第3話 家庭崩壊

 似たような発想をする人間が、清水巡査以外にもいた。ただ、その人がマスクによる暴行事件の増加を危惧し始めたのは、実際に伝染病禍が収束しかかった頃で、清水巡査に比べれば、数年後のことであった。

 何しろその頃になると、清水巡査は刑事に昇格し、清水刑事と呼ばれるようになっていたのだ。

 このことを危惧し始めた男性というのは、警察関係者ではなく、政治家であった。年齢的にはまだ四十五歳と政治家にしては若く、

「青年政治家」

 と言ってもいいくらいの、新進気鋭の人物だった。

 名前を、国立誠一郎という。

 彼は、三十八歳で県議会議員に初当選し、甘いマスクも手伝ってか、若い女性に人気があった。だが、ただのイケメン政治家というだけではなく、しっかりとした信念を持った政治家であり、ビジョンもハッキリとしているということで、県議会の中でも期待された若手だった。

 その彼は、伝染病禍において、県議会の一人として、現場でいろいろと動いた実績は実際に評価に値するものだった。有権者に一番向き合う立場だっただけに、さらに彼の評判はうなぎ上りであったが、彼には後述のような秘密もあった。

 そんな彼が気にしていたのは、少子化問題であった。

 ただでさえ、生活に不安があったりすることで、子供を産む女性が減っているのである。それどころか、結婚すらしようとしない人が増えている。別にもてないから相手もいないので、結婚しないという分かり切った理由で結婚しないわけでもない。

 人それぞれであるが、結婚しても、自分の自由が束縛されるということで結婚しないという人も多いだろう。

 そういう理由が元で離婚している人が多く、離婚理由の中には、もちろん、相手や自分に離婚するだけの実質的な理由がある場合が一番多く、浮気や不倫などがその代表例であろう。

 さらに性格の不一致という、実に都合のいい表現で、理由をごまかす場合もあるが、子供を持ったことで、夫婦間がぎこちなくなってしまったという夫婦もたくさんいる。

 その中には、子供の世話をするのが母親の役目だとして、育児を奥さんに押し付けている男性がまだまだ多いのも事実だ。社会背景もあるのだろうが、まだ、この問題にどこまで社会が対応できているのか、正直疑問である。

 ただ、子供ができたことで、性生活が狂ってきた家庭もあるだろう。何と言っても、それまで夫婦二人、男女が寄り添って生きてきた中に、いくら自分たちの子供とはいえ、一人増えるというのは、性生活という意味では大きな問題だ。ここから先は理屈ではない。身体と精神のバランスが求められるもので、どちらかがよければいいというものでもない。

 また、結婚してすぐに別れるという夫婦もいる。これは思い込みが生んだ悲劇ということもあるだろう。

「この人なら、一生添い遂げられる相手だ」

 と思って結婚したはずなのに、結婚生活を始めると、最初にいきなり、

「あれ? こんなはずでは」

 と思ったとすれば、それはかなり強烈な印象を残すことになる。最初に崩れてしまった相手に対しての印象は、時期が浅ければ浅いほど、拭うことは難しくなる。明らかに自分が思い込んでいたということが判明するからだ。

 結婚してしまったのだから、もう後戻りできないという思いがプレッシャーになり、余計に相手を見る目を鈍らせてしまう。最初のショックが大きければ大きいほどそうなのだろう。

「だったら、早い方がいい」

 と言って、別れてしまう。

「成田離婚」

 などという言葉が流行ったが、まさにその通りであろう。

 性格の不一致以外に、肉体的な思い込みが別れを進行させることもある。結婚するまでというのは、

「毎日でも、セックスができれば幸せだろうな」

 と思って結婚すると、今度は毎日でもできる環境になったことで、自分が、もう他を選ぶことができなくなったことを初めて痛感する。

 その思いが、結婚してしまったことに対しての後悔になり、自分の性欲を見誤っていたことに初めて気づき、その時、

「結婚する相手と、交際相手は違う」

 と言われていることを痛感することになるのだ。

 その考えが、今の世の中での、風俗を支えていると言ってもいいかも知れない。

 昔は風俗というと、

「童貞を失う記念に行くか、モテない男が疑似恋愛のために、身体の快感を求めていく場所」

 ということになっていた。

 今も、それには違いないが、結婚してすぐから、奥さんに対してのセックスに、

「飽き」

 というものを抱いてしまったことで、離婚する代わりに、浮気であったり、不倫をするという人が増えたことも、社会問題となっていた。

 だが、浮気にしても、不倫にしても、果たして何がいいというのだろう?

