第2話 マスク効果の悲劇

 世の中が歪んでしまい、人間だけではなく、自然界を含めたところの循環も次第に悪くなってきた。生態系の変化というべきか、細かいことで、いろいろな弊害も起こっているようだ。

 これまで定期的な生産ラインがまったくストップしてしまい、山の木の伐採もされなくあったり、海の魚も獲れなくなったりした。これは、ロックダウンを行う都市であったり、緊急事態宣言での休業、あるいは時短要請で、店が閉まってしまったり、あるいは、店を開けていても、ほとんどお客さんが入らなかったりするために、店側が、仕入れを制限することで、生産者も需要がなければ、供給もできないということで、本来であれば、獲るはずのものを獲らなかったり、伐採されるはずのものが伐採されなかったりする。

 これまでは、よくも悪くも、その循環で世界は進んできた。確かに収穫しすぎたり伐採しすぎると、弊害が出るので、少しずつ改善していこうという動きはあった。

 しかし、いきなりすべてをなくしてしまうということは、元来獲られるはずの生物や、収穫されるはずの食物が収穫されないということは、例えば、天敵と言われる生物が生きていけなかったりすることで、生活圏のバランスが一気に崩れることになる。

 それこそ、

「見えにくいが、大きな弊害の序曲」

 と言えるのではないだろうか。

 一部の学者でそのことを危惧している人も少なくはないが、何しろその証明というのが難しい。論文してまとめる二しても、資料と前提があまりにも欠如しているので、研究しても途中で証明することが難しいということに至ってしまうと、そこから先が見えてくるものではない。

 さらに、このことを危惧していた時期は、まだ禍が起こっての初期の段階だった。

 全世界の人間が、まだ禍の正体を分かっておらず、どうすればパンデミックを抑えられるかという問題に直面し、第一に優先されるべきは、

「パンデミックの抑制」

 だったのだ。

 それなのに、照明もできない、ただ、危惧されているというだけのことを、その段階で警鐘を鳴らしたとしても、誰もそんなことに耳を貸すとは思えない。

「学者の一部が、根拠もないことで警鐘を鳴らしているだけだ」

 ということで、もし、マスコミがこれをネタにして記事を書いても、世間から見れば、

「今の時代に何を言っているのか、優先順位が違う」

 ということで、相手にされないだろう。

 マスコミもそんなことが予想されるような話を記事にすることもない、もし、記事にするとすれば、新聞のコラム欄で、チラッと一度紹介されるくらいで、もし見た人がいたとしても、話題になることはないだろう。

 だが、その時はそうだったのかも知れないが、次第にパンデミックの正体も解明されてきて、ワクチンだけでなく、治療薬、特効薬迄作られるようになると、気を付けることも決まってきて、一旦、完全に収束させることができると、あとは、インフルエンザのように、希望者には予防接種を受ける体制を整え、伝染しないような医療体制を構築させるだけだった。

 それは、一度収束してしまってからであれば、急速に進めることができる。解明、収束までに紆余曲折を繰り返し、何年もかかって辿り着いたことで、やっと世界にパンデミック前の生活は戻ってきた。

 感染予防として、マスクの着用、換気の徹底、外出から帰ってきた時、店への入店時には、必ずアルコール消毒と、手を洗うということの徹底など、パンデミック下では、日常生活では、当たり前のことになっていた。

 少しずつそれらのことがなくなっていき、生活が元に戻ってくる。ただ、だからと言って、すべてを一気になくしてしまうということもない。伝染病には皆が敏感になっているので、他の伝染病が流行りそうな時は、これらの予防策を皆が徹底する体制が出来上がっているというのは、ある意味、パンデミックにおける、

