着地点での記憶の行方

森本 晃次

第1話 伝染病禍

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年五月時点のもおのです。それ以降は未来のお話なので、これは未来に向けたフィクションです。


 西暦二〇××年の初夏、まだ完全に世界は、二〇一九年の年末から始まった、ある都市で突然出てきたと言われる、ウイルス系の伝染病が一気に世界に蔓延し、いわゆるパンデミックを引き起こした。

 歴史が証明しているように、一度パンデミックが起こると、

「第〇波」

 ということで、一度収束しても、完全に消えたわけではなく、リバウンドが発生する。

 世界で流行する伝染病対策としては、まずは、自国に持ち込まないような水際対策であったり、専門家によってのウイルスの調査、そして、どのようにすれば伝染が拡大するのかということが分かってくれば、そうならないように社会をまとめるのが、政府を中心とした行政の役目。

 そして、法改正が必要なら、国会が議論を重ねて、特措法などを整備するために、国会議員が法律改正、立法に携わる。

 さらには、もし感染が増えてくると、医療体制をひっ迫させないように、政府および、自治体が連携して、慰労体制の拡充を図る。

 そして大切なこととして、国民が混乱しないように、マスコミなどのメディアが、正しい情報を国民に示して、国民に安心を提供する。

 それが、パンデミック前に行う伝染病対策ではないだろうか。

 しかし、不幸にもパンデミックが発生してしまった。

 欧米列強は、国土が密接していたり、民族性などもあって、感性が急拡大し、危機的状況に陥った。そのために、ロックダウンと言われる都市封鎖までやって、感染を抑えようとしている、

 これは、過去に日本でもあった、

「戒厳令」

 と同じだ。

 戒厳令というと、都市で起こったクーデターなどや、壊滅に繋がるような自然災害などの緊急事態において、兵力を持って治安を維持するための警備を行うため、法律や憲法で保障されている個人の自由を一時停止し、改元司令官の命令が優先されるというものである。

 ロックダウンはそれに違いモノで、無断外出をしただけで、罰金が科せられたりするくらいである。

 しかし、日本には、戒厳令を現在では出すことができる法律は存在しない。つまりは、憲法が保障する

「個人の尊厳」

 に優先するものは、存在しないということだ。

 大日本帝国かでは、戒厳令という法律が存在した、かつて東京市で出された戒厳令は三つほどあったのだが、まずその一つが、日露戦争終結の際に結ばれたポーツマス条約において、

「勝利したはずの戦争で、立地的な権利を戦利品として勝ち取ることができたが、これだけの損害を出しているにも関わらず、戦争賠償金を得ることができなかった」

 ということに対して、東京市民が反発し、日比谷焼き討ち事件というのが起こったがその時が最初だった。

 二回目は、大正十二年に起こった最大の災害である、

「関東大震災」

 さらに、最後には、昭和十一年に起こった陸軍「皇道派」による「統制は」に対しての権力抗争である

「二・二六事件」

 の時の三回だけである。

 ちなみにこの事件の時には鎮静は三日後には鎮圧されたのだが、実際には、東京市に敷かれた戒厳令は七月までと、約五か月近くもの間、戒厳状態だったのだ。

 大日本帝国下では、そのような緊急勅令も敷かれたのだが、日本が大東亜戦争に敗北したことで、連合国からなかば強制的に植え付けられた民主主義による日本国憲法によって、国民の主権と、個人の尊厳は守られたが、

「戦争放棄」

 という文言のため、日本に戦時というものは存在しないということになった。

 つまりは、有事は存在しないのである。

 しかし、伝染病の流入という、国境に関係のない外敵に対しても日本の法律は無力だった。

 特措法によって、かろうじて設けられた、形ばかりの

「緊急事態宣言」

 と呼ばれるもの。

 それはまったく大日本帝国における戒厳令とは違ったものであり、諸外国が敷いたロックダウンのように、罰則もないので、命令もできない。つまりはお願いレベルでしかないのだ。

 そのせいで、政府としては、

「国民がしたがってくれなければ、どうしようもない」

 という状態なのだが、実際には、政府もポンコツのために、自粛というお願いもむなしく響くことになる。

 営業自粛であったり、外出自粛なども叫ばれたが、営業自粛には、営業補償となるべく存在しなければいけないはずの保証金も十分と言えるものではなく、しかも、政策が中途半端になったために、一度収束に向かっても、解除してしまうと、一月ちょっとくらいでリバウンドが起こり、さらなる悲惨な状況を作ってしまう。