 家庭を破壊し、修羅場となり、慰謝料の問題から、さらには社会的な立場のある人間であれば、今のようにSNSの普及した時代、どんな誹謗中傷が飛び交い、下手をすると、あることないことを書き立てられ、離婚するということだけで済まされなくなってしまうことも得てしてあるだろう。

 社会的信用を失うと、仕事も失い、その後の信頼回復には、どれほどの時間と労力が必要か。

 信頼を失うのはあっという間だが、信頼を取り戻すのには、その数倍の時間と労力が必要なのだ。それを考えると、迂闊に不倫などできないはずなのに、決してなくなることはない。むしろ、増えていると言ってもいいだろう。

 不倫をしたことのない人間には分からないが、不倫には、どこまでの感情が含まれるのだろう? 正直、表で大っぴらに歩ける間柄ではないことは確かである。二人の世界に入りこんでお互いに心に傷持つものとして、傷を舐めあっているだけだとすれば、不倫の価値というのはどこにあるというのか、

 癒しなどを求めているのだとすれば、

「風俗という疑似恋愛ではいけないのか?」

 ということも考えられる。

「お金で繋がっている疑似恋愛なんて、虚しいだけだ」

 という人もいるかも知れないが、では不倫というのはどうなのだろう?

 少なくとも、不倫というのは、どちらかが配偶者を持っている場合である。昔であれば、

「姦通罪」

 などという名前で法律上禁止だったのだが、今はそんな法律が存在する国は、ほとんどないはずだ。

 法律上問題なければいいのかということになるが、不倫で離婚問題が発生すれば、不法行為などという理由での慰謝料などが発生するのだ、少なくとも民法上では、

「法律上の問題」

 ということになる。

 しかし、風俗での疑似恋愛に関しては、売春でもなければ、不義を働いたことにもならない。もちろん、不貞ではないのだから、離婚の理由にもならない。

 もっとも、旦那が風俗に通い詰めてしまっていて、生活費を家に入れないなどという、結婚生活に支障をきたす場合は別であるが、少なくとも風俗営業法をキチンと守っているお店を利用していることは、何ら問題ではない。

 むしろ、風俗は法律で認められた市民権を持っている商売であり、そこに違法性は考えられない。市民権を持った商売が人間の性をお金で売るというのだ。他のサービス業と何が違うというのだろうか?

 それを考えると、逆に風俗は、犯罪抑制にも役立っているという意味で、絶対的に世の中には必要なものである。それは、誰もが分かり切っていることであり、ギャンブルのように、一歩間違えれば、犯罪に傾いてしまうかも知れない業種でも、法律で守られているのであるし、不倫で揉めることを思えば、風俗は悪いことではない。

 もっとも、配偶者が、

「どこまでを不倫と考えるか?」

 ということであるが、少なくとも風俗を不倫と同じ次元で考えるということはないだろう。

「不倫は社会道義的に許されないかも知れないが、風俗は問題ない。むしろ、不倫に走る前のストッパーとして利用されるのであれば、逆に必要なことではないか?」

 と考えられているようである。

「人間は恋愛をしなくても、その前に存在するドキドキ感を得ることができれば、それで満足するものだ」

 という考え方もあるが、風俗での疑似恋愛というものは、その発想になるのではないかと、国立は考えていた。

 国立議員は、頭もキレて、政治家としてはクリーンで、誠実味があり、有権者からは絶大な信頼があった。しかし、そんな彼も、人間としては前述のような秘密があった、それは風俗通いが趣味と言ってもいいほど好きだということだ。