「よかったこと」

 と言えるだろう。

 特に、この禍が起こってからというもの、例年、冬になると、インフルエンザが猛威を振るい、今回の禍の間に、

「両方が流行ってしまうと、どちらのウイルスにやられたのか、治療で混乱するのではないか?」

 という最大の危惧があったのだが、なぜか、インフルエンザの流行はなかった。

 言われていることとしては、

「対策のための、マスク着用やアルコール消毒の例年にない徹底が、インフルエンザの流行を抑えきっているのだはないか」

 という研究であった。

 一定程度はインフルエンザも抑えきれるということが分かったということも、今回の感染対策による。

「よかったこと」

 の一つだろう。

 こんな世の中において、なかなか誰も気付かなかったことが、怒りつつあった。

 「夜間の女性に対しての婦女暴行事件が、この禍期間の間に一気に減っていた」

 ということは、警察の白書などでも分かっていることであったが、これに関しては、ある程度予想ができることであった。

 そもそも、夜間外出が自粛要請され、夜の店も休業するようになれば、夜表を歩いている人も減ってくるだろう。

 しかも、婦女暴行事件のように、密着して暴行することで、自分の性欲を満たそうとする連中の異常性癖を満たすものなだけに、感染の危険性が高いのに、そこまでする勇気が果たしてあるかということも考えられた。

「そもそも、女性に声を掛けることができないような気の弱い連中の犯行ではないか」

 というのが、夜間の婦女暴行事件だと思われていたのだが、実際には少し違うかも知れない。

 中には、声を掛けられないというのが、勇気に関係していることではなく、女性から言われたことで、自分の性が委縮してしまうという、全体的な勇気のなさではなく、身体の一部と精神面での一種の病気がもたらすもので、人を襲うという快感から、身体の反応を促すという、こちらも精神的な面での行動となるので、勇気の問題で片づけられないところがある。

 例えば、

「相手が目隠しをされているなどして、こちらが分からない状態であれば、自分にも性行為ができる」

 ということであったり、自分の中で相手を征服しているという感覚がなければ、身体が反応しないなどという場合が、犯行の理由にはあるのだろう。

 もちろん、それだけではないのも間違いないが、それでも、彼らにとって、全体的に臆病な人が多いというのも、間違ってはいないというものだ。

 そういう意味で、この時期に犯罪が少なかったのは一定の理解ができる。

 しかし、別の意味での犯罪が抑制された理由を分かっている人は少ないだろう。

 これらの犯罪は、よく言われているのが、女性に対して免疫のない人が、唯一男としての機能を持つことができる行動が、婦女暴行という歪な形によるものであり、彼らからすれば、

「精神病の一種で、仕方のない行動だ」

 と考える人もいるかも知れない。

 それでも中にはいろいろなパターンもある、

 たとえば、ずっともてなくて、彼女などできるわけもないと自分で思い込んでいるような男で、友達すらおらず、相談する人ももちろんいるわけもなく、勇気を持って童貞卒業に、風俗に行ったとしようか。

 その時に、相手の嬢から、軽い世間話の中での一環なのだろうが、その人にとっては致命的な精神的にも肉体的にも致命的なことを言われてしまって、何もできなかったとすれば、その人は、その時のことがトラウマになってしまい、女性を前にしただけで、身体が反応できなくなってしまう人もいるだろう。

 本当は、病院で診てもらうべきなのだろうが、相談できる人もいない状況なので、病院という発想に辿り着くこともできない。

 そうなると、彼の中では衝動的な妄想が生まれてくるばかりで、

「妄想の中だったら、何でもできるのに」

 と、自慰行為だけで悶々とした毎日を送ることになるだろう。

 猟奇的なビデオを見たりして、自分の欲望と妄想を満たすことで、自慰行為に結び付ける。一種の二次元に逃げる発想に近いのかも知れない。

 だが、中にはそこから猟奇的な犯罪を妄想としてではなく、自分の性癖をリアルで満足させる唯一の手段だと思い込んだとすれば、このような犯罪に足を踏み入れる男性も少なくはないだろう。

