第5話

可愛い要。

私の要。

可愛い可愛い小さな悪魔。

あの子が生まれた時、弟が生まれた喜びと畏れに震えた。

直感したのだ。この子は、大成する。私なんか足元の蟻にも及ばぬほどに、大成するのだと。


要は生まれながらの天才だった。

特にその頭脳は、誰よりも賢かった。

私は置いていかれぬよう、訓練に必死に打ち込んだ。


要は生まれながらの天才だった。

やろうと思えばなんでもできる要は、故に面倒を厭った。

訓練は嫌だと感じたらしく、そのずば抜けた異能を綺麗に隠して見せた。


あの子の異能の才能に気づいたのは多分、私だけ。


指摘はしなかった。私はずるい。


代わりに、菓子を与えた。目一杯甘やかした。

それは甘美な毒だった。


可愛い弟である事は本心だった。

死なれたくないのも本心だった。

次期当主の座を奪われたくないという思いが、一番の本心だった。


弟は生まれながらの天才だった。

最初から努力していれば、誰よりも称えられる稀代の戦士となっただろう。

でもそれを自ら放棄して、彼は私の努力を讃えた。

誰から蔑まれようと気にも留めない。

私は才能に価値を見出したが、なんでも出来る弟には努力こそが価値だった。


……そのまま。

そのままでいてほしい。


ぶくぶく太って、大人になって仕舞えば、いくら大天才といえども、心変わりをしようとも、後戻りできまい。


それに、私には剣しかない。


弟ならば、何にでもなれるはずだ。科学者にでもなんでも。

だから、弟は戦わなくていいのだ。


自分の快楽の為にしか頑張らない弟は、科学者などの道ではなく、ゲーム系に行く事を目論んでしまったようだったが、矮小な私はそれもまた嬉しくもあった。


知っている。才能を全力で踏み躙る弟を、私だけが嗜められる。


でも、私がそれを嗜める事はない。


甘やかし、菓子を与え、お金を与え、戦わなくていい立場を与える。


それはまさに、甘美なる毒だった。


弟の才を殺すその代わり、弟の人生全てを背負う覚悟でいた。

戦いでいつ死ぬかもわからないのに、ずいぶんと軽い覚悟だと思う。

それでも、残った遺産は弟にやろうと遺言は残してあった。


あの賢い子は、私が死んだ後はなんとでもするだろう。


天才などと言われるが、本当の私は臆病で凡人で矮小だ。

本当は戦いたくもない。けれど、ああけれど、それ以上に居場所を失うのが怖い。失望されるのが怖い。それだけ。それだけの為に、命をかけている。


……情けないと思う。

そんなに両親の愛が欲しかったのか。

ならば、両親が死んでからも弟を優しく虐待するのは何故なのか。






 ある日、ダンジョンに行きたいと弟が言った。





 恐怖した。




 ほしいと言った石を握らせ、能力者と知っているのに無能力者だろう、未成年だろうと説得した。

 本当に滑稽だ。

 

 こんなにコロコロと太ってしまっている子が、すぐ息切れる子が、軽々とダンジョンを踏破する予感がして、押しつぶされそうになってしまった。


 とにかく絶対にダメだと言い置いて、ダンジョンに出かける。


 そして、ダンジョンに向かったが胸騒ぎがする。

 供の者達も様子がおかしく、不安に思って帰って弟を探した。


 貴方の為だと訳のわからぬ事を言う馬鹿者を怒鳴りつける。

 何もわかっていない。何もわかっていないのだ。


 焦燥のままに弟を連れていかれたダンジョンを聞き出して、追いかける。


 ああ、ああ。


 間に合わない!!


