第11話 紫式部と清少納言、再び宮中にて相まみえる

平安京の中でも最も需要な場所、そこは天皇がいる内裏だ。

その内裏の一番内側である承明門を、豪華な牛車が通り抜けて来る。

牛車の側面には様々な豪華な装飾が施されているが、中でも目立つのは鮮やかな紫色だ。

牛車全体に色鮮やかな藤の花が描かれている。


やがて牛車は紫宸殿ししんでんの前で止まった。

牛を外し、くびきのためのしじを牛車の正面足元に置いた。

これは人が降りるための踏み台だ。

すだれを下げ中から現れたのは紫式部だ。

本格的な十二単に身を包み、誇らしげに牛車から降り立つ。


「紫の君。どうぞ、こちらへ」


牛車の両側を歩いて来た車副(くるまぞい)と呼ばれる若い男達が手を差し伸べる。


「ありがとう」


軽く礼を言った紫式部は紫宸殿に入ろうとした。

既に入口の前には女房たちが勢ぞろいしていた。


(さすがは帝の勅命。なんて言ったって、日本一の知と美を持つ女として、宋に渡るんだから当然よね。この私、紫式部が!)


彼女の虚栄心はこの上なく満たされた。

晴れやかな表情でそのまま紫宸殿に入って行こうとしたその時だ。


もう一台の牛車が承明門を通ってこちらに向かって来る。

やはり豪華に装飾された牛車だった。

正面には山の峰から太陽が昇る春の夜明けの風景、右側面には月の夜を蛍が飛ぶ夏の風景、背面には夕暮れの山に鳥が巣に帰る秋の風景、左側面には真っ白な雪の庭園に太陽が光る冬の朝の風景が描かれていた。

紫式部の眉根が寄る。


(あれは清少納言の牛車。なぜここに?)


清少納言の牛車はやはり紫宸殿の前に止まると、中から悠然とした態度で清少納言が降りて来た。

御所の女房たちも紫式部と同様に、丁寧に出迎えている。

目を丸くしている紫式部に、清少納言は何でもないかのように近づいた。


「こんにちは、紫の君。ご機嫌うるわしゅう」


「清の姉君。本日はどうして御所にいらしたのですか?」


「あら、聞いていらっしゃらないのかしら?」


清少納言は少しだけ意外そうに首を傾げた。


「私、このたび帝の使者として宋に行く事になりましたの。道長様にと懇願されまして」


「えっ?」


驚く紫式部に清少納言は薄笑いを浮かべた。


「早く参りましょう。帝や近習の方々をお待たせしては失礼ですから」


そう言うと後は振り返りもせずに、スタスタと歩き始めた。


(清少納言も宋に行く?……)


先を歩く清少納言を睨みながら、さっきまでの誇らしげな様子はどこにやら、紫式部も荒い足音で歩き始めた。



紫宸殿の中に入ると、舞台のような三層の黒塗断壇の上に、八角形の豪華な装飾が施された黒塗屋形がある。

天皇の席である高御座たかみくらだ。

高御座は何枚もの布が内部に張り巡らされ、天皇の姿は外からはシルエットでしか見えない。

そして舞台の下には、太政大臣の藤原ふじわらの頼忠よりただ、左大臣のみなもとの雅信まさざね、右大臣の藤原為光ためみつが揃っていた。


「帝のおな~り~」


女房の声と共に、摂政である藤原兼家かねいえが一条天皇と共に現れた。

兼家は一条天皇の外祖父となり、道長の父親でもある。

そして2年前まで右大臣の職にあったのだ。


その場にいた全員が額を床に擦り付ける。

それを見た一条天皇が声を上げた。


「そんなにかしこまる事はない。今回の事は政(まつりごと)と直結するものではない。それに朕は堅苦しい事は好まぬ」


一条天皇のそばにいた兼家が顔を顰めた。

本来ならば天皇は直接臣下と会話すべきではない。

全て近習の人間を通して意志を伝えるべきだからだ。

この場合は摂政である兼家を通すべきだった。


「帝がこう言われているのだ。皆の者、面を上げるがよい」


そう言ったのは左大臣・源雅信だ。

源雅信は源氏の一門として、藤原氏の権勢が蔓延っているのは面白くなかった。


今も上は太政大臣、下は右大臣で、上下を藤原氏に挟まれている形だ。

摂政の兼家の面子が潰れるのは、源雅信としては愉快な事だった。


その時、横に並ぶ貴族の中から、一人の男が膝をついたまま僅かに前に出た。

藤原道長だ。


「帝。帝のご意思により、大陸の言葉や文化・歴史に詳しく知性豊か、そして見目麗しい女子おなご二人をこの道長が選び出しました。大陸にもこれほどの女子は滅多にいないでしょう。日本最高の女子、清少納言と紫式部にございます」


