狸火
野栗
第1話 ふたつの毛玉
吉野川の広い広い川面から、さあっと夕風が吹き寄せる。
真夏の太陽をたっぷり吸ったスイカの葉を揺らしては、風はさやさやとあかね色の畑を吹き抜けていく。
「一個でええけんな。……重たいけん、気いつけて持たなあかんでよ」
畑の真ん中で、「はあい」と小さな麦わら帽子が振り返った。
その視界の先、葉かげの奥で茶色い毛玉がごそりと動いた。
子どもはスイカの玉から手を離すや、拳を振り上げ、葉をけちらして毛玉の方へ駆け出した。
「こらっ! うちんくの畑で何さらっしょんじゃ! いね!」
子どもの怒鳴り声に驚いたふたつの毛玉は素早く畑を出ると、道端の草むらに潜り込んだ。
「あんまりがいなことせられんでよ、な。ようけなっとるんじゃけん、一つやそこら狸にやってもかんまんでな。早よ一個取って来ない」
「はあい」
子どもがスイカを抱えてえっちらおっちら畑を出ると、さっき逃げた狸どもが、草むらからおそるおそるはい出てきた。
***
「万作、今日は勝ててほんまよかったな。コールド勝ちや、幸先ええな」
「先輩たちがよう打ってくれたけん。――そや市松、お前のホームラン、風がなかったら場外確実やったな」
「お前こそ今日、完全試合やったでないで!」
「ツル高が何放っても空振りしてくれたけんなあ」
吉野川から吹き寄せる川風を受けながら、半そでのカッターシャツ姿のふたつの坊主頭が生ぬるいスイカにかぶりついている。赤い果肉を口に含んでは、汗と埃にまみれたタオルの上に交互に種を吐き出す。あとで乾かして、口さびしい時のおやつにしようという算段だ。
日が暮れて、あたりはすっかり暗くなったが、ふたりの座っている大クスの根かたのあたりだけは、不思議にぽってりと明るい。
「今日は祝勝会や。ほれ」
万作と呼ばれた背の高い少年が、ばかでかいエナメルバッグから膨らんだナイロン袋を取り出した。
「なんやこれ……バッタか」
「そや。外野の芝生にようけおった」
「なんやお前、こんなことまでしよったんか……はは、うまそうやな。ほな、よばれよか」
坊主頭の少年たちは、次から次にバッタを口に放り込む。
「うまいなー。いけるやん」
「せやろ?」
「次の試合、あさってかあ……」
「蜂商やろ」
大クスの葉の間で、洗いたての試合用ユニがひらひらしている。
「先輩たち、びびっとったな」
「ほんまやな、万作」
「わしが打たせなんだらええんや」
万作は右腕をぐるんぐるん回してみせた。
「……あんな万作、負けてもうたら、夏が終わるみたいに、よう言うやん」
ふたりは晴れた夜空を見上げた。
「それ、いややな。そないにわしらの夏を勝手気ままに終わらせられたら、かなんわ」
星の数が増えてきた。
「……お先のお方に お負けなよ」
「わしゃあ負けるの 大きらい……」
「……負けてお顔が 立つものか」
「ヤットサァー! ヤット ヤット」
「ヨイサァー! ヤット ヤット!」
交互によしこのを一ふし二ふし口ずさむと、ふたりは顔を見合わせてハハハと笑った。
市松は笑いながら最後の一匹をつまみ上げた。
「何や、もうないんか」
万作が袋を逆さにすると、市松はバッタの両足をちぎって「ほれ」と突き出した。
「万作、ちょっと早いけど、そろそろ寝んで?」
「そやな。――その前に、これちょっとまつってくるわ」
万作は別にとり分けておいたスイカを、大クスの傍にある小さな祠にまつった。市松が後ろで手を合わせる。
お参りを済ませると、ふたりの坊主頭は祠の前でポン! とふたつの毛玉に
木のうろに入り込んだ二匹の狸は、ぴったり寄り添って横になり、どちらからともなく前足と舌で念入りに互いの毛づくろいをはじめた。
――まず投手の万作が眠りに入り、程なく捕手の市松も寝息を立てはじめた。
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