第5話 昭和の匂い

 昭和の終わりというと、時代としては、バブルの時代で、

「今日よりも明日の方が必ずいいことがある」

 と言われるほど、やればやるほど、成果が出るという時代だった。

「二十四時間戦えますか?」

 などという流行語ができるほどの時代で、事業拡張をして、それを回していくことが、当時の仕事の主だっただろう。

 今の時代であれば、事業拡大には最大限の配慮が必要で、少なくとも損益をしっかり計算しなければいけない。しかも、先を見越していかなければ、バブルが弾けた時に何もできなかったようなわけにはいかない。

 そういう意味では、最悪の事態を経営者は考えていなければならず、特にパンデミックの時代を超えてきただけに、今は経済が瀕死の状態であるので、余計に最悪を考えざるおえなくなっていることだろう。

「時代は繰り返す」

 というが、バブルの頃のような時代はさすがにないだろう。

 あの時代がのちの世にどのような影響を及ぼしたのかというと、、その後の反動くらいであろうか、その時代に言われるようになった言葉も結構あり、就業体制から、雇用体制も変わっていった、

「リストラ」

 などという言葉も、この頃から言われるようになり、定時で帰る残業なしの状態で、

「サブカルチャー」

 などのいろいろな趣味が流行ってきた時代でもあった。

 雇用体系も、それまでほとんどを社員がやっていたが、途中から、アルバイト、パートを始めとして、派遣会社に所属していて、そこから派遣社員という形で派遣され、雇用会社と派遣会社の間で契約が結ばれるという形態も増えてきた。

 しかし、その雇用形態は、十年くらい前に一度、破綻しそうになった時期があった。

「リーマンショック」

 と呼ばれる事件から端を発した世界的な不況が、

 さらに人件費節減ということで、一番切りやすい、

「非正規雇用」

 である派遣社員の解雇が目立つようになった。

 さらにそれが、公園などで生活をするホームレスのような、

「難民」

 と作ることになったのだ、

 そのために、大きな公園で、年末を越せるように、ボランティアによる炊き出しなどが出現した、

「派遣村」

 などというものもあった時代があった。

 今から思えば、バブルの頃を知っている人は、すでに定年退職している人が多いカモ知れない。だが、三十年前がよかったのか悪かったのか、その答えが歴史の中で出ているのかどうか、分からないだろう。

 もし、バブルの頃の人が今の世界を見ればどう思うか、そして、今の時代の人が、あのバブルの時代に出現すればどう感じるのか、歴史として知ってはいるが、実際にどのようなものなのかまでは分からない。

「本当に、誰も近い将来において、バブルが弾け、社会がまったく変わってしまうなどということを想像もしていなかったのだろうか?」

 我々は過去の歴史を知っているので、

「何で誰もあのようになるまで、何も言わなかったのだろう?」

 と思う。

 本当に誰も想像していなかったのだろうか? 知っていたが、それを言ってしまうと社会が混乱するということから、緘口令が敷かれていたのだろうか?

 確かにバブルが弾けて社会は大混乱したが、もし、それを誰かが警鐘を鳴らしていたとすれば、

「どうせ、どうにもなることではないので、下手に言わない方がいいのかも知れない」

 とも思える、

 実際に、バブルというものが発生した時点で、弾けることは確定しているので、どこまでであれば、被害が最低限に防げたのか、歴史を知っていても、分かるかどうか、判断が別れることろである。

 そんな昭和六十二年世月のことだった。大学を卒業し、食品会社に入社した男性がいた、彼は、名前を高橋和志といった。何とか就職できたが、大学でも成績がパッとしたわけでもなく、数打った鉄砲の一つが、何とか当たったという程度だった、

 この頃は、まだバブルの時代ではあったが、巨大国営企業が、次々と民営化が決まって、社会全体の自由競争がさらに加速するということもあって、経済的にも転機を迎えていた。理由はハッキリと分からないが、それまで一定数の新卒を採用してきた大企業のいくつかが、この年あたりから、新卒採用をしなくなっていた。それだけ、

「就職戦線に異常あり」

 という情勢になっていた。

 そのおかげで、就活は困難を極め、その数年後に起こる売り手市場を羨ましく感じるほどだったが、意外とこの時代のことは、あまり語られることはない。

 平成五年以降から起こる就職難、いわゆる

「就職氷河期」

 と呼ばれる時代があまりにも壮絶だったため、そして、その数年前の売り手市場がその正反対に、採用する側が優秀な学生を他に取られないようにと、数々の引き留め工作を行っていたのが印象的過ぎて、それ以前の時代が、さほど注目されることはなかった。

 だが、実際にそういう時代はあった。一時期ではあったが、大企業が軒並み採用を見送ったというのはどういうことだったのだろう?