 そんな彼らにもパターンが存在するのかも知れない。

「誰もいいというわけではなく、自分の好きなタイプの女性に対してしか、行動できない」

 という人もいるに違いない。

 そのことを、清水が巡査時代に気づいていた。

 実は、彼は生態系に関しても若干であるが危惧していた。学生時代から、

「何事も最悪な場面を想像してしまう」

 という性格であり、それがいいことなのか悪いことなのか分からないでいたのが、彼の悩みでもあった。

 緊急事態宣言の中、夜の街を巡回し、特に、飲み屋街での警備に躍起になっている警察の目がすべてそちらに向いていることが気になっていたのだ。

 確かに公園などは、ほとんど人もおらず、閑散としているので、ほぼ何も起こらない気がしていたが、彼が気にしていたのは、街中での、工事中のビルなどであった。

 ちょうど、最近は、老朽化したビルの立て直しなどに伴って、街を挙げての区画整理などを行おうというところも結構あったりして、伝染病禍の前は、街を歩くと、至るところで道路工事をしていたり、ビルの建設ラッシュになっていた。

 だが、緊急事態宣言ということで、そのほとんどの工事が延期されてしまった。取り壊されたビルが、シートをかぶされたまま、場所によっては、赤色のコーンにまるでクリスマスツリーの電飾のように、光っているところもあるが、そのほとんどが、照明もついていないような場所だったりする。

 そもそも、照明をつけるのは、防犯を目的としたものであって、人がほとんど歩いていないところでつけるのも意味がないとでも思ったのか、それとも、照明があると、人が湧いて出てくるという意識からなのか、照明をつけていないところが多い。その理由が同じ原点でありながら、発想がまったく逆になっているというのは、実に面白いことではないだろうか。

 そんな夜の街が、いつになったら、活気があふれる街になるというのか、誰も想像できないだろう。想像することすら不謹慎な気風になっている。それだけ、世間や経済が疲弊しているということであろう。

 そういうこともあって、ほとんど皆が、その日をいかに暮らしていけばいいのかという目先のことばかりを見てしまっているので、気付かないことも多いに違いない。

 だが、そんな状況でも、先々のことを考えている人もいる。それが、清水巡査だったのだ。

 清水巡査は他にもたくさんの危惧があり、今から記すのは、その中の一つでしかないわけだが、その後に大問題となってくることから、触れておくべきことでもあった。

 それが、前述の婦女暴行事件の考え方であるのだ。

 確かに伝染病禍にて、婦女暴行事件は減ってきているのだが、その理由を、

「前述のような理由だけで判断していいのだろうか?」

 ということであった。

 ある意味、婦女暴行事件に及ぶに至る犯人というのは、精神的に病を負っていたりするという、異常性癖の人たちが多く、本来なら精神疾患から疑ってみるべき人たちの犯行なので、まともに正面から考えただけではいけないというのを、どこまで警察の方で分かっているかということである。

 こういうことは、意外と最前線で捜査する刑事であったり、警官の方が分かっているのではないかというのは、よくあることであり、その発想が些細なことであることから、どうしても、考えが自分の域を出ない。

 今回感じた清水巡査の思いというのは、

「マスクをしている弊害」

 という考え方だった。

 清水巡査が考えている、婦女暴行という犯行が、伝染病禍で減ってきたということの理由の中に、マスク問題が含まれていると思っている。婦女暴行事件を、一つの枠に当て嵌めてしまい、犯人の性質を一絡げにしてしまうとこの発想には行きつかない。つまりは犯人の特徴として、

「犯人は男なのだから、好みの問題もある」

 ということである。

 いくら妄想で身体が動いてしまって、犯行に及ぶものだとはいえ、さすがに、行動すればどうなるかということくらいは想像できるだろう。それでもやるのだから、逆に失敗は許されない。実際に暴行して、その際に身体が反応しなければ、何のために犯行に及んだのか、本末転倒な結果になってしまう。そうなると、自分の身体が反応するであろうと思われる相手を十分に物色する必要がある。

 もっとも、衝動的な犯行であれば、その限りにはないだろうが、少なくとも、時間や場所を決めておくという時点で、計画的である事は明らかだ。そうなると、計画が現実的になればなるほど、失敗が許されないという理屈は、おのずと生まれてくるのであった。