 それを本人は別に悪いことだとは思っていないが、そこは政治家ということもあり、なるべくマスコミに知られないように密かに通っていたのだ。

 まあ、まだ風俗に通うくらいでそれがスクープになるほど、彼の知名度は高くないので、マスコミの中には、彼が風俗通いをしていることを知っている人もいるだろうが、そこまで話題になることはないとして、ニュースになることはなかった。

 確かに、彼は一部の有形者から、絶大な人気があり、若手の中では行動的で、誠実でクリーンな議員ということではあるが、実際に彼が議員として、何か大きな成果を挙げたわけではないので、そこまでの話題性は、その時点での彼にはなかったのだ。

 そのおかげで、仕事を終えた彼は、あまり同僚と飲みに行ったりすることもなく、日頃のお香を節約し、そして、月に一度くらいの割合で、風俗に行っていた。

 もちろん、自分が議員であることは誰にも行っていない。思潮や県知事のような知名度が高く、さらにはテレビなどで露出度が高ければ、中には分かる人もいるだろうが、一介のただの県議会議員の一人である。顔を知っている人がいるとは思えなかった。

 彼は、県議会議員になる前から、風俗通いは趣味であり、馴染みのお店ができるまで、何軒も通ったものだった。この県では風俗街は一定地区に固まっていて、しかも、ソープともなると、その街の一角にあたる、

「一丁目」

 と呼ばれる地区、つまりは、

「新地」

 と呼ばれる場所でしか、開業してはいけないという県の条例があるのを知らない人がほとんどであろう、

 県議会議員になる前からそのことは知っていたほど、国立はソープ通だったと言えるだろう。

 彼が県議会議員になってから、少しして、世界が一変してしまった。それまでは、行動が法律違反でなければ、ある程度縛られることはなかったのに、例の伝染病禍によって、マスク着用、複数人での会食、イベントの中止などという社会生活における変化もあれば、それによって、政府による行動制限の自粛レベルでの、

「お願い」

 などから、自由な行動ができなくなった。

 そのせいもあってか、風俗にも通うことができなくなった。さすがに県議会議員という自粛をお願いしている立場の人間が、濃厚接触に当たる場所に通って、もし伝染病に罹ったとなると、これは大問題である。

 そこから、クラスターなどが起これば、議会の停止は余儀なくされ、自らは議員辞職に追い込まれることだろう。

 そうなっては、何のために心機一転して県議会議員になったのかということを考えると、伝染病に罹るというのは、実に本末転倒なことであった。

 少なくとも、ワクチンが皆に摂取されて、完全なる収束が望めるようにならなければ、一番行ってはいけない場所になってしまったのだ。

 県議会議員として、伝染病禍の間の活動は、結構目立ったものだった。その間に県では条例がいくつか作られたり、改正されたりと、伝染病禍における法律でいう特措法のようなものの整備が勧められたのだ。

 その間、風俗に行けないことで、ストレスも正直溜まっていたこともあり、条例の改正に携わっている間も、どうしても頭の中では風俗のことが離れなかったりした。

 伝染病禍において、改正される条例の中には、風俗営業に関連するものもあり、それが伝染病禍における営業自粛要請ができるということで、飲食店や、居酒屋などとは少しレベルの違う制定が必要になる。

 もちろん、

「どこからが、濃厚接触になるのか?」

 というところが一番の焦点であったが、このあたりは、医学の専門家の話が必要だったりするので、当時医療ひっ迫も懸念されていたこともあり、条例改正に医療関係者を一人と言えども介入させることはできなかった。

 そのため、これらの条例改正は、ある程度禍が収束してからでないとできないということは、暗黙の了解でもあった。

 国立議員としては、

「なるべく早めに審議して、条例を通したいという事案ではあった」

 と感じていたのだ。

 そのうちに、彼が危惧していた婦女暴行事件が実際に増えてきた。それも犯人の多くは、伝染病禍で仕事を失ったり、いわゆる家庭不和により家庭を失ったりした人が精神的に病んでしまったことで起こす事件が多かったのだ。