 激しい焦燥を胸に、下手人を案内させる為にダンジョンへと向かう。


「守様。何故あんな肉風船など」

「お前は何もわかっていない!」


 ダンジョンへ行く。

 ざわめきと戸惑い。


 わかっていた。やはり間に合わなかった。


「魔物が急に魔物石に変わって……」


 そう、ざわざわと人が話している。

 直感のままにダンジョンコアへと向かう。


 もはや走る意味もない。


 今ならわかる。弟が生まれた時から、これを予感していた。

 弟が生まれた時から、これを畏れていた。


 奥へ、奥へ。


 下手人に本家への連絡と、ダンジョンの封鎖を依頼をさせる。

 大事な時に、そして終わりの時に、他者にそばにいてほしくはなかった。


 最奥に、要がいた。

 小さいまんまる。明らかに健康に悪いレベルの肉塊が、同じく丸いダンジョンコアに触れている。

 それは、ゲームを作っている時と変わらない顔だった。

 高速で頭脳を働かせ、機械が反応できる最高速度ジャストでキーボードを打ち込み、見るまに難しいと言われるゲームプログラムを作る時と変わらない顔。

 鼻歌さえ歌って、自分がどんな偉業をこなしているのか、全く考えていない顔。

 しばし、それを眺める。

 弟を殺せば、時は止められるだろうか。

 いいや、無理だ。できない。やっぱり私は、どこまでも矮小で臆病だった。

 それにきっと、全ては遅い。


「ふぅ。疲れたぁ。甘いもの食べたい」

「要? 終わったかな」


 全てが。

 それでも、弟を甘やかし続けた甲斐が多少はあったらしく、弟は私の気配を察せなかったらしい。振り向いて驚いた。


「うおっ にーちゃ。どうしたの?」

「何って、ダンジョンに放り出されたって聞いたから、急いで来たんだよ。でも、忙しそうだったから見守っていた。これは?」

「ハッキングしてみた」

「ハッキング?」


 ハッキング。確か、他のパソコンを乗っ取ること。

 それが、弟の異能なのだろうか。いや、違うな。

 弟の異能は、もっと禍々しく荒々しい。


「そ。俺、プログラム得意じゃん? なんかイケた。セキュリティゴミクズだったわ」


 ならば、プログラムを習わせるのではなかった。


「そ、そうか……。飴食べるか?」

「ありがとう、にーちゃ」

「他のダンジョンも、その。停止できるか?」


 そう言いながらも、答えはわかっていた。


「もう停止した」

「要は自慢の弟だな」


 呆然と告げる。

 飴をぺろぺろ舐めながら、弟は私に手を引かれて帰っていった。

 驚天動地のありように、弟はただただきょとんとしていた。

 弟にとっては、簡単でどうでも良い事だからだろう。

 

「ダンジョンコアは破壊しようと思うんだが。どう思う?」


 八つ当たりにはちょうどいい。だけど、それは受け入れられないだろう予感があった。


「ダメだよ、あれもう俺のだし。パソコンに組み込むんだ。今のパソコン超スペック低いから不満だったんだよね。向こうが馬鹿なら明日もまだセキュリティホール残ってるかもしれないし、もっと遊びたいな」

「あれは、機械、のようなものなのか? 向こうとは?」


 答え合わせの時間が不意に訪れる。

 人類がずっと前から知りたがり、その為に戦士が、学者が命を捧げてきた。

 そんな答えを、こともなげに弟は答えた。


「そー。玩具。でもしょっぼいから俺が改造して見本見せてやったんだよ。向こうはダンジョン送ってきたとこ」

「玩具……。改造って?」

「端末を武器化させて、倒せば倒すほど強くなるようにすんの。ダンジョン内でしか作動しないようにすれば悪用もしにくいだろうし。魔物だって俺が作ったのの方が絶対格好いい」


 弟は、多分、生まれる場所を間違ったのだろう。

 全く理解できない価値観をダンジョンの向こう側と共有し、見下してみせた弟は間違いなく人ではなかった。

 