改めて清少納言と紫式部は頭を下げる。

それを聞いて一条天皇は薄絹の幕を跳ねのけ、高御座から身体を乗り出して来た。


「帝、お姿を晒してはなりません。御座にお戻りください」


兼家がそう忠告する。

だがまだ九歳の一条天皇は好奇心旺盛だ。


「よいではないか。道長が選んだという宋の皇帝さえも惚れさせるという女子、この目で直に見てみたい。それにこの二人とも七殿五舎の女官たちに評判だと聞く。母も中宮も源氏物語には夢中だと聞いているしな」


それを聞いた紫式部は得意げに顔だけ上げると、口を開いた。


「ありがとうございます。帝のお耳にさえ入っているとは、なんと光栄な事でしょうか。おっしゃる通り、私の記した源氏物語は女官の皆様だけでなく、帝の母君である皇太后様、お妃である中宮様にもご愛読いただいております。日々、身に余る名誉に身体が打ち震える思いで一杯です」


そう言った後、チラリと清少納言の方を見る。

清少納言は憮然としていた。


「なるほど、そちが紫式部か。と言う事は隣に居るのが清少納言だな? なるほど、噂通りの美しい女子だ。大人たちが目にしただけで騒いでいるのも納得できる」


すると清少納言は優雅に、そして艶やかに頭を下げた。


「勿体ないお言葉。身に余る栄誉にございます。ですが私は自分でそう思っていませんので、戸惑うばかりです。人は移り行く季節のように、また流れる清流のように、ただあるがままで自然な姿でいるべきだと思っております。私はただ、そのような生き方を心掛けているのみです」


そう言って嫣然とした微笑みを浮かべる。

その場に居合わせた男どもは「おお」と小さく感嘆の声を漏らした。

だが紫式部だけは小さく「チッ」と舌打ちをする。


(な~にが「あるがまま自然な姿」よ。自分は何もしなくても美人だって強調しているだけじゃない)


しかし一条天皇もその言葉には感心していた。


「さすがは都一、いや日本一の才女と言われる清少納言。宮中の女たちもそちに歌を習っているそうだな。ぜひ朕も一度、そなたに歌の手ほどきを願いたいものだ」


「はい、宋より戻りましたら、すぐにでもお伺いいたします」


そう答えつつ、今度は清少納言の方が誇らしげな笑みを浮かべて紫式部に視線を飛ばした。

紫式部の口元が強張る。

道長が改めて一条天皇の方に向き直った。


「それでは清少納言と紫式部の両名を、我が国の使者として宋に向かわせる事と致します。幸い、船の方は私の方で手配しておりますので、宋の皇帝への献上品と、二人の準備が整い次第、出発する事が可能です」


そこまで道長が言った時だ。


「お待ちください!」


鋭い声で遮ったのは紫式部だった。


「宋への使者は女が二人も必要でしょうか? バランスを考えれば、もう一人は男性の僧の方が適任かと考えます」


一条天皇が意外そうな顔つきで尋ねた。


「それは何故か?」


紫式部は内心の怒りを隠しつつも、冷静な口調で理由を述べ始めた。


「何より大陸に渡るのはかなりの費用がかかる事。宋について少しでも多くの知見を持ち替えるべきです。他にも大陸の事を学びたい人間は大勢いるはず。遣唐使が廃止されてから既に百年近くたち、新たな国である宋の仏教を見てみたい僧も多いはずです」


道長が気色ばんだ様子で言った。


「紫式部殿、何が言いたい?」


「今回、女の使者で行くのは私一人で十分であるという事です。清の姉君は、御所にて歌を教えるという大事な役目のある御方。ましてや宋の旅路は危険が伴います。か弱き清の姉君に耐えられるとは思えないのでございます」


それを聞いて清少納言の顔色が変わった。


「何をおっしゃいますの、紫の君。私は十分に旅慣れております。随筆はただ屋敷にて想像を巡らせていれば書けるものではないので。それに紫の君、あなたこそ日本に残った方がよいのではないですか? あなたの書く源氏物語は多くの人が楽しみにしているのでしょう? その方々の期待を裏切ってエタっては小説家とは呼べませんよ」


「いいえ、清の姉君こそ日本に残るべきです。清の姉君はこの国で美人と言われているではありませんか。反対に私は渡来人の方々に美しいと人気があります。宋への使者としては私の方が適任だと思われます」


「何を言うの! 宋の皇帝は『知と美を併せ持つ女』と指定しているのよ。だったらこの国で美しいと言われる女が使者になるのが当然じゃないの。あなたの独りよがりの判断で決める事なんて出来ません!」


「独りよがりなんかではありません! そもそも清の姉君は宋への旅に耐えられるんですか? 宋に行くには荒れた海を渡る必要があるんですよ? 生っ白い京女の清少納言様に耐えられるとは思えないのですが?」


「私だって過去に船ぐらい乗った事があります! あなたこそ普段は屋敷に出ないで願望塗れの妄想ヲタ話を書いているだけでしょ。そんな人間に長い旅が出来るとは思えないんですけど!」