 そんな中で、一人の議員が、トンチンカンなことを言い出した。

「最近の、この婦女暴行に関係する事件の原因は、モラルの低下にあります。実際に若い連中がセックスをできないことで、精神的なストレスが身体に影響し、むやみやたらに女性を襲うという無法地帯に入ってきています。そういう意味でもモラルに反するような社会の敵となるような職業を、少しでも減らしていくことを提案します。そういう意味で、まずは風俗営業を根本からなくしていくようにできるよう、私は提案いたします」

 というのだ。

 もちろん、最初は議員の中からも、その提案に疑問視する声が多かった。

「それは、少し考えが偏っているんじゃないですか? 風俗営業がすべて悪いというのは少し違うと思うんですが」

 という意見に対しては、

「確かにすべてが悪いと言っているわけではありません。ただ、性行為にしても、恋愛にしても、それ以前に人間としてやるべきことをやったうえで、楽しんだり、相手と気持ちを通わせたりするのが道理だと思うんです。風俗営業で簡単にセックスできる。要するに何も達成することもなく、いや、そもそも目標も何もない人間が、快楽だけを求めるようにセックスを簡単にできるという考えがおかしいというんです」

 と声を荒げている。

 この話に対しては、最初に違和感を示した人の中にも、賛同しているような人もいた。県議会の議員たちは確かに、大いなる志を持って政治家になった。そして、今後自分の目指すものを、どんどん達成していくという目的に向かって進んでいる。れっきとした目標も達成感を味わうことも分かっている人たちだ。それを前面に押し出されると、これ以上の説得力はないだろう。

 そういう意味では、国立議員も、最初に意見を出された時に比べて、この意見を言われると、一理あると感じた。思わず賛成にまわるところだったことに対し、自分でもビックリしているくらいだった。

 確かに彼のいうように、セックスというのは、家族計画という意味では大切な営みであるが、それ以上に精神的な支えとして必要なものだと思っている。

 しかし、それも、あくまでも自分に目指すものがあって、それを目指しながら、疲れた身体や精神を癒すために行う儀式だとも思っている。

 そういう意味では、セックスろいう行為だけに関しては、不倫や浮気というのを全面的に反対する気持ちにはなれない。

 確かにまわりに対して変な印象を与えてはいけないという思いから、一応は、

「不倫反対論者」

 の一人のように思われるように、振る舞ってきたが、不倫という行為自体には、さほど悪いものだという意識はない。

 大体、世間で有名人が不倫をしたということがよくニュースになるが、人によって、その記事に対しての意見では、

「不倫というのは、プライベートなことであって、それを他人がとやかくいうのは別に違うんじゃないか? 放っといてやればいいじゃないか」

 というのを見かける、

 国立議員も、

「そうだよ、その通りだ。夫婦の間では修羅場になるかも知れないが、それを世間がとやかくいうことは間違っている」

 と思っていた。

 だが、有名人による不倫がバレたことで、その人がドラマやCM契約をしている相手から、契約解除であったりされると、世間には知らせないわけにはいかない情報になるのだ。

 特にドラマの急な降板ともなれば、その理由を世間に説明しなければいけないし、嫌悪金の問題なのが発生すれば、世間が騒ぎ出す前にどこかで公表する必要がある。それだけ社会的には大きな問題になるのだ。

 だが、一般市民には、そんなことは関係ない。不倫が原因で離婚したとしても、いちいち会社に離婚理由を説明しなければいけないわけでもなく、会社には給料の扶養者の問題から、離婚の報告をしなければいけないだけだ。それも、会社に対する扶養家族の増減申請書を一枚提出するだけで済むのだ。もちろん、自治体に申請も必要だし、会社に対して戸籍謄本の添付が必要になるかも知れないが、それもあくまで形式的なことをするだけのことである。