 そのため、

「何回目の宣言なんだ?」

 という状態が続き、

「一度、短い期間に一気に粛清させて、世間を普通の状態にするだけの頭はないのか?」

 と言われることになる。

 政府とすれば、

「あまり絞りがきついと、経済が疲弊してしまって、経済がまわらないことで、失業、廃業が増えて、自殺者も増えることになる」

 ということで、急な締め付けには難色を示す、

 しかし、中途半端をダラダラと、終わりの見えない状況でされる方が、

「真綿で首を絞められるようなもの」

 ということになり、結果は目に見えているのではないだろうか。

 しかも、政府や自治体で、国民は市民に自粛をお願いしている立場の人が、自分たちがしないでほしいと呼びかけていることを自分たちが破るような輩が結構出てきたりした。そのせいもあって、

「誰が、そんなの守るものか」

 ということになり、自粛願いも、虚しく響くだけになってしまうのだった。

 それを一体、何年繰り返せばいいというのか、一年のうちに、果たして何日が緊急事態宣言下だったというのか、国民は、外出自粛などを守る人もほとんどいない。休日になれば、街は人であふれている。これがこの国の実情である。

 地域によっては、医療がひっ迫し、救急車を呼んでも来てくれなかったり、来てくれても、受け入れ病院が見つからず、そのまま救急車の中で死んでしまうなどという悲劇も実際にあったりした。

「この温度差って何なんだ?」

 これが、同じ国家の同じ時期の状態だろうか?

 それを思うと、国家と国民、政府と人民。その関係を問われている時期だったのではないかと言えるのではないだろうか。

 皆がマスクをして、蜜にならないようにする。スポーツやコンサートなどのイベントは、無観客だったり、観客を制限してでもできればまだいいが、大半のイベントは中止や延期を余儀なくされている。

 それなのに、日本政府のとち狂ったかのような、オリンピックという、

「巨大な運動会」

 のために、国民が犠牲を強いられようとしている。

 政府からの納得のいく説明は一切なし、それで何を受け入れろというのか。

 しかも、真実を伝えるはずのマスゴミの偏見に満ちた報道によって、国民はどこに連れていかれるというのか。戒厳令があったらあったで、不満は爆発するが、こんな中途半端な状態で、いかにも国家に殺されそうで不安な毎日を過ごしているというのも、これほど中途半端なことはないのだろう。

 そんな伝染病禍であったが、政府、自治体の努力、国民(一部の守らない連中を覗く)の努力があって、何とかパンデミックが収まってきたのだ。

 それでも、世界ではまだまだ苦しんでいる国もあったが、日本は少し落ち着いた、

 この物語は、パンデミックというトンネルの出口が見えてきたあたりからの物語である。「どこが未来で、どこが現代で、どこが過去なのか?」

 この問題は今に始まったことではないが、このお話は、実際には練和三年五月時点に描き始めたものだから、歴史的にそこから先は、

「未来」

 ということになる。

 しかし、書きあがってもほとんどが未来であることは分かり切っている。一瞬にして宇イリスがこの世からなくなってしまうという革命的な薬ができたり、あるいは、アルマゲドンが起こって、世界全体が一瞬にして崩壊したりしない限りは、すべての話は未来になるのだ。

 読者の方々はそのつもりでこのお話に入っていただきたいと思う。

 時代は、相変わらずの緊急事態宣言という、まったく信憑性も根拠もない自体を彷徨っていたが、それを打破する一縷の可能性としてワクチンがあるのだが、その普及が少しずつ身を結ぼうとしていたところであった。

 無能で、まったく説得力のない首相がいった、

「ワクチン接種が、一番の重大事項である」

 というその言葉だけは信憑性を感じられた。

 海外では実際にワクチン接種により、感染が収束しているという事例はたくさん見られる。

「日本人だけが特殊で、効かない」

 というわけでもない限り、ワクチン接種は、確かに首相のいうとおり、

「希望の光」

 であり、

「切り札」

 と言ってもいいだろう。

 その間に何とか感染者を増やさないようにしていて、

「自粛疲れ」

 との闘いがどこまで続くかであったが、何とか何年か経って、少し収束の兆しが見えてきたのだった。

 どれだけの人がこんなに何年もの間、パンデミックに苦しめられると想像しただろうか?