 実際に調べても、この時代のことは載っていない。まるで、黒歴史として、残されていないようだ。

 高橋和志が、就職できたのは、ある意味偶然だったのか、内定が決まっていた学生が他の会社に流れたことで、空いた隙間にうまく潜り込むことができたからなのか、実に偶然とはいえ、就職できたことは、まわりから見ても、奇跡に近い幸運だった。

 その頃の流行語で、

「新人類」

 という言葉が流行ったが、その頃くらいから、新卒の大学生は、甘えが残っている場合が多いと言われた。

 実際に、せっかく就職できたのに、会社で辛いことがあったわけでもない新入社員がいきなり失踪してみたり、急に実家に帰って、出社拒否を起こしてみたりと、まるで学生のような行動に、会社側もどう対処していいのか分からなかった。

 もちろん、簡単に首を斬るわけにもいかず、会社側も困っていた。

 だが、この時代、どの会社にもあることだったが、

「新入社員のそのような不可解な行動が起こった後に、新入社員が失踪してしまう」

 という事件が頻繁していた。

 会社や家族ももちろん、何も分からない、会社側からすると、

「家庭内で何か問題が起こったのでは?」

 と思っているし、家庭からすれば、

「会社で辛い目にあったのではないか」

 という懸念から、警察に相談するにも、それぞれで相談していた。

 そのため、会社側と家庭側のそれぞれから事情を訊くことができないので、余計に警察とすれば、事情が分からない。そのため、行方不明と言って捜索願が出されたとしても、事件性があるかどうかも分からないので、実際に捜査もしていなかった。

 そんな新入社員が全国に徐々に増えていった。増え方が緩やかなので、全体を把握する警察庁としても、これらがすべて単発として見ていないので、社会問題にもならず、マスコミが取り上げることもなかった。

 しかし、実際には起こっていることであって、この時代には、何か表に出ないようなブラックの闇が潜んだ時代だと言ってもいいだろう。

 それこそ、実体のない膨れ上がった経済におけるバブルの時代を象徴しているようではないだろうか。

 このことを社会問題として気にしていたのが、実は高橋和志で、彼のような目立たない男がそれを社会問題として提起したとして、誰が本気になって信じるだろうか?

 彼自身も、

「そんなバカなことはないよな」

 と思いながら、それでも勝手にいろいろ妄想するのだった。

 その中で一番納得のいく考えは、

「歴史のワームホールに落ち込んでしまったのではないか?」

 ということであった。

「ワームホール」

 それは、突如現れる時空の穴というべきもので、その中にタイムトンネルが繋がっているというSF的な発想である。

 ただ、このワームホールというのは、数学的な計算によって考えられたものであり、それによると、

「ワームホールの通過するには、そのトンネル内で、人間の耐えられる空間ではない」

 という考えも存在する。

 高橋は、ワームホールの存在を信じてはいたが、人間が耐えられるものではないという発想に近いこともあって、ワームホールとは決して遭遇してはいけないものだと思っていた。

 そういう意味でも、タイムマシンという時空を超える機械を発明することができたとしても、時空を超えることで、肉体が耐えられるのかという問題と、さらに、

「慣性の法則」

 という考え方が、頭の中でネックになっていた。

 慣性の法則というものにはいくつかのパターンがあるが、一番ポピュラーな発想として、

「電車の中」

 というものがある。

「移動中の電車の中でジャンプした場合にどうなるか?」

 というものだった。

 これは、

「動いている物体は動き続けようとするものだ」

 ということであり、電車の中では人間も電車と同じjスピードで動いているのだ。

 だから、ジャンプしても、電車のスピードに沿った形で移動することになり、着地点も最初と同じ場所になるのだ。

 この考えが果たして、タイムマシンの中で有効に働いているかという疑問がある。

 その一つとして、ハッキリしている懸念は、

「アインシュタインの、相対性理論の考え方」

 である。

 アインシュタインは、

「光の速度を超えるスピードで移動した時、普通のスピードで移動しているものに比べて、時間の経過が遅くなる」

 と、提言している。

 これが、一種のタイムトラベルの概念の始まりになるのかも知れないが、この考え方を整理すれば、昔話の浦島太郎の話も、説明がつくという学者もいる。

 つまり、竜宮城への旅は、実際には宇宙空間へ光の速度を超えて移動したことにより、地上より時間の経過が遅くなり、三日くらいしか経っていないと思っていた時間が、本来の時間に換算すると、七百年近くになっていたという理屈だ。