 普通の男性であれば、相手を選ぶという行為は、重要であるが、普通に当たり前と思うことで、そこまで意識せずに、無意識に考えられることであろう。

 しかし、性癖に問題があり、童貞を失うために勇気を出して挑んだ風俗で、まさかの精神疾患に対してのタブーを言われてしまったことで、トラウマとなり残ってしまったことの現実は、無意識などという言葉では解決できるものではない。しっかりと自分でその事実を受け止めて、解決策を見出さなければいけないことであり、ただでさえ、精神的に無理があるのに、その無理をさらに意識しなければならないというのは、ハードルが高いであろう。

 それでも、克服するためには、幾ばくかのリスクを伴わなければいけない。他の人から見れば、犯罪であり、異常性癖による犯罪などというのは、撲滅しなければいけないものとして片づけられてしまうのだろうが、犯罪を犯す方にも、それなりの言い分があるのかも知れない。

 だから、犯罪を犯す連中は、これを犯罪として意識していないのかも知れない。いや、犯罪であるということは理解していると思う。ただ、それが倫理上、法律上のいい悪いという感覚ではなく、犯罪というものがどういうものなのかという観点から見ているのだろう。

 つまりは、犯罪を犯して、それが分かってしまうと、警察に捕まって、裁判を受け、有罪か無罪の判決を受け、有罪になれば、刑務所に送られるものだという、形式的なことは分かっているのだろう。

 だから計画もするのだし、なるべく捕まらないようにしようという考えもある。ただ、それが相手がどう感じるか、社会的な影響、そして、自分の将来にどのような影響があるかということまで考えられているかどうかは分からない。

 ある意味、犯罪であっても、彼らのような人間にとっては、

「一種のリハビリのようなもの」

 という認識しかないのかも知れない。

 そうなると、前述のように、

「失敗は許されない」

 という考えに至るのだろう。

 警察に捕まるというリスクを犯してまで行うリハビリなのだ。まずは成功しなければいけないと考えることであろう。

 そのためには、失敗しないための計画を立てるのは当たり前のこと。綿密に場所や時間帯の計画を立て、警察の目を盗むということや、人の目につかないというようなことも当然最初に考えるべきことである。

 もっといえば、ターゲットを絞るとすれば、その人の性格も考える。

 何かあった時に、すぐに誰かにいうような人は絶対に避けなければいけない。襲われて羞恥に身を震わせる内気な女性であれば、

「恥じらいから警察に訴えるようなことはしないだろう」

 という考えも出てくる。

 しかも、法律を勉強していれば、今の法体制では、裁判所に女性が証人として出廷させられ、言いたくもないことをどんどん質問され、さらには、

「あなたにも、落ち度があったのでは?」

 などという、相手の弁護側からの辛辣な尋問があったりなどすれば、却って訴えている自分が、まるで悪者であるかのような錯覚に陥り、

「こんなことなら、示談金を貰って、訴えを取り下げた方がマシだ」

 という結末を迎えるというのも、結構あったりする。

 そういう意味で、婦女暴行事件を、被害者側が裁判沙汰にするということに至る事例は結構少なかったりする。今のような実例を相手の弁護士に聞かされてまで、裁判を起こそうとは思わないだろう。

 人によっては、

「ハチに刺されたと思って諦めるしかない」

 と思っている人に、裁判の話が出たとしても、せっかくまわりに分からないようにしていたのに、裁判など起こすと、まわりにバレてしまって、関係がぎこちなくなり、その場にいられなくなる可能性もある。

 それは、避けねばならないことだった。

 ただでさえ、婦女暴行事件というのは、女性にとって理不尽な事件であるにも関わらず、表に出ることが少ないということで、事件が減ることはないと思われた。

 ただそれは、あくまでも論理的に考えてのことであって、実際の犯人は、毎回違うし、被害者も当然違うのだ。その時々で考え方も違えば、ケースも違っている。

 清水巡査が考えた、

「事件が増えるかも知れない」

 と思ったのは、

「これまではマスクをしていたことで、顔が分からなかったが、マスクを外すと皆、綺麗に見えてくることで、その人の顔のバランスや表情から、性格が分かってくるということから、犯罪が増える」

