第3話 夕日の涙


 学級委員が決まると、残りのホームルームの時間を考慮した生徒達は他の委員を矢継ぎ早に決めた。


 これは半ば強制的に学級委員を決めた担任である鞍馬の目論見通りといったところか。


「えーっと。これでクラスの全ての委員は決定しました。来週の水曜日の放課後にそれぞれの委員会があるので、委員になった方は忘れずに出席してください。ではまた明日。」


 そう言い残すと、そそくさと教室を出て行った鞍馬の背中を憎しみを込めて視線を送っていると、隣にいた結城が話しかけてくる。


「あの‥これからよろしくね。進藤君‥」

 

 何か伏し目がちに妙によそよそしい感は否めないが、まあほぼ初対面だし、いきなり馴れ馴れしくされるのも変な話だからこのくらいの距離感が丁度いいかと「あ、はい。よろしくです。」と短く答えると自分は自席のスクールバックを肩にかけて下校しようかとしていると、左腕の袖を引っ張る者がいる。結城かなみだ。


「あの‥早速でほんと申し訳ないんだけど、鞍馬先生からこれ頼まれてしまったんだけど‥」


 そう言って一枚の紙を見せてくる。


「下校チェックリスト?」

「そう。本当は生活委員の人がやるんだけど、最初の委員会が開催される迄は先生方が教室の施錠や下校の見回りをするらしいの。でも鞍馬先生忙しいから学級委員の二人でやって欲しいって頼まれてしまって‥。」


 困ってる口調なのに、どこか嬉しそうな感じもする結城の態度に自分は違和感を感じていたが、それ以上に担任である鞍馬に対する怒りが沸々と湧き上がっていた。

 

 学級委員はクラスの仕事をするのであって担任の使いっぱではないのだぞ!と抗議したいところだが、当の本人はそそくさと職員室に逃げ込み、今頃押し付けられた仕事に苛立ちを覚えながらこなしている事を考えれば、こちらが折れるしかないようだ。


「そうなのか‥まあ自分は大丈夫だけど、結城さんは大丈夫なの?本当は部活見学とかする予定だったんじゃない?」

「え!いや!全然大丈夫!私はもう吹奏楽部に決めてるし‥それに‥いや、大丈夫!大丈夫!大丈夫‥。」

 

 そう言って不自然に言葉に詰まるとまた下を向いて視線を逸らすのは彼女の癖なのか?と思うが単に自分と話すのが苦手なのかもしれない。何せ人望の厚さがきしめんレベルの人間だからな。


「そうなのか。ならとりあえずは施錠のチェックして、部活動の終了時刻まで時間を潰していればいいのかな?」

「そ、そう!進藤君は3階と4階を、私は1階と2階を見て回るから!終わったら1年2組の教室で待っててね!」


 結城はもう一枚持っていた校内図に施錠箇所を記載した施錠チェックリストを渡すと、逃げるように行ってしまった。


 そんなに苦手認定されているのかと思うと些かショックを隠せないのだけれど、任された仕事は全うせねば!という変な責任感、いや義務感に駆られた自分は自クラスである1年2組の教室を出てまだちらほらと残る生徒を脇目に施錠箇所を確認していく。

 

 大した数もないし、窓が開けっぱなしになっていないか、使用していない特別教室が施錠されているか。の二点を確認出来ていれば仕事は終わりなのだ。順調に3階から4階に上がり、一通り施錠箇所を確認すると、気づけばちらほら残っていた生徒は下校するか部活動へと行ってしまい、残った音と言えば自分の足音だけで、その音も新品のサンダルがリノリウムの床に擦れて反響しているものだった。


 全てのチェックリスト箇所を確認した自分は言われた通り1年2組の教室がある3階に戻ろうかと思った時、ふと4階の上階、屋上が気になった。屋上は施錠チェックリストには載ってなかったし、常時施錠されている屋上の施錠を確認する必要はないのだろうけど、この時は不思議と屋上がどうなっているのか気になったのだ。


 本来なら3階に降りる階段を上へと上がると、その先は拍子抜けしたものだった。踊り場には雑多に置かれた過去の文化祭で使われた立て看板と、カラーコーンが埃を被って置いてある。本来の目的である屋上に通じる扉も固く閉じられていると思いきや、扉は意外にも半開きになっていた。


 となればこの異変に興味を持たない方が無理というものだろう。自分は白いペンキで塗られた鉄の扉を向こうへと押し開けた。夕日が差し込む屋上、そこには誰もいるはずのない場所。そんな寂しげな場所に一人の女性がいた。フェンスの向こう、グランドの方を見つめては憂いを帯びた表情。彼女は昨日見た、散りゆく桜を見上げるあの時の美しさをそのままに、頬から涙を溢していた。


 自分は正直言って見ていないフリをしてこのまま1年2組の教室に戻ろうかと。そう思った。彼女の横顔はあまりに美しい。この世に並ぶ美しさはないと、本気で思った。その人が泣いている。


 それでも自分には彼女に言葉をかける自信がなかった。初めて彼女を見たあの日、あの日に感じた危うさがすぐそばにある気がした。


 だからと言って大丈夫ですか?


 なんて陳腐な言葉をかけて彼女が「ありがとう。大丈夫。」とでも言ってくれると思うだろうか。自分は怖かった。きっと彼女ならこう言うだろう。


「放っておいて。あなたには関係ない。」


その言葉を聞くのが怖かった。どうしようもなく怖かった。彼女に対する思いはおそらく好意だろう。それ故に嫌われたくない。だから自分は姑息な手段を使った。わざと扉を大きく開けて音を作り出した。


 すると音に気づいた彼女は流していた涙をブレザーの袖で拭った。


「あれ?おかしいな。ここ立ち入り禁止だよ。鍵閉めるの忘れてたな。」

 

 その言葉にはいつもの毅然とした強さは無く、どこか虚な感じがした。


「そうみたいだね‥実はさ、鞍馬先生に頼まれてて、見回りしてたんだよね。弓木さんも早く帰らないと怒られるよ。」


 心とは裏腹に出た言葉は決して彼女の事を思いやったのではない。それしか言葉に出せなかったのだ。弱い自分は彼女の心に踏み入る事を恐れたのだ。

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