 今から数百年前に、このような発想が成り立つというのは、どういう考えからなのか分からないが、それから数百年の後に提唱される理論が、日本の昔話に残っている不可思議な話を解明するヒントになろうとは、最初にこの物語を書いた人も、アインシュタインも思ってもいなかったことだろう。

 ただ、世界のどこかに似たような話があって、それを解き明かすためにアインシュタインが物理学の見地から、相対性理論を提唱したのかも知れない。

 やはり、過去に何か人の理解を遥かに超えた事例がなければ、それに対しての解明を考えることもないので、科学の進歩はありえないだろう。

 それを思うと、ここ三十年くらいの間の出来事であっても、そこにどれだけの表に出てきていない謎が潜んでいるのか、想像もつかないに違いない。

 そんなことを考えていた高橋が、まさか自分がタイムスリップしてしまうとは思ってもいなかった。

 目が覚めたその時、見たこともない風景が広がっていた。

 とは言っても、三十年ほどしか経っていない世の中、最初はそこが過去なのか未来なのかすら分からなかった、

「時代って、繰り返すっていうからな」

 という意識があったからか、新しいと思っても実は過去だったり、古い懐かしさを感じる時代であっても、実はそこが未来であったりというのも、考えられることであった。

 その時代が未来だと分かると、頭の中で勝手に三十年というワードが浮かんできた。もちろん、その年数に根拠があるわけではなかったが、自分の中で、三十年が一つの時代の括りだと思っている。

「過去に三十年、未来に三十年。きっと一度のタイムスリップで行ける限界なのではないか?」

 と思っていた。

 しかし、過去に行くにも未来に行くにもタイムスリップすることができるとすれば、三十年先か前しかありえないとも思っていた。それこそ、人間の限界なのだろうと思うのだ。

 だから、今回の時代錯誤のまわりの雰囲気に、

「ここは三十年後なんだ」

 と感じたのだ。

 だが、三十年という月日が経っているわりには、思ったよりも、風景に変わりがないことには驚かされた。実際には、外観以外のところでは大いに発展しているのだが、目に見えないところの発展が分からないところに、自分が未来に来た理由の何かがあるのではないかと思った。

 元々、高橋という男、昭和の終わりn流行った、

「新人類」

 という言葉をさらに超越した、

「新新人類ではないか?」

 と言われていた。

 新人類と言われる人たちからも、

「お前は俺たちとも違う」

 と言われたほどで、何が違うのか、ハッキリとは分からなかった。

 だが、高橋の友達に言わせれば、

「あいつほど、自分のやりたいと思っていることを突き進むやつもいない」

 と言われるくらい、少々状況が変わっても臆することなく、我が道を行くというような性格だった。

 ただ、それでも、闇雲に突っ走るタイプではなく、緻密な計算の下に行動するのだが、緻密な計算も無意識のことであり、子供の頃から、いつも何かを考えているような人間だったことが、猪突猛進に見えても、緻密な計算が表に出てこないだけ、彼の中には人には分からない個性が潜んでいるに違いなかった。

 普段から自分のやりたいことをやるというのが、自分のモットーだった。

 そのため、集団で何かを行うことは苦手で、だからこそ、どんなになり手がいなくても、彼に責任のあることをさせることはなかった。

 小学生の頃は、責任のあることをしたくないという思いから、わざと人のいうことを聞かずに怒られながらも、うまく責任を逃れてきたのだ。

 そんな態度はまわりにはすぐに看破されて、

「あいつは、わざとらしいところがあるから、あまり相手にしない方がいい」

 と言われて、孤立を余儀なくされたが、それも高橋にとっては、ありがたいことだった。計算通りだったと言ってもいい。

 しかし、だからと言って、打算的なのかどうかはハッキリとはしない。絶えず頭の中で計算するのが好きなタイプであるが、答えが見つかると、すぐに違う答えを求めて、時には別の問題に取り組むこともあるが、同じ問題で違う回答を求めることもあった。

 小学生の頃は、一度解決した問題を振り返ることはなく、絶えず新しい問題、そしてその答えを求めてさまよっているところであった。自分が成長しているという観点からの発想であったが、大人になるにつれて、一度求めた回答が本当に正しいものなのか、検証することを目的として、もう一度頭から再興することで、最初の考えを検証するという思いが出てくるようになった。

 そんな自分に気づいたのが高校生の時、その時にはすでに文系を目指して勉強していたので、急な進路変更はさすがにできないことは自分でも分かっていたので、大学進学へは文系を主に考えていた。