宮中で、しかも天皇の御前であるにも関わらず、二人はバチバチと火花を散らしながら言い争いを始めた。

もはや二人の闘気オーラは龍虎の形を成しているかのようだ。

周囲の貴族たちもあまりの二人の剣幕に恐れをなし、何も言う事ができない。


一条天皇はそっと道長を手招きした。

道長が近づくと、壇上から耳打ちをする。


「道長、もしかして紫式部と清少納言は仲が悪いのか?」


道長が苦虫を噛み潰したような顔をした。


「仲が悪いと言うか……二人とも評判の歌人ではありますし、書かれた物は随筆と小説の違いはあれどどちらも評価が高いもの。結果として周囲も『紫式部と清少納言、どちらが上か』と話題になっております。結果として二人の中にも競争心が芽生えてしまっているのでございません」


道長は、自分が二人の恋人であり、それがより一層二人を煽り立てている事は伏せていた。


「なるほど、二人は永遠のライバルといったところか」


一条天皇は一人で楽しそうに納得した。


「だがこんなギスギスした二人が一緒に旅をするのも難しいかもしれないな。ここはもう一人、二人の橋渡しにする人間をつけよう」


そう言った一条天皇を、道長は意外そうな顔で見つめた。


(この上、さらに誰かを追加するのか? だが誰を? この二人に匹敵する知性と美を持つ女など……)


「これ、ケンカは止めよ。二人ともいい大人ではないか」


一条天皇にそう言われて、二人は言い争いを止めた。


「それから二人には朕から一つ頼みがある。一緒に宋に連れて行って欲しい人間がいるのだ」


紫式部と清少納言は二人同時に一条天皇を見た。


「連れていって欲しい人間?」と紫式部。


「それはどなたですか?」と清少納言。


「大江の和泉式部いずみしきぶだ。朕とは同じ歳と言う事もあって、以前から歌合わせなどをしていた。彼女も外国に憧れているんだ」


「「……和泉式部」」


二人は同時にその名を呟いた。

和泉式部。

本名は「大江泉子」

この時、まだ若干十歳の少女でありながら、その歌の才能は抜きん出ていた。

近い将来、紫式部や清少納言を越えるだろうと言われている天才歌人だ。


さらに一条天皇の言葉は続く。


「知っての通り、彼女は年若いが歌の才能は確かだ。そして以前から紫式部と清少納言に直接歌を習いたいと言っていた。だからこの機会にぜひ彼女も一緒に宋に連れて行って欲しい。彼女自身の見分も広がるし、そなたたち二人が一緒なら安心できる」


((子守りかよ……))


紫式部と清少納言は、互いに相手の様子を伺った。

だが帝の言葉とあれば、断れる訳もない。


「私としては、紫式部様さえよろしければ……」


「私の方も、清少納言様さえよろしければ……」


互いに相手に責任を押し付けようと口にする。


「よし、話はこれで決まった!」


道長が立ち上がると大きな声で言った。


「宋に渡る使者は清少納言と紫式部。その二人のお供として和泉式部。各人、それぞれ準備が出来次第、宋に向けて出発とする。これでよろしいかな?」


集まった貴族たちは「やっと終わった」とホッとした顔をした。

一条天皇は面白そうだ。


そして紫式部と清少納言は……

困ったような表情で、互いに相手の様子を伺っていた。



●ちょっと説明

※1,牛車について

人が乗る所を屋形、牛が引っ張るように前に二本突き出した部分を轅(ながえ)、

牛の首に繋ぐ所を軛(くびき)、その下に置く台を榻(しじ)と言うそうです。

館の前後には簾(すだれ)があり、男性が乗るときは簾を上げ、女性のときは下げるそうです。

(Wikipediaより)

※2,太政大臣、左大臣、右大臣

偉い順に言うと太政大臣>左大臣>右大臣。

左大臣は現在で言うと内閣総理大臣だそうです。

右大臣は左大臣の補佐の立場。左大臣が不在の時はその職務を代行する。副総理みたいな立場?

ちなみに太政大臣は左大臣より偉いが、事実上は名誉職であって、必ず置かれるものではないそうです。



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今回のウソ設定

※1,本当は内裏に直接牛車を乗り入れられるのは、かなり身分の高い人だけだったそうです。だから紫式部や清少納言が紫宸殿まで牛車に乗り入れたと言うのは、ただの空想です。

※2,紫式部の牛車が鮮やかな紫の藤の花が描かれていたなんて筆者の空想、超ウソです。

※3,清少納言の牛車に「春はあけぼの」の春夏秋冬の風景が描かれているとか、超ウソです。

※4,天皇の場所である高御座については、大正天皇が即位した時の高御座を参考にしました。平安時代の高御座がどうだったか、よく解りませんでした。(おそらく近いと思うのですが)

※5,一条天皇が和泉式部と知り合いだったとか事実じゃありません。設定です。

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