第2話 はじまり
春爛漫、桜がひらひらと舞い落ちては薄桃色の絨毯を敷く。スクールバックを肩にかけ、これから何度も通うであろう学舎から校門をくぐり外に出る。ダラダラと続く下り坂を先行く生徒達が楽しげな会話をしながら下校する姿を横目に、自分は一人で坂道を下る。流れ行く人の流れの中にふと一人の女性が足を止めた。それに気づいた自分は何故か同じように足が止まる。彼女は暖かな日差しを眩しそうに手で遮っては桜を見上げると、東の風が彼女のモカブラウンの髪の毛をふわりと靡かせた。不思議と陰鬱だったさっきまでの気持ちは無くなり、意識は一気に彼女へと向けられていた。
弓木芽衣。彼女の名前は入学する前から知っている。彼女の出身中学も、彼女が母子家庭であることも、そして何より人を魅了するスラリとした長身、透き通るような白い肌、筋の通った鼻筋、ヘーゼルカラーの瞳にくっきりとした二重瞼。そして時折見せる天使の様な笑顔が特に人を魅了することも。なにも知っているからと言って自分が彼女のストーカーであるかのような認識をされたらそれは誤解だ。大きく誤解だ。これは周知の事実であり、自分が知っていることなんて、何も特別なことは、一つもないのだ。
隣の市の中学にそれはもう絶世の美女がいる。先輩からの情報に色めきたった愚かな中学生達(無論そこにもれなく自分もいるわけだが)は、彼女が練習しているという県立の陸上競技場に迷惑そっちのけで駆けつけた。美しい肢体を軽やかに用いては県大会記録の走高跳びのバーを悠々と超えて見せた。掛け値なしに彼女は輝いていた。しかしその輝きとは裏腹にどこか遠く。違う景色を見ているような気がした。そんな美しさと危うさに、自分は見惚れていた。
「なあ、咲空ぁ。どう思う?」
「どう思うって?」
「いやさあ、この世は需要と供給で成り立ってるわけじゃん?そしてその均衡が成り立つことで、もっとも素晴らしいパレート最適となるわけだろ?だけど世の中はおかしいのさ!」
「おかしいって何が?」
「だってさ、男性と女性が概ね半分づついる状況の中で、男性の生涯未婚率が28.25%、女性が17.85%と乖離が生じていることだよ!!これは男性が複数回結婚する人間がいることで女性の生涯未婚率を下げている。ってことらしいんだけど、それはつまりモテるやつは2回以上結婚してるってことなんだよ。しかしだよ?それによって結婚願望のある女性がマッチングされることで、我々のような非モテ男子と結婚してくれる女性が減ることになるのよ。つまり!みんなが幸せになるには一人が一回づつ結婚する方がより多くの人が幸せになれるのに、モテる男がそれを阻害しているんだ!許せんだろ?これはもはやモテる男子を人類幸福のためにも絶滅させるべきだと思うけど、咲空はどう思う?」
入学して二日目のホームルーム中に何を思ったのか唐突に始まった小学生以来の友人である佐藤亘の与太話は思いの外真剣な話なようで、とりあえずは「ふーん。」とか「へぇー」とか気のない相槌をしていたのだが、教卓を目の前に、学級委員が決まらない苛立ちと、平気で後ろを向いて私語を話す不良生徒、紛れもなく佐藤亘を睨みつけた我がクラスの担任、鞍馬光は名指しで亘の名前を呼ぶ。
「おーい。そこの楽しげに話す佐藤亘君。君はこのクラスの学級委員を決める大事な時間に、何を話しているのかね?」
明らかな苛立ちの様相を呈している中で、ある意味馬鹿なんだけどもある意味真面目な亘は神妙な面持ちで答える。
「先生。自分は将来を真剣に考えています。このクラスはもとい、日本の、いや世界の幸せを真剣に考えているのです。どうすれば世界の最大幸福を増やせるのか。目下クラスメイトである進藤君と議論していたところです!」
その実どうすればイケメンを合法的に抹殺出来るかを議論していたのであれば、とんだ議論だ。と心の中で突っ込みを入れつつ対岸の火事を決め込む自分は顔を下げて視線を合わせないようにする。
「ほう?その世界の最大幸福を増やす方策を前にこのクラスの学級委員を決める方が簡単だし、なんなら迅速に決めてくれれば、その後ならいくらでも議論してくれていいんだが?そのことについてはどう思うのかな?ええっと後ろの席の進藤君?」
まずい。話の通じない佐藤を飛び越してこちらに火の粉が飛んできた。これはどうしたものかと思案する間もない自分は選択を迫られる。
「えっと‥いやぁ。まあ学級委員は単純にクラスを纏められる人がやればいいかと‥。」
とお茶を濁した回答に、横から亘が割り込んでくる。
「ハイ!先生!その事については既に妙案が浮かんでおります!」
「ほう?佐藤君、君の意見には全く、期待していないが、意見だけは聞かせて頂こう。」
「はい!我が竹馬の友、進藤咲空は中学時代学級委員を勤めており、その功績は高尾山よりも高く、その人望はきしめんよりも厚いと先生方から評判の人物でした!是非!進藤咲空を推薦します!」
おいおい、高尾山って、そしてきしめんって!あんまり功績ないし、人望も薄いって。普通に悪口なんですけど!ちなみに高尾山の標高は599m、きしめんの定義は幅を4.5mm以上とし、かつ、厚さを2.0mm未満の帯状に成形したものとされているから、ガッツリ悪口である事は確かである。
「ほう?進藤君は学級委員やっていたんですね。なら是非やってもらいたいですね。なぜならもう下校時間が迫っています。つまり時間がない。そして新学期が始まりただでさえ忙しいのに、部活動やら研究授業の用意やらで忙しい。出来る事なら後10分以内に決めて残りの時間を明日以降の予定を説明する時間にしたいのです。もし、君が拒むというなら、この不毛な時間を更に繰り返し、私のみならず周りのクラスメイト達の貴重な時間を奪う事に心が痛まないのなら、是非断ってください。それは君の自由意志であり、私は強制しない。あくまで君の意志で行うことだからね。」
さも害悪の無い人間であるかのような笑顔を浮かべ、悪魔の所業を行う大人の恐怖を感じる。
「えっと‥」
と逡巡していると、申し訳なさそうに手を挙げる女子生徒がいる。彼女の名前は結城かなみ。もちろん名前は後で認識したのだが、その姿は既に知っていた。新入生代表として、入学式で答辞を述べた秀才だ。ちなみにメガネ女子だ。他意はない。
「どうしましたか結城さん?」
「あの‥私が女子の学級委員やります‥」
その声に思わずクラス全体から「おお!」と感嘆の声があがる。
「ありがとう結城さん。これで女子の学級委員は決まりましたね。となると後は男子ですが‥どうですか?進藤君?」
完全なる包囲網が敷かれた自分は兵糧攻めを受ける前に降伏した。いや屈服した。
「わ、分かりました。」
その後、降伏文書いや、学級委員の名簿に署名すると、晴れて学級委員に任命されたのだった。
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