第2話 米津先生
「昨日はご苦労さん」
数学の授業を終えた野球部顧問の米津先生が、教室の万作と市松に声をかけた。
「明日も頑張りますけん」
激励の言葉を、どこかで期待していた。
「何でもええけど、お前らもう少し勉強しっかりせなあかんで。学校は野球しに来るとこちゃうけんな」
米津先生は、野球部の戦績にはとんと興味がない。
――二匹は、入試の面接を鮮明に記憶していた。
「あの、わい、いや、私は、美馬高校で野球をしたいから……」
「み、み、美馬高に入ったら、わい……私は……野球部に入りたいけん……」
と、志望動機を代わる代わるしどろもどろになって答えると、そろって尻から尻尾がちょろりとはみ出した。二匹は慌ててそれをしまい、真っ赤になって固まった。
「狸もな、人と同じく高校の勉強をきちんとするなら、美馬高校は定員内不合格なんて野暮なことはせんでよ」
「あ……ありがとうございます……」
「あとな君たち、高校いうとこはな、野球やるとこやのうて、勉強するところやけんな、それ勘違いしたらあかんで」
厳しい面持ちでこう言ったのは面接官――米津先生だった。
米津先生は練習を見に来ることも、部のミーティングに顔を出すこともなかった。
「部の顧問なんやけん、いっぺんぐらいはグラウンドに来てノック打ってほしいな」
と狸たちがこぼすと、キャプテンからは
「市松、万作、そらあ野球マンガの読み過ぎや。名前だけでも顧問引き受けて、試合の同行してくれるだけでもありがたい思わな。ノックぐらい、わいがお前らへばって尻尾出すまでなんぼでもしたるけん」
とたしなめられたものだった。
***
数学が終わった教室で、数人の生徒がスポーツ新聞をひらひらさせながら二匹のところに押し寄せた。
「万作すごいな、美馬高校一年の火の玉投手、やて!」
「火の玉いうたら、お前らのおる別所(べっそ)の大クスに、炎使いで有名な狸の話があるでないで」
「そや。藤兵衛狸や」
万作がまんざらでもない表情で答える。昨夜、スイカを供えた祠の主だ。
「お前ら、藤兵衛の子孫か何かなんか?」
二匹は首を横に振った。
「ちゃう。わいら、郡里(こおざと)の山の方で生まれたんじゃ。親離れしたあとに山を下りてこの辺まで来てな、誰も住んどらんかったけん、あこをねぐらにしよるんじゃ。なあ万作」
市松は廊下の窓越しに見える山影を指さした。
「次の試合、いつや?」
「明日や。鳴門の球場や」
「相手どこや?」
「……蜂須賀商業や」
二匹の口から出た甲子園常連校の名を聞いて、みな一様にうへえという顔になった。
「……あこ、ブラバンもすごいやろ」
「そうなんよ。マーチングなんか、楽器だけやのうて、大きな旗持って演技するのがあこの伝統なんよね」
ブラスバンド部の級友が、手に持ったタオルを大きく左右に振ってみせた。
「親戚の子が言うてたけど、蜂商、全校応援とかいうて、応援行かな授業欠席扱いになるんやて」
「わあ、それ、ごっつインケツやんか。かなんなあ」
何人かが肩をすくめる。
「入学してGWの前ぐらいまで、放課後一年生全員残されて、応援歌の練習さされるって聞いたわ」
「うわ! 甲子園常連校ってホンマめんどくさいな。同じ部活で、同じ高校生やのに、なんしにあないに差あつけるのか、あんなん絶対いややな。わいら美馬高でホンマよかったわ」
数人がうんうんと頷く。
話に花が咲きながらも、明日、応援に行くと約束するクラスメートは誰もいなかった。明日は土曜で休日だ。しかし、この夏試合や発表会を控えている部活生は無論のこと、バイトの入っている者もいれば、撮りためた推しのビデオを週末の楽しみにする者もいる。球場のある鳴門はあまりにも遠く、交通費はバカにならず、かてて加えて試合時間は長く、徳島の盛夏の太陽はあまりにもしんどいものがあった。
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