「向こうにあるダンジョンを弄ったのかい?」

「ううん。アトラクションだけじゃなくて、ネットワークに繋いである奉仕用ロボット全部。あっ 子供は攻撃しないから! それにクリア可能な難易度だし」


 震える声で告げる。


「要、人の命を玩具にしてはいけない」

「なんで?」

「私が玩具にされるのは嫌だ。悲しい、辛い。悔しい。惨めだ」

「にーちゃ……」

「そんなものより、新しいゲームは欲しくないかい?」

「欲しい!」

「明日は好きなゲームを買ってあげるよ」

「にーちゃ、太っ腹!」


 人間、ではないにしろ、知的生物の命とゲーム。天秤に乗せられて、ガタリと落ちたらしい。ゲームが。


「その代わり、向こうの人と話したい。出来るかな?」

「あー。出来るけど。今からダンジョンに戻るの? 俺もう疲れちゃったなぁ。明日でもいい? せめて食べてから」

「そうだね。今日はお疲れ様。いっぱい食べなさい」

「うん!」


 弟がグゥグゥ気持ちよく寝ている間に、下手人を呼び出す。


「やってくれたね。もう顔も見たくない。去れ」

「守様! あれは、あれは一体……! あんな、あんな、異能はなかったはずでは」

「あの子は、本物の天才なんだよ。私なんかのような凡人と違ってね」

「嘘だ!!」

「ダンジョンの時代は終わる。私達の時代は終わる。今日は宴会にしよう。祝い酒を」


 仏壇にお酒をお供えして、私も甘酒をぐっと飲む。

 今日、飲まずしていつ飲むと言うのか。それでも法律を気にして甘酒なあたり、本当に自分が情けない。





 翌日。

 弟がダンジョンコアに触れると、地獄絵図が映し出された。

 人々が襲われ、殺されていく。予想以上に人間に近い生物だった。

 弟はそれを見て、眉ひとつ動かさない。


『偉大なる空飛ぶ肉風船様。ゲームは順調です。既にルールを理解した者も』


 美しき悪魔が恭しく頭を下げる。


「空飛ぶ肉風船?」

「ハンドルネーム。悪いんだけどさ。にーちゃが偉い人と話したいって。連れてこれる?」

『かしこまりました』

「ということで、ちょっと待っててね、にーちゃ」


 そして、激しい戦いが起こる。弟の表情を見る。ただ退屈しながら待っているだけの表情。

 

「何、子供盾にしてんの? いいよ。面倒くさいしそのまま屠っちゃって」


 そんな残酷な命令を出して、お菓子を持ってきてもらい、ポリポリ食べながらネットサーフィン。目的はゲーム。


「にーちゃ、ゲーム買うの先にしない? 時間掛かりそう」


 虐殺される人々の必死の抵抗を、時間掛かりそうの一言ですませる。

 そして、目的の人物が引き摺り出されてようやくこちらの様子に気づく。


「にーちゃ。大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。首相、お願いします」


 首相同士の交渉が始まったのだが、向こうは玩具の分際でと激昂していた。

 弟はどうでも良さそうにゲームを探している。ああ、弟のほうがずっとひとでなしだ。どうしよう。侵略者よりもうちの弟の方がひとでなしなのである。  


 首相は、弟の前に跪いて目線を合わせる。


「要君」

「うん?」

「この人達のゲームは、とても困るんだ。だって、僕達はそんなゲームを望んでない。二度とこんなゲームが出来ないようにできるかな?」

「嫌だ。だって、こんなんダンジョンが悪者じゃん。ダンジョンに悪いイメージがつくのは嫌だ。もっと楽しいゲームにしてやんよ。それで、向こうの人達も、俺達も、ハッピーだ」

「要君」

「要。画面の向こうの人達は笑っているかい?」


 弟は、私の呼びかけに罰が悪そうに答えた。

 弟は私の言葉は聞いている。今はまだ。ダンジョンは終わらせないといけない。

 両親はそこで死んだ。友人たちはそこで死んだ。

 居場所がなくなるのは怖い。でも、だからってここで復活させたら彼らに申し訳が立たない。それに、ダンジョン撲滅の為に、私たちは生まれてきた。多少の矜持はあるのだ。


「そりゃ今はそうだけどさ。もうちょっと待ってよ。ダンジョンで魔物を倒せば水とかご飯とか得られるようにシステム周り整えて、皆が喜んでゲームするようにするからさ。まだライフラインとかも乗っ取ってないし、これからこれから。皆ダンジョンに依存して生きていくようになるから」

