第10話 道長、清少納言を籠絡する

「今夜はもう、おいでにならないのかと思いました」


清少納言は少しだけ恨めしそうな流し目を、道長に送った。


「済まない。今宵は帝より相談ごとを持ちかけられて、その対処に時間を食ってしまった」


「嘘おっしゃい。白粉と汗の臭いがしますわよ。どこぞの女の所に行かれていたのでしょう?」


彼女はそう言ってツンと横を向きながらも、その見事なプロポーションを見せつけるようなポーズを取った。


今の清少納言は『夏用の単袴(ひとえはかま)』を着ているのみだ。

精錬しない生絹で織られた単袴は、現代のシースルーのように彼女の裸身を怪しく透かし映し出している。

既に紫式部と一戦終えているはずの道長でさえ、再び欲望が込み上げて来るのを感じた。


(ただの裸身よりもなまめかしい。さすがは白蛇の化身とも言われる清少納言だ)


胸の内ではそう思いながら、道長は苦笑いを浮かべる。


「いやはや、そなたには敵わないな。相変わらずカンが冴えるだけでなく、鼻も聞く」


道長の背後から、清少納言はスルリと両腕を回して来た。


「この私を放っておいて他の女の所に行くなんて……憎らしい男」


道長は彼女の両腕を取った。


「だが帝の相談ごとがあって遅くなったのも事実なのだ。実は……」


道長はそう言って、紫式部に語ったのと同じ事を清少納言にも伝えた。


「宋の皇帝が『日本には知性と美貌を併せ持った女はいない』と……」


清少納言の眉がきゅっとつり上がる。

清少納言は都の誰もが認める絶世の美女だが、本人はどちらかと言うと容姿よりも知性を貶される方が腹が立つようだ。


「帝もその事については随分とご立腹でな。我が国の女子全てを馬鹿にされたに等しいからな」


道長はわざとらしいタメ息をついた。

その時、清少納言の白魚のような指が、道長の開いた胸元をツツツッとなぞった。

ゾクリと背筋に何かが走るような感覚を道長は覚える。


「でも道長様の事ですから、既にお考えがあるのでしょう? 宋の皇帝をあっと驚かすような事を」


熱い吐息と共に、そんな言葉が道長の耳の後ろに吹きかけられる。

さらに欲望のボルテージが上がる。


「そ、その通りだよ。清少納言殿。そのために時間がかかったのだ。よく分かったな」


そう言いながら「彼女と一緒にいると、攻めているのか攻められているのか、分からなくなってしまう」と思う。


「フフ、だってその後に私の所に来るんですもの。そのくらいはお見通しですわ」


清少納言はそのままクルリと身体を回し、道長の腕に抱かれるような姿勢となった。

その白い両腕は道長の首の回したままだ。


「それで、道長様は誰を宋に送ろうと考えられているのですか?」


その怪しげな魅力に、さすがの道長も戸惑いながら答える。


「う、うむ。大陸の言葉を自由に操り、しかもこの国だけでなく彼の国の知識にも豊富な美女となると中々いないのだが……先ほど紫式部殿から良い返事を貰えたのだ」


「紫式部様が?」


その名を聞いた清少納言の顔色がサッと変わった。

そして何かを考えるような顔をする。


「どうしたのだ?」


道長がそう問いかけると、清少納言はすっと彼の腕の中から離れ、そして静かに三つ指をついて頭を下げた。


「その宋に派遣するメンバーの中に、私も加えていただけませんか?」


粘るをような光を伴って彼女は言った。


「大陸の言葉や歴史や書物に関しては、私もいささかなりとも知識があるつもりです。また紫の君は男性には人気があるようですが、女房の間ではあまり評価の芳しくない容姿の方。別のタイプの女子も同行した方がよろしいかと……」


(してやったり)


今度も道長は内心でニヤリとした。

この国の女性の知性が笑われた事、そして紫式部が宋に行く事を告げれば、清少納言は必ず「自分も行く」と言い出すと踏んでいたのだ。


「よくぞ言ってくれた」


道長は紫式部の時とまったく同じ言葉をかけ、清少納言の両手を取った。

顔を上げた彼女に、道長が熱の入ったように語る。


「私も実はそう思っていたのだ。紫式部殿は確かに魅力的だが、都の女子には容姿の評判がよくない。その点、天女の生まれ変わりと男女ともに絶賛されているそなたなら間違いない」


