本当にやらかした奴の顔だ。

加藤とぐ郎No.2

バカップルの進化前

 津野読高校、漫研部部室にて。

「古典Bが無い!古典Bの教科書が無い!」


 私の隣で騒いでいるのは同じクラスの北原小百合。教科書が無いらしい。


「カバンひっくり返しな。」

「してるよ!でも無いのよ!」

「じゃあ机だね。教室行こうか。」


 教科書一冊ごときにこれだけ騒がしくできてしまう、ふっおもしれー女、と漫画の世界なら即行で言われるであろう小百合は廊下を早歩きで二階の二年C組の教室へ向かう。


「あれーないよ?」

「ヤバイね。古典でしょ?ダーヤマ先生はいかついから。」

「体罰待ったなしだよぉ。」

「最後に見たのはいつ?」


 小百合は考える人のポーズを取って、これからどんな名推理を聞かせてもらえるのかと、ついこちらが身構えてしまうほど考え込んでいた。


「ちょっと待ってね。たしか~。」

「たしか?」

「あ、阿倍に貸したわ。」


 阿倍は二年A組の男子で、サッカー部だ。


「サッカー部ならグラウンドだ。まだ練習始まってなさそうだし、早いとこ回収しに行こう。」

「穂香ごめんね。付き合わせちゃって。」

「良いってことよ。」


 本当にこの子といると退屈しない。私たちは外靴に履き替え、グラウンドに回ることにした。


「え、北原と水谷さんじゃん!え、どうしたの?誰呼べば良い?」

「なんだなんだ!」

「え、ワンチャン、コクハク説あるぞ!」

「阿倍来い!」


 ドスの効いた小百合の声に、猿みたく喚き散らしていた二年サッカー部の男子は全員沈黙してしまった。私は小百合の後ろで笑いを堪えるのに必死だった。


「は、はい阿倍です。」

「古典B。」

「あっヤバ。」

「何が!?」

「いや、その。」


 阿倍が何かやらかしたようだ。彼は丸刈りのくせに問題児だから、言葉を詰まらせているだけで嫌な予感がする。ん、いや問題児だから丸刈りなのか。


「今は何もしないから、早く白状した方が刑は軽くなるよ。」


 蛇に睨まれた丸刈りの蛙に、私はすかさず言葉をかけた。


「斉藤に貸しちゃった。」

「斉藤は科学部。小百合、今日は科学部あるから、実験室に行こう。」

「阿倍、死罪。」


 そう言い残し、私たちは上靴に履き替え、四階の化学実験室へ向かった。


「斉藤ってさ、文系なのに科学部の奴でしょ?」

「逆じゃない?」

「どっちでも良いって。てか阿倍マジでヤバイわ。」

「それな。」


 四階分上がるだけで、二人とも息切れしていた。木製の戸を開くと、二年B組の斉藤がいた。制服の上に白衣を着て、大人しそうな雰囲気を持っているが、眼鏡の奥に驚くほど綺麗な瞳を光らせていた。彼は美形で、学校内のファンも多い。