 ただ、ここ数年の伝染病禍では、家族関係スラ、簡単に破壊してしまうほどの有事となっている。本当に厄介で住みにくい時代になったものだった。

 家庭内での濃厚接触という理由にして、旦那が奥さんを抱かなくなった。それは、単純に、

「猛攻接触が怖いから」

 という理由の人もたくさんいるのは間違いないが、中には、

「いい加減、同じ相手ばかりでは飽きてしまっていたんだ。濃厚接触という理由で、セックスをしないという理由もありだよな」

 と考えている人も多かった。

 その中に、最近では、前述の議員のように、

「セックスとは、何かを頑張ったご褒美に貰う楽しい儀式だ」

 という思いが強くなっていて、それだけに、ただ愛情もない興奮も感じないセックスが余計に苦痛だと考える人も増えてきていた。

 その理由は、この伝染病禍において、正当な理由として暗黙の了解になってきた。

 最初こそ、

「家庭内での感染はあまりない」

 と言われていたが、ウイルスが変異を重ねていく中で、

「家庭内と言っても、安心できるものではない。家庭内でも、ソーシャルディスタンスを保ち、食事中であってもマスクの着用。さらには、濃厚接触をなるべく控える」

 というように、マニュアルが変わってきたのだ。

 ただ、それも、ワクチンが皆に摂取するための、自粛期間のようなものだったのだが、それが次第に当たり前になってくると、その生活を元に戻すのが大変であることに、専門家も気付かなかった。

 家族間ではギクシャクし始め、お互いがお互いを信用できなくなるくらいになってきていた。

 会話などもなく、食事もそのうちに、同じ家に同じ時間にいても、別々の時間に摂るのが当たり前の家庭も増えてきた。

「家の中でも癒しなんか、どこにもない」

 というわけである、

 だが、この伝染病禍になる前であっても、このような状況は垣間見えていた。

 家にいても、誰とも話さない人間が一人でもいれば、家庭はギクシャクしてくるというもので、皆がそれぞれ勝手なことをし始める。食事すら一緒にしなくなっていた。

 それが当たり前という過程も結構あったのだ。

 そういう意味で、

「こんな世の中になったから、急に家庭問題が社会問題として騒がれるようになったというわけではない」

 ということなのだが、そのことを分かっていた人も結構いただろう。

 実際に自分の家がそんな家庭だったら、分からない方がどうかしているというものなのだが、それを、世間体を気にして、誰もまわりに言わなかったことで、誰も問題にしなかっただけだ。

 マスコミも分かっていたのだろうが、さすがに、この問題がデリケートであることが分かっていたので、最初にその記事を書くことは控えていた。

 もし、最初に言い出して、これが悪い意味での社会問題を引き起こしてしまえば、悪いのはこの話題を広げたマスコミということになる。

 記事を最初に掲載した出版社がやり玉に挙げられ、記事を書いた記者だけではなく、出版社の責任となって、下手をすれば、出版社が潰れてしまうということも当然のごとく考えられる。

 そのため、誰もその記事を書こうとはしあいのだ。

「触れてはいけない事案」

 として、アンタッチャブルな世界の出来事のようになっているものを、この有事にわざわざ引っ張り出すようなことをするはずがない、

 さすがに、平時であれば、騒ぎ立てることがなければ、問題になることもなかった。だが、この伝染病禍が、誰も触ることをしなかったハチの巣をつつくことになってしまった。

 一度、地盤がずれてしまうと、そこからはまるで虫歯のように、何かの治療を施さないと、痛みをとることはできない。

 しかし、一度ひずんでしまったものは元に戻すことはできない。いかに、歪を大きくしないかということが問題であり、これ以上問題を大きくしてはいけなかった。そのためには黙っておく方がいいのか、ある程度のところで歯止めを利かさなければいけないのか、その治療法はデリケートであるのだが、放っておくわけにもいかない。

 開けてはいけない、「パンドラの匣」を開けてしまうことになるのだ。その匣から出てきたものは果たして何だったのだろう?

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