 しかし、文系に進む中で、大学入学に成功したことで、

「小説の中でなら、俺の考えをフィクションとして膨らませることは可能だよな」

 と思い、小説を書くことを目指した。

 そのために、SF小説やミステリー、オカルトなどの小説をいろいろ読み漁ったりしたが、やはり、タイムスリップ系や、異次元関係の発想からは、離れることができなかった。

 だが、小説を書く中で、異次元ものと言っても、

「異次元ファンタジー」

 だけは嫌だった。

 当時はファミコンなどの普及によって、RPG(ロールプレイング)ゲームというのが流行っていた。

 発展性のストーリーから、レベルを上げていき、ステージごとに現れる謎を解明したり、モンスターをやっつけたりすることで、先のステージに進めるという、

「冒険活劇」

 とでもいえばいいのか、架空の世界で発展する主人公という設定が、小説やマンガにも生かさされるのだ。

 当時、小説を書く人が増えてくると、若い連中はゲームから入りやすいという観点から、異世界ファンタジーと呼ばれるジャンルを書きたがる。

「猫も杓子も」

 と言った形の執筆は、高橋にとって、まっぽらごめんだった。

 その頃に読んだ小説の中で印象深い話があった。

 SFのようなホラーのような話であったが、どちらかというと、さらに昔の特撮で見たことがあるようなストーリーだった。

 よくある話の一つではあったのだが、その頃になると、SF小説というのもブームが去っていて、いわゆる書くネタが尽きてきたというのが実情かも知れない。

 それは、今に続く一つのタガのようなものであるが、要するに、

「トリックなどはすでに出尽くしているので、後はそのバリエーションをいかに生かすか?」

 ということであった、

 これはミステリーにも言えることで、そういう意味では、トリックというよりもストーリー展開や、本当のジャンルに、他のジャンルを織り交ぜるなどの、新たな発想が必要とされていた。

「トリックはあくまでも、ストーリーの中のアイテムでしかない」

 この考えは、この頃にはもうすでにあったのだ。

 ただ、子供の頃に見た特撮空想物語の中で、興味を持った話の一つに、

「謎の失踪事件が相次いで起こっている」

 という世間を騒がせる事件が頻発した。

 被害者にはまったく面識も接点もない。同じ犯人だとすると、被害者の共通点がどこにあるのかという問題。さらに、被害者はまるで煙のように、その場に存在したという証拠も残さずにいなくなっている。

 中には、衆人が見ている前で、いきなり消えた人もいた。

「まるで人身御供のようだ」

 ということで、誘拐などではなく、怪奇事件として報道された。

「人間焼失事件」

 なのである。

 これは、未来の世界からやってきた人間が、自分たちの身体が後退してしまって、さらに年寄りばかりがいるために、人材が不足している。彼らはそのために、過去に戻って人間を自分たちの世界に誘拐しているということだった。

 ただ、その利用方法に関しては言及されていない。

 浚った人間をどのように利用するかである。

 労働力として、奴隷のごとくこき使うのか、それとも、労働力はロボットに任せるとして、浚ってきた人間を種馬にして、子孫を残すために利用するというのか、とにかく、分かっているのは未来には、老人ばかりが残ってしまった、いわゆる今でいう「少子高齢化」の波が訪れているということだ。

 この特撮番組が放送された頃には、まだ少子高齢化などという問題の種もなかったことである。高度成長時代で、

「子供をどんどん産め」

 という時代だったのだ、

 さらに、未来の労働力にしても、ロボットが開発されていて、労働力の問題はロボットにやらせれば問題ないと考えられていたのではないか。

 ただ、その頃には、すでに、

「ロボット工学三原則」

 という考え方は存在していて、安易なロボット開発はできないということは考えられていた。

 しかし、それでも、半世紀もあれば、それらの問題はクリアされているだろうと思われていた。それだけ、半世紀前というのは、明るい未来しか見えていなかった、

「古き良き時代だった」

 ということなのだろう。

 その特撮の話と、当時のSF小説が酷似しているもので、もちろん、特撮の盗作ではないかと思われるほどであったが、小説の方は、その話はあくまでも、導入部でしかなく、本編は、まったく違う恋愛物語だったのだ。

 時代を超えた恋愛というべきで、ある意味新しい試みであったが、自分が就職活動をしている間、収束活動をしていて、内定をもらった人間の何人かが行方不明になっているということは、知る人だけは知っているが、決して公にしてはいけないことだった。

 なぜその秘密を高橋が知ることができたのかというと、内定をもらえなかったのだが、二次面接の帰りに、トイレに寄った時、トイレの中から、何やらヒソヒソ話が聞こえてきた。声は小さかったが、こんな重要なことをトイレで話すなんて不用心なと思うほどだったが、まるで自分に聞かせたかったのかも知れない。いや、大っぴらに聞かせることで、相手に、

「そんなバカな」

 と思わせるのが目的だったのかも知れない。

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