第一章 10 『雨に染みる』


 薄暗い曇り空の下、糸雨が肌を打つ。

 傷ついた身体に染みるが、不思議と痛みは無かった。肌を伝う雫は心と身体の不純物を優しく流すかのように。


 慣れ親しんだ光景を前に、足が止まる。少し視線を落とすと、ネイトが待っていた。



「リア、ルミナ、リゼ、戻ったのね。とにかく無事でよかったわ」


 短い単調な言葉。

 しかし、ネイトの髪、肌、そして衣服は、既に繊維が水分を吸収できないほどに濡れていた。予定以上に帰りの遅いリゼ達のことを長時間待っていたのだろう。



「ネイトさん……私……」


 ゆっくりと前に出たリゼは言葉をつまらせる。無理言ってリア達について行ったこと、それは今回の状況に直接的に悪影響しているとは断定出来ないが、軽率な行動であったと後悔せずにはいられなかった。

 束の間、糸雨は止んだかの如く静寂が広がる。



「ちゃんと生きて帰ってきてくれてありがとう」


 その言葉はリゼの心に強く響いた。リア達よりずっと長い間、ネイトに支えられてきたリゼ。ネイトはきっとクラリアスの事を詳しく知っているのだろう。

 今までの行動は、それを考慮しての結果であり、リア達のことを軽んじているわけではないということ。


 そして、こんなにも自分達の事を大切に思っていること。



「……っごめんなさい……ごめんなさい…」


 ぽつりぽつりと、涙が零れる。


 ネイトのことを理解した気でいた、結局何も出来なかった。その涙に理由は、言葉と裏腹に、安堵と嬉しさによるものだった。



「良いの、私こそごめんなさい。本来であればこのような例外的な依頼、どんな手を使っても断るべきだった。仲間を守ろうとしたあなたは、私よりずっと立派だわ」


 ネイトはリゼに歩み寄り、優しく抱き寄せた。


 胸の中ですすり泣くリゼは、ガーディアンではなく普通の十七歳の少女のようだった。



「それで、ルミナもボロボロだし、リアの背負ってる少年は誰なの?」


「えっと、どっから説明した方が良いかな……」


 ネイトに問い詰められるリアは困惑する。

 まだ自分の中でも整理しきれていないのだ。


「とりあえず中へ入って。簡単な手当だけでもしてあげる。」


 ネイトはリア達を室内へ誘導した。




 ◇◇◇◇◇◇◇



「それで、その少年は誰なの?」


 ネイトは不思議そうに一時的にベッドに寝かせた少年を見る。少年の姿をしたクラリアスは見たことも聞いたこともないので違うだろう。恐らくただのヒトであることは間違いないのだろうが、明らかに存在感が違った。


 リアはネイトに手当てされながら話し始める。


「私達は神樹麓付近の大空洞で見たことも無い敵と遭遇して壊滅しかけました。そこで、この少年に救われました。私達が束になっても傷一つつけられなかった敵をたった一振で消滅させたんです。結果的に私達三名は生き残りましたが、アルテアとタリア、メリエラは……」


 静かに聞いていたネイトの手は止まる。


「ごめんなさいね。アルテア、タリア、メリエラは私が殺したようなものよ。責めるなら私を責めなさい。あなたは何も悪くない。それに、大空洞にそのような脅威が存在するなんて誰も予測していなかったでしょうね。本来神樹付近の迷宮なんて、探索しきれているはずだもの。

 行方不明になったガーディアンの探索なんて依頼自体、きな臭かったのよ。まあ、私に断る権利なんて与えられていないのだけれど。それでも断るべきだったと後悔しているわ。」


 ネイトは悔しそうに言葉を捻り出す。普段冷静な部分しか見てなかった為、リゼ達にはその姿が新鮮に感じた。


「後悔しても仕方ないわね、前に進みましょう。その少年が未知の脅威である敵を消滅させたということだったわね。」


 ネイトの手当はリアからルミナへ、


「そうそう、直接見てなかったけれどもう信じられなかったよ。もう大空洞をもう一つ作っちゃうくらいのレベ……痛っっ!!」


 ルミナが強引に止血した部分をネイトが消毒していた。傷口を焼き切ったため、消毒をしないと化膿してしまうだろう。消毒さえも一時しのぎにしかならない。


「ルミナ……すごい無茶するわね……どちらにしても学院専門の医療機関で見てもらうしかないわ。できることはするけれど。

 うちにも回復の異能を持った子が来てくれれば助かるのだけれど……」


「……っっあ、……そんなレアな子、いたって学院に持ってかれちゃうよ」


 ルミナは応急処置が終わると、ネイトから逃げるように移動する。



「この少年については、本当に何も分からないからひとまず学院に連れていくしかないわね」


「信じてもらえるか分からないですが、その人結晶の中に閉じ込められてたんです。あ、そういえばルミナがその結晶の一部を持ってたような気がします」


 手当されながらリゼがそんなことを言うと、


「用意が良いわねルミナ、見せてもらっても良い?」


「も、もちろん、だヨ。説明する時に必要になると思って拾っておいタンダ」


 ルミナはカタコトで言い張るが、チラッとみえる耳の先が赤くなっていた。ルミナ、それは嘘にしても苦しい、と笑いをこらえるリア。



「結晶の中に……? 本当にヒトなのかさえ怪しくなってきたわね……。この結晶は……以前の探索の資料にはあったような気がするわ。神樹付近の迷宮に点在していて、オリハルコンよりも強度が高いとかなんとか。少ししか発見されてないし、採取も不可なためほとんど調査はされてないみたいね。まさかこの結晶をその少年が砕いたの?」


 無言で肯定する三人。

 そして、ネイトは呆れた顔で少年の方を見る。


「やっぱり手に負えないわ。帰ってきたばかりで申し訳ないけれど、ルミナもボロボロだし、治療を兼ねてその少年も一緒にクロスティア学院へ連れて行って」


「「了解です」」

「りょうかーい」



 こうしてリア達はアストル厶へ着くや否や、クロスティア学院へ行くことになった。



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