

 綾香は、最初に付き合った男からプレゼントしてもらったものを捨てられなかった。捨てられないどころか、それをそのまま身につけているほどだった。

 別れても、すぐの頃は必至で彼のことを無視しようとしたが、一度は好きだと思って付き合っていた人なだけに、別れてしまうと、思った以上に未練が残ってしまったのだ。

 彼は完全にこちらを意識していないようだった。何しろ相手から別れを告げてきたのだから、未練などあるはずもない。逆に未練を持たれてしまっては、自分が惨めになるだけだと思ったので、こちらを無視してくれるのはむしろありがたかった。

 しかし、そのくせなぜか、相手が意識しないことが、却って自分が意識することになろうとは思ってもいなかった。チラ見してしまう自分がまるではしたない女になったかのようで、恥ずかしかった。

 ただ、彼がたまに綾香を意識することがあった。その意識する先が、手だったり耳だったりするのが気になった。最初はなぜなのか分からなかったが、彼の表情を見ているうちに気づくようになった。

 彼の表情は、

「お願いだから、勘弁してくれ」

 とでも言いたげな複雑な表情だった。

 それは綾香にしか分からないことであり、他の誰も分かるはずはないと思うのだった。

「そうだ、私。彼からもらった指輪だったり、イヤリング、さらにはネックレスもしていたんだ」

 と気付いたのだ。

 だが、綾香はそれを気にしていなかった。彼がなぜそんな表情をするのが分からない。綾香には、

「別れた相手からもらったものを身につけるなんて、相手に失礼というよりも、自分のプライドが許さない」

 という感覚が分かっていなかったのだ。

「もらったんだから、していてもいいんじゃないの?」

 という程度にしか感じておらず、

「それなら、捨ててしまえばいいじゃないか?」

 と言われたとしても、元々がモノを捨てられない性格だということもあり、すてることもできない。

 それに、せっかく身体にピッタリきているのだから、使ってもいいじゃないという思いから、実用性重視に考え方がシフトしていたのだ。

「別れた相手に貰ったものをつけていて何が悪いというの?」

 と、自問自答をしてみた。

「せっかくもらったのに、使わなかったり、ましてや捨ててしまうなんて、モノに対して悪いわよ」

 と考えていたのだ。

 綾香がモノを捨てられないというのは、整理整頓ができないというだけの理由ではなく、本当に物持ちがいいということにも繋がっているのではないだろうか。

 そういう意味で、モノを捨てられないというのが、本当に悪いことなのかと、最近は感じるようになった。

 そのせいもあってか、整理整頓ができないのは相変わらずだが、モノを捨てられないことに関して正当性ができた感じがして、自分で自分を納得させられたことで、安心感が広がったのだ。

 そのおかげからか、彼への未練は急速になくなっていった。彼からもらったものを想い出として持っていればいいと思ったからだ。

「思い出は自分だけのもので、まわりからとやかく言われるものではない」

 と考えるようになり、大っぴらにつけるようになった。

 もちろん、まわりの人はそれが、元カレからのプレゼントなどと思わないので、誰も何もいう人はいなかった。

 たまに、気にする人がいても、

「そのアクセサリーに合っているわ」

 と褒めてくれる人ばかりなので、実に楽しい気持ちにさせられた。

 しかし、それが以降の交際に響いてくるとは思ってもいなかった。

 本当は誰にも気づかれていないと思っていたのは、綾香の勝手な思い込みだった。考えてみれば、イヤリングやネックレスは別にして、指輪はさすがに目立つというものだ。それを指摘しなかったのは、下手にその話題に触れて、女性同士で余計な諍いを起こすことを避けていたからだろう。

 今は綾香のことだけど、もし自分が同じ立場になれば、攻撃されることは確実に分かっていたからだ。

 だが、男はそのあたりをあまり気にしない、デリカシーがないというべきか、いや、それだけ綾香のことを好きになったからではないだろうか。もしそうであれば、綾香はその男性に対して実に失礼なことをしているわけで、指摘されたり嫉妬されたりしても、それは本人が悪いのだ。

 だが、前述のように綾香はそのあたりには無頓着だった。だから、指摘されるとどうして自分が指摘されたのかを悟ることもなく、結果、相手を傷つけていることも分からずに。どうしていいのか分からない状態になった。

 それでも、まだお互いに付き合い始めてすぐであれば、

「俺、何か勘違いしていたようだ。さよなら」

 と言って、軽く捨てられることになるだろう。

 だが、少々深い仲になってくると、相手は気心が知れて、お互いに情も移ってしまったことから、そう簡単に別れを切り出せなくなるだろう。

 相手はきっとこういう。

「俺が新しいのを買ってやるから、元カレのものなんか捨ててくれ」

 というかも知れない。

 ただ、綾香の方とすると、

「あなたと、元カレとは別次元の人なの。そうじゃなければ、私は恋愛ができないと思っているの」

 と感じていたので、どうして彼が元カレと自分を比較するのか分からなかった。

 普通に考えれば、それが嫉妬から来るものであって、嫉妬心というのが、自分のことを愛してくれているという証拠にもなるということを、どこまで分かっているのかということである。

 綾香の理屈は、相手には、

「自分勝手な都合のいい解釈」

 としてしか映らず、そうなると、またしても、

「交わることのない平行線」

 を描くことになると分かってくるのだった。

 交わることのない平行線という考え方は、元カレと別れてから少しして気付いたことであった。どうしてこんな簡単に分かる理屈が分からなかったのかと思ったほどだが、それを、

「これが初恋だったからで、仕方のないことなんだわ」

 と、綾香は考えていた。

 だが、そうではないことを、新しくできた彼から思い知らされた。理由はその時々で違うということも分からずに、ただ、

「私は男心が分かっていないんだ」

 ということだけは分かった。

 それを、異性という医学上の身体的な違いに見出してしまったことで、さらに余計な結界が自分の前にできてしまったのではないかと思うのだった。綾香は自分がいかに分かっていないのかということだけは分かったのだ。

 とはいえ、やはり、元カレからもらったものを捨てることはできず、彼の前に出る時だけつけてこないようにすればいいと思ったが、それは甘かった。

 一緒にいない時でも、彼は同じ学校なのだから、廊下ですれ違うこともあるだろう。彼がそこまで気にしているとは思ってもいなかったので、まさか見つかるとは思わなかった。

「どうして、俺のいうことを聞いてくれないんだ? いや、一度は聞いてくれたんだよな? ということは、裏切られたということか?」

 と、切実に訴えてきた。

 さすがにそれを聞くと、綾香の中で、

「この男、何て女々しいのかしら?」

 と感じた。

 まるで重箱の隅を突っつくように、綾香を監視している。そこまで監視されれば、まったく身動きが取れなくなって、自分はどうすればいいのか分からなくなってしまうだろう。それを思うと、綾香は、

「もう、この男とは終わりだわ」

 と、今度は自分もキレてしまっていることに気づくのだった。

 最初は、結構綾香のことを気にする男もいたが、次第に気にする男子が少なくなってきていた。もちろん、容姿は綺麗なので相変わらず目立っていたが、それだけに、気になる人と無視する人が極檀だと言ってもいい。無視する人も、綺麗だとは思いながら、

「こんな女は好きになれない」

 という人がいるかと思えば。

「こんな女に関わってしまうと、ロクなことはない」

 と思う人もいて、それだけ綺麗なだけに、辛辣な感情を抱いている男の人も多いということだ。

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