 さすがに一年くらいでは収束しないとはほとんどの人が思っていただろうが、ウイルスとしても、

「敵もさるもの引っ?くもの」

 である。

 どんどん、変異株が増えていき、強くなっていく。まるで爬虫類が脱皮するような感じであろうか。そのたびに、

「ワクチンの効き目がどうなるか分からない」

 などということもあって、当然のごとく、相手も強くなってくる。

 それこそ、同じウイルスのコンピュータウイルスと、ウイルス駆除ソフトのいたちごっこのようなものだ。

 そもそも、コンピュータウイルスは人が作ったもので、それを人間が駆除するといういたちごっこは致し方ないことだが、実際に病気のウイルスということであれば、自然現象なので、人間の尊厳と生きるという本能がどこまで通用するかということでもあるだろう。もっとも、それも今回のパンデミックを引き起こしたウイルスが、本当に自然現象で、人間が作り出したものではないと言い切れないところも問題だが、それはこれから次第に明らかになってくることだろうと思われるが、本当にこれが人災であれば、本当にシャレにならない話である。

「全世界、いや、全人類に対する挑戦であり、決して許してはいけないことだ」

 ということになる。

 果たして本当に、今から数年で、このパンデミックが収束し、平和でかつての生活ができる世の中が再び訪れるのかどうか、読者には正直分からない。あくまでも希望的観測でしかないが、少なくともかつて全世界で流行したどんなウイルスも、

「収束しなかったことはない」

 と言えるだろう。

 そうでないと、人類は滅亡していたからである。

 そんな地獄のような時代の、

「地獄のループ」

 つまり、大きな波を何度も何度も繰り返しながら、終わりの見えない感染拡大と一時的収束の繰り返しがある程度落ち着きを見せた時、これからの世の中に、警鐘を鳴らす人が、ここに一人いたのだ。

 この人は、政治家ではないが、このパンデミックの時代にも、真面目に仕事をしてきた青年刑事であった、

 彼はパンデミックが始まった頃はまだ、交番勤務の警官であったが、パンデミック終盤には、刑事に昇格し、刑事として犯罪捜査に挑むという仕事に従事していたのだ。

 彼の危惧は、実は今に始まったことではなく、作者がこの話を書いている、令和三年五月くらいから、その危惧を抱いていた。

この頃は、まだまだバリバリの警官であり、世間が緊急事態宣言ということで、自粛義務が、国民の間でまだまだ守られている頃だったのだが、すでに発生から一年半が経ち、国民がこの状態に疲れを慣れの矛盾した状態に陥っていたことで、

「このまま自粛体制が進むのか、それとも、もう誰も政府の言うことを訊かなくなるのか?」

 によって、世の中に対する考えが変わってくることで、警備の考え方もおのずと変わってくると思っていた。

 夜中などの警備は、とても重要だった。

 自粛を破って表に出てきた青年が、集団で何か羽目を外すかも知れない。公園などで飲み会などを催す連中もいるだろうし、これは、最初の緊急事態宣言の頃から問題になっていたことだが、休業要請を受けた飲食店などの業界は、ある程度、

「夜の街」

 と呼ばれるあたりに集中していたりする。

 いわゆる、

「飲み屋街」

 というところであるが、そういうところの電気が、一斉に消えるのである。

 経済の疲弊を、待ったなしで行っている緊急事態宣言は、世間に次第に経営不振で解雇された失業者や、廃業に追いやられた零細企業などの経営者などが街に溢れるという現象を引き起こす。

「明日の暮らしはおろか、今日の食事もままならない」

 という人も少なくなく、そんな人が狙うのが、休業要請で店を閉めなければいけない店舗だった。

 店の明かりも消えているので、夜は真っ暗で誰も近寄る人はいない。完全に警備のできているビルであれば、安心なのだが、飲み屋街の雑居ビルなどに、どこまでの警備が入っているか分かったものではない。

 数日間も誰も近寄る人がいないとなると、空き巣に狙われるのは分かり切っていることだが、実際にたまに店主が店に来てみると、被害に遭っているということがザラだった。

 彼のような警官の仕事として、そういうビルを見回るのも仕事の一つなのだろうが、繁華街の多いところはそれだけを見回っているわけにはいかない。

 さすがにヤバいと思ったのか、店を閉めはしているが、店のオーナー連中が集まって、自分たちで警備隊を結成し、時間帯を決めて、夜中の見回りをするようにもなっていたのだ。

 本来なら人が立ち寄らないようにするのが目的なのに、それこそ、この状態は本末転倒であり、理不尽な結果は、本当にこの宣言が正しいのかと思わせる矛盾を孕んでいるのであった。