「要。ゲームをしないと生きてけないなんて、ゲームじゃなくて仕事だ。そんなゲーム、楽しいとは思わない」


 私は、ダンジョンを楽しいと思ったことなんて、一度だってなかったよ。


「でもにーちゃ」

「要。怪我をするゲームはダメ。にーちゃの友達は、ダンジョンで死んだ。もう嫌なんだ」

「ダンジョン、楽しいよ……。こいつらのセンスの欠片もないクソゲーのせいで誤解されてるんだよ」

「そうかもね。でも、にーちゃはダンジョンで遊びたくない。この世に存在してほしくない」

「要君。お願いします」

「そ、そんな」


 弟は絶望の顔をする。

 少し、ホッとした。弟が自分の意思を貫こうとしないことに希望を持てた。

 ダメおしで説得する。


「要。にーちゃは、要のドーナツを作るゲームが好きだよ」

「にーちゃ……わかった。向こうは滅ぼしておくね」


 ついでで滅ぼそうとするな。油断も隙もない弟である。


「にーちゃは、自衛ができればそれでいいよ」

「向こう滅ぼした方がスッキリするし、簡単だよ?」

「要。にーちゃは子供達が死ぬのを見るのは心が痛いんだ」

「もう二度とこの星に手出しできないようにしてください。それで構いません」

「ダンジョンを対宇宙防衛システムに作り変える事はできるけど……。そこまで行くと面倒なんだよね。毎年いちおくえんもらうよ? ……あー。だとしても毎年は怠いな、やり方教えるから、毎年はその人達が頑張ってね。毎年のいちおくえんは特許料ね! 多分特許。特許でいいよね?」

「それが平和の値段ならば、喜んで支払います。要君の望む料理を望む金額で提供できる店をおまけにつけます。リアルで遊ぶなら、料理ゲームにしてください。バトルゲームではなく」

「んー。そのお店って、ゲーム会社とコラボもできる?」

「お好きなゲーム会社を紹介します」

「やった。なら、いいよ!」


 ある惑星一つ、丸々の処遇の重さは、一つのお店に負けてしまったらしい。





 長く、辛い時代が訪れる。

 居場所がなくなって、消えなければいけない時代が来る。

 私はそれを悲しく思ったが、笑うべき場面なので、笑みを作った。




 





 それから、大変な事になった。

 ダンジョンが無くなった事は表面上、全面的に歓迎された。

 だが、兵士の仕事がなくなった事は非常に大きな問題だった。


 その上、出てくるわ出てくるわ、ダンジョン星にやられた被害者の星が。


 苦しい混乱の時代が訪れるだろう。



 要を送った晩、夢を見た。




 要が肥満が原因で死んで、要人たちが話し合う夢だ。


『なんてことだ、ダンジョンの知識をほとんど譲渡せずに要くんが死んでしまうなんて』

『抑止力が消えてしまった』

『却って良かったのかもしれん。誰ももうダンジョンで人を害せない』


 混沌。しかし災いは排除されている。




 ざ……ざざ……映像が切り替わる。

 笑って街を指し示す要。


『にーちゃー!! 俺の作ったダンジョン見てー!!!』


 行き場のない者達が得た、新たな、そして大きな希望。

 育てられる災いの種。継承されるダンジョンの知識。

 





 まさしく、今苦労をするか、後に強烈な災いを残す希望をとるか。


 目覚めた私は、恐ろしさに泣いていた。

 星の未来を私が決める。

 私が要にダンジョンを作ることを許可するか否かで未来は大幅に変わってしまう。


 私は、ようやく、自分が二つの異能を持っていることに気づいた。


 一つは戦闘。

 一つは予知。


 私は居場所を失いたくない。

 ダンジョン発生の未来は選ぶべきじゃない。

 目先の事に囚われてはいけない。

 強く自分に言い聞かせる。

 










 ああ、父上、母上。友たちよ。


 許してください。私は弱い。

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