 と思ったことだった。

 それは、自分の好みの女性というよりも、

「この人にだったら、自分の身体が反応する」

 という感覚からではないだろうか。

 特に精神的なショックから反応しなくなったのだから、まずは、身体が反応する相手を探すというのが、肝になってくる。もし、そこで自分の身体が反応することが分かれば、これが犯罪であり、有罪となり収監されたとしても、自分を取り戻すことができたと思えば、これをリスクと考える人もいるだろう。もちろん、被害者は世間のことをまったく考えないということからの発想でしかないが、それだけ、彼の被ったトラウマは異常であり、倫理であったり道徳を凌駕したものだと言っても過言ではないだろう。

 要するに、損得勘定が優先するということだ。

 そういう意味でも、まずは成功するということが大前提になってくる。成功しなければ、未遂で終わったとすれば、罪が軽くなるか、相手も訴えるというところのリスクを犯すまでは考えにくいのかも知れないが、そもそもの問題解決には至らないだろう。

 逆に一度勇気を出して行動に出て、それが未遂に終わってしまったとすれば、そんな中途はBパな結末を迎えたことで、本人は二度と、犯罪を犯すことはない代わりに、二度とこの苦しみから逃れることはできないだろう。

 そうなると、精神疾患は別のところに転移する形で、治ることのない不治の病のようになることだろう。婦女暴行という犯罪には手を出すことはないかも知れないが、他の犯罪に手を出す可能性は、限りなく高いと思われる。

 特に一度未遂とはいえ、行動してしまったのだから、病を治そうとした時に、最初に考えるのは、犯罪になるに違いない。それがこれからの彼にとっての逃れられない宿命となるのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、

「このままいくと、マスクを外したことで、相手の女性のことが分かるようになり、襲いたいという衝動に駆られてしまう人が多くなるのではないか?」

 と考えるからだった。

 もし、他の人が同じように、

「マスクを外す女性が増えたことで、性犯罪が頻発するのではないか?」

 と考えたとしても、その主旨が違うのだ。

 他の人は、あくまでも、ターゲットになる女性が自分の好みであったり、単純に美しく見えることで、犯罪が増え、そこに模倣犯が絡むことで、さらに増えると思うのではないかと考えると思うのだ。

 しかし、清水巡査の考えは、ターゲットの女性は自分の好みとか単純に可愛いなどという安易な目標ではないということであった。身体が反応するということ、そして、犯罪は成功しなければならないという考えが最優先であるということから、他の人が感じることよりも、よほどシビアにこの事件を危惧しているのだった。

 確かに、他の人が考えていることの中には、その時の世相を想像してのことであるので、シビアな考えには他ならない。

 理不尽な世の中。一生懸命に仕事をしようとしても、その環境が完全に壊れてしまっている。仕事をしたくても、会社から首を切られ、客にサービスを提供しようにも、店自体が休業要請を強いられ、潰れるのを黙って待つしかないという理不尽な世の中である。

 それを思うと、自殺者が増えるか、犯罪者が増えるか、その両方であることは明白である。

 強盗などの犯罪、理不尽な世の中に絶望して、欲望を最前線に出した犯罪。これらが増えるのは分かり切っている。だから、マスクを外した女性の美しさを考えると、犯罪は増えるのだ。

 同じ増えるという結論であっても、その傾向はまったく違っている。

 清水刑事は、他の人が考える犯罪も増えるかも知れないが、それ以上に危惧しているのは、精神に疾患があったり、トラウマから犯罪を起こす連中であった。

 他の人が考える犯罪の増加の原因として一番強いのが、

「伝染病禍」

 によるものだということであるが、清水巡査の考える犯罪増加の原因の優先順位の一番は、伝染病禍ではない、あくまでも、

「マスクを外したこと」

 に起因する、自分のトラウマの解消であったり、異常性癖によるものだという違いがあるのだ。

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