清少納言もそう言われて満更ではないらしく、その白い顔に赤みが差した。


「さらに知性に関して言えば、私は紫式部殿よりもそなたの方が上と見ている。そなたが宋に行ってくれるならば、私も安心この上ない」


「ありがとうございます、道長様!」


清少納言は道長に抱き着いた。

道長も彼女のしなやかな身体を抱きしめる。

そうしてまたもや彼はニンマリと笑った。


(これで紫式部と清少納言の二人とも遠ざける事が出来る。しばらくは遊び放題だ。四条小町や若狭の姫だけではない。源氏物語で六条御息所のモデルとなった五条の皇子の未亡人や、夕顔の姫など、選り取り見取りだ。地方の豪族の娘にも魅力的な女がいるらしいしな)


同じく、互いに顔が見えない清少納言の方も、怪しい笑みを浮かべていた。


(宋に渡れるですって? これは願ってもないチャンス。大陸ならこことは違ってまた色んな男と出会えるはず。何よりも宋の皇帝の妃になれば、日本どころか世界全てを支配できる。そして私になら、それも可能だ。我が一族の積年の悲願も達成できるかもしれない)


清少納言の生家である清原一族は、大昔に大陸から日本に流れ渡って来た一族なのだ。

中国の春秋戦国時代後期に、大陸を追われた王家の一族だった。

当初は「大陸に戻り、自分達の国を取り戻す」という事を目的としていたのだが、月日が流れてその意識は薄れていき、むしろ日本での勢力拡大に尽力するようになる。

しかし彼女の一族は大陸の情報には常に気を配っており、独自に大陸との繋がりを持っていた。

清少納言はその中でも野心家だったのだ。


「道長様。それで宋から帰った暁には、私には何かご褒美は頂けるのでしょうか?」


自信家の彼女と言えど、宋で全てがうまく行くとは考えていない。

やはり紫式部同様に、逃げ道を用意したいのだ。


「分かっている。そなたが宋から戻った時には、妻の一人として迎え入れると約束しよう」


道長にとっては6人いる妻が、一人や二人増えようが同じ事だ。

そもそも彼女たちは「道長の妻になった」とは言っても、生まれた家から離れる事はない。


(これで後顧の憂いはなくなった。後は宋で思いっきり……)


清少納言舌なめずりをし、さらに道長の耳元で熱く甘い口調で囁いた。


「せめて宋に渡る前に、存分に愛していただきとうございます」


彼女にこう言われて断れる男はいない。


「もちろんだ。私もそなたをぞんぶんに愛したい。しばらくは会えなくなるのだからな」


そう言って二人はそのまま畳の上に折り重なっていった。



●ちょっと説明

※1、夏用の単袴:透け透けの着物。下のtogetterに写真があります。

ちなみに本当の清少納言は「見苦しい」と言って嫌っていたそうです。

https://togetter.com/li/847962


※2、六条御息所:源氏物語に出て来る教養高く優雅な貴婦人。だが嫉妬心から怨霊になって光源氏の恋人を祟った怖い人。


※3,夕顔:源氏物語に出て来るヒロインの一人。美人薄命に描かれている。光源氏の親友の頭中将の側室だったが、光源氏と互いの素性を知らずにそういう関係になった人(つまりNTR)。六条御息所の霊に取りつかれて死んだ(違うという説もあり)。悲劇のヒロインとして描かれている。


※4,中国の春秋戦国時代:中国の戦乱の時代。この後に秦の始皇帝が中国を統一し、その後に漢が起こった。ちなみに日本の弥生時代はこの中国の春秋戦国時代から徐々に始まったのは本当。



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今回のウソ設定


※1、清少納言の一族が大陸から渡って来たなど、めっちゃウソです!


※2,五条の皇子の未亡人とか、夕顔の姫とかも、筆者の空想です。ここでは源氏物語のヒロインのモデルという事にしています。

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