 こんな時代がどれだけ続くのか、経営者も辛さ、情けなさを感じていたことだろう。

 自分たちが必死で稼いだお金を、簡単に取っていくやつがいるのに、その対策もこのような原始的な方法でしかとることができない。

 しかも、盗みを働く連中も、元は真面目に働いていた連中であり、いつ何時自分も同じ立場にならないとも限らないと思うと、いたたまれなくなってしまうのだ。

 これを、

「暗黒の時代」

 と言わずに何と言うのだろう。

 この青年警官も、自分が警らをしている時は同じことを考えていた。

「せっかく警官になって張り切っていたのに、こんな後ろ向きの仕事ばかり、理不尽ではないか?」

 と時代を憎んだりもした。

 彼は、名前を清水と言った、当時は清水巡査であったが、刑事課に上がると、清水刑事として、それまでとは目線の違う仕事をするようになっていたのだ。

 そんな時代を数年間過ごしてきたので、警官の時代は、正直自分でも何をやっていたのかよく分かっていなかった。

 しかし、その頃に気になっていたことはあったようで、それは、その頃に危惧することではなく、むしろ、時代が落ち着いてきて、パンデミックが収束することで、世の中の生活が、数年前の正常な状態に戻りつつあることから増えてくるのではないかと思われる犯罪であった。

 このパンデミックを引き起こす伝染病は、他の病気のような、空気感染や、血液感染のようなものはない。

 インフルエンザや、HIVウイルスのようなものではなく、あくまでも、

「飛沫感染」

 が主だった。

 つまりは、人との会話、咳などによるもの、そして、飛沫が飛ぶものを素手で触って、それを口に持っていくなどの経緯での感染が大きいとされた。

 予防するには、マスクの着用、アクリル板などの設置、そしてアルコール消毒、さらには換気というものが主であった。

 一番の基本となるのが、マスクの着用であった。

 そういえば、パンデミックが予想される中でのマスク騒動は、かなり深刻だった。

 市場には、まったくと言っていいほどマスクがいきわたらなくなり、たまに入荷しても、五分と言わずに売り切れてしまうという状態が続き、朝一番で、薬局には開店一時間以上前から、マスクや消毒液を求めて並んでいるという光景をよく見た。それだけに入荷しても、五分と持たないのだ。

 その原因は、

「利益目的の悪徳買い占めがネット上で起こった」

 ということが大きかった。

 ネットでも薬局でも、

「一人に一つ限り」

 と言っているのに、まったく市場に出回らない。

 買占めをしている連中がいるのだ。要するに転売目的である。

 そのうち、法律が改正されて、転売目的の購入ができなくなったが、すでに後の祭りだった。

 普段なら、五十枚入りのサージカルマスクが、五百円未満で普通に販売されていたのに、それすらなくて、ネットで何と、一枚が数万円という、ありえない値段になっていたのに、それでも、購入をしようとする人が後を絶たなかったほどである。

 そのため、前代の首相が、何を考えたのか、布マスクの配布を税金で行うという措置を行った。小さすぎて、あまり効果のないものを、税金からかなりの額を支出して、しかもそれを、

「総理、肝いりの政策」

 などと言って、全国民にドン引きさせたということも、今は懐かしいくらいである。

 実際に、そのマスクが国民にいきわたる前に、マスク不足も解消され、以前ほどとはいかないが、値段も落ち着いてきて、市場にマスクが普通に売られるようになっていた。

 しかし、今度は作りすぎたのか、普通に売れ残ったものもあり、しかも、突貫での作業なのか、後進国で安価な人件費による粗末なものを作らせたのか、箱単位で売られているマスクの不良品の多いことには閉口してしまうのだった。

 問題はこのマスクに関係のあることであった。

 マスク自体の問題ではないのだが、清水刑事が巡査時代から気にしていたのが、

「マスク着用による弊害」

 であった。

 考えてみれば、一年半前の状況で、インフルエンザなどが流行している時期以外で、街中でマスクをしている人がいれば、それだけで違和感を感じていたはずなのに、パンデミックが起こってからは、マスクをしていない人に過敏に反応し、すれ違おうとすれば、思わず避けてしまう行動をとることになる。

 マスク着用は、義務ではないが、していないと、交通機関では断られることもある、まずタクシーは乗車拒否をしてもいいことになっていたり、航空会社では、マスクをしていない客と揉めたりしてニュースになることも多かった。

 だが、さすがに、マスクをしていない人を見ると、誰もが白い目で見る時代が一年以上も続くと、マスクをするのが当たり前であり、この生活をずっと以前からしていたという意識が芽生えてくる人がほとんどで、中には、

「マスクをしていないと、何か落ち着かない」

 と思っている人も多いことだろう。

 そんな異常な時代だからこそ、見逃してしまいがちなことを、清水巡査は危惧していたのだ。

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