「斉藤くん、だよね?阿倍から古典Bの教科書借りなかった?」

「え、借りたけど、もしかして君のだったの?えと。」

「北原小百合。」


 彼は小百合の名前を知らなかったようなので、私はこっそり教えてあげた。


「北原さんのだとは知らなくてさ、二年C組の和也、あー土田和也って人に貸しちゃったんだ。本当にごめん!」

「はあ!?くっ……。まあ、知らなかったんだもんね。しょうがないか。またね斉藤くん。」

「また。」


 実験室を出ようとすると、私だけ斉藤に呼び止められた。


「水谷さんは付き添い?」

「そうだよ。聞きたいのはそれだけ?」

「え、うん。」

「斉藤って又貸しとかするんだ。」

「いや……すみません。」


 暗い顔をした斉藤を残し、私は急いで小百合の後を追った。


「いやぁほんとうちの高校どうなってんの?てか、うちのクラス今日古典1限目だよね?」

「そういえばそうだ。土田は何で斉藤から借りたんだろう?」

「土田バド部だっけ?めんどくさいんだけど。」


 私たちは体育館へと歩みを向けた。


「なんかわらしべ長者みたいだね。」

「だとしたら私、何も貰って無いんだけど!交換してないし、どっちかというとお役所だわ。」


 文句を言いながらバドミントン部が使っている第一体育館に着いた私たちは、知り合いの女子バドミントン部の生徒に土田を呼び出してもらうことにした。


「どうしたの水谷さん?」

「用事があるのは私なんだけど?」

「えぇ北原かよ。」

「やんのか!?」

「まあまあ。」


 このまま喧嘩になるのも面白そうだったけど、さすがに友達として止めておいた。


「で、用事って?」

「教科書。斉藤くんに借りたでしょ?あれ私の。」

「そうなの?名前書いとけよな。」

「それはそう。小百合が名前書いてないのも一因だよ。」

「ごめんなさい。ってそうじゃない!私の教科書どこやったのよ!」

「斉藤に返したけど。」


 それは驚き。


「あんま話してると顧問に怒られるんだ。悪いけどそういうことだから。じゃあな。」

「ちょっ、待ちなさい。」


 土田は白々しく申し訳なさそうにしながら部活動に戻ってしまった。しかし土田が嘘を言ってないとすれば斉藤が持っているということになる。これはもう一度、実験室へ行く必要があるようだ。


「ほんとに信じらんない。」

「話がややこしくなってきたね。」

「やっぱ文系で科学部は信用ならないわ。」


 再び木製の戸を開くと、やはりそこには斉藤の姿があった。


「斉藤くん。土田は斉藤くんに教科書返したって言ってたけど、どういうことなの?」

「え!?そんなはず無いよ。僕が嘘つくメリットなんて無いじゃん。」

「じゃあ私の教科書はどこ行ったの?」


 事態が複雑化したので少し整理する。私は冷静に考えた。土田が教科書を返したのに斉藤に返ってきてない理由とそしてそもそも土田が教科書を借りた理由を。


「多分土田、誰かに頼んだんだよ。この教科書を斉藤に返しておいてくれって。」

「なるほど!さすが穂香たん頭良い!」

「で、斉藤。土田に貸したのは本当に古典Bだった?」

「え……、いや違う!日本史Bだ!」

「つまり?」


 要するに。


「今、日本史Bの教科書を誰かが持ってるってこと。」

「「おおお!!!」」

「ん?いや私の古典Bは!?」


 結局、斉藤は古典Bを借りた後、阿倍に返すように、サッカー部のマネージャーである由希ちゃんに手渡したそうだ。

 現状、考えられるとすれば由希ちゃんが持っているということになるが、由希ちゃんは昼休みの後早退してしまったので、私たちにはどうしようもなかった。


「はああ。無駄に校内歩き回っただけじゃん。」

「ドンマイ。こういう日もあるよ。教科書は明日由希ちゃんに持ってきて貰えば良いじゃん。」

「でも由希ちゃん明日学校休んだら?」

「その時は誰かに借りれば良いよ。」

「もういいわ!」


 二人が疲れ果てた足取りで漫研部部室に帰ろうとした時だった。廊下の先に、一人の少年が立っているではないか。


「北原。」

「ひ、弓木くん!?」


 小百合に話しかけたのは、同じく二年C組の弓木裕人だった。彼は無口で愛想が無いが、小百合はそこが好みらしい。といっても彼は少々人見知りで、あまり親しくない人間の前だと口数が減るだけで、気心の知れた仲間の前では流暢に喋る。

 彼の右手には教科書があった。


「それ。」

「これ北原のだろ。原田に頼まれて阿倍に返そうと思ったら、北原が探してたって。」


 どうやら由希ちゃんは早退する前に、弓木に託していたようだった。だとすると私たちはどこかですれ違っていたかもしれない。


「あ、ありがとう。」

「うん。どう、いたしまして。」


 二人ともほんのちょっぴり顔を赤らめて、見せつけてくれるものだ。小百合の相談に何度かのっていたが、この有り様を見る限り、脈ありなようなので問題無さそうだ。

 それほど、二人はお似合いだった。なんと言うか、バカップルの進化前のような感じがする。


「それでさ、……やっぱなんでも無い。」

「はぁ、何それ。え、言ってよ。」

「聞かない方が良いよ。」

「だめ。」


 弓木はわかりやすく狼狽えていた。小百合にせがまれ根負けしたのか、弓木は諦めて言葉を吐き出した。


「落書き。誰が書いたか知らないけど、書かれてたから、消しといた方が良いよ。それじゃあ!俺もう行くから!」

「弓木くん!?」


 彼は顔を真っ赤にして逃げ出してしまった。落書きとはいったい何のことだろう。


「落書き?」


 小百合は不思議そうに、古典Bの教科書を1ページ目からパラパラとめくった。そしてとあるページにあった黒鉛で書かれた落書きに手が止まった。私は思わず、それを口に出して読み上げてしまった。


「ゆみきさゆり。あっ。」


 彼女の顔を見上げると、私はあまりの可笑しさに笑い転げてしまいそうだった。だって彼女がまるで絵に描いたような、本当にやらかした奴の顔をしていたから。

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