第4話 ギャラリー「くらげ」

 天橋立というと、仙台の松島、安芸(広島)の宮島と並んで、いわゆる、

「日本三景」

 として有名である。

 特に天橋立は、「股のぞ」なる謂れがある、見る場所によって、

「天に架かる橋のように見える」

 と言われる場所であったり、

「天に舞い上がる竜のような場所に見える」

 などというものである。

 それを、如月は話しているのだろう。確かに見たのは見た、そして、それなりに感銘を受けたのも確かではあるが、それ以上でもそれ以下でもなかった。そこから何か他に感じるものは何もなかったのだ。

「僕は、天橋立であの光景を見た時、初めて絵を描いてみたいと思ったんだよ。それが、絵画を考える時の基本中の基本だって言った、バランスと遠近感の両方を感じた瞬間だったんだ」

 と、如月は言った。

「じゃあ、如月君は、その時、絵に大切なことは、バランスと遠近感だってことを聞いていたのかい?」

 と俊介がいうと、

「いやいや、知らなかったよ。だから余計に絵を描くようになってから、後で絵の基本について勉強した時、自分の感じたことに間違いはなかったんだって、その時初めて気づいたんだ」

 と如月は言った。

「そういえば、俺は天橋立ではないけど、たまに海なんかに行った時、逆さまから見ることがあるんだよ。別に絵を描くとかそういう意識ではないんだけど、でも、自分では何でそんなことをするんだろうって思っていたんだ。確かに天橋立で見た股のぞきの影響なのかも知れないけど、自分の中ではその二つは繋がっていなかっただ。ひょっとして、その二つに共通性を感じていただ、少しは絵を描いてみようと思ったかも知れないな」

 と俊介は言った。

「そうだよ。きっとなっていたんじゃないかな? それでその時にどんな風に感じたんだい?」

 と訊かれて、

「逆さまから見ると面白いんだよ。今まで海と空が、ちょうど真ん中くらいで区切られていると思っていたんだ。要するに絵を描いたとすれば、水平線は真ん中に来るようなイメージかな?」

 というと、

「うんうん、絵に例えるというのは、分かりやすくていいよね」

 と如月がそう言った。

「でも、逆さまから見ると、全然バランスが違うんだ。海が全然狭い範囲で、空がかなりの範囲を占めているんだよ。絵にすると三対七で空が広いって感じかな?」

 と言って、少し俊介は考え込んだ。

 それに対して如月は敢えて何も言わないので、俊介は話を続けた。

「そこで、どうしてそんな風に思うのかって考えて、もう一度元に戻って見てみると、まったく違和感がなかったんだ。たった今逆さから見た時、あれだけの違和感があったのに、次の瞬間にいつもの光景で見ると、少し錯覚から混乱があってもいいはずなのに、まったく混乱がなく普通に見えたんだ。これはおかしいと思って、もう一度逆さから見ると、やはり、違和感がある。またしても、どうしてなのかって考えたのさ。するとそこで一つの考えが浮かんだんだ」

 と、俊介がいうと、如月も大いに興味を持って、乗り出すように訊こうとしている。

「それは、どういう考えなんだ?」

 と聞かれると、どうも、如月は、これから言う自分の答えを最初から分かっているかのように感じられた。

「それはね、遠近感を感じないんだよ。普通に見ていても遠近感を感じない。だけど、逆さから見ると、違和感はあるんだけど、その理由が分からない。ただ、バランスの違いだけはハッキリと分かっている。だけど、それだけで説明できない感覚だったのだ。それで何度も普通に見るのと逆さに見るのをを比較してみて、感じたのは、逆さから見た時に始めて距離感を感じないことが分かったんだ。逆に普通に見ている時というのは、距離感を感じないのではなく、本当は感じているのに、当たり前すぎて、普段の方が錯覚していたのではないかという風に思ったんだよ」

 と俊介は言った。

「なるほど、そうなんだよ。絵を描ける人と描きたいと思ってもなかなかうまく描けない人の違いはそこにあるんだよ。僕も最初は思ったように描けなかったさ、何しろ雅勇だからね。でも、それが分かってくると、どこから描いていいのかということも自然と分かってきた。もちろん、絵をどこから描くかというのは自由で、人それぞれなんだけど、感性によっていろいろあるという意味で、その感性であれば、どこから描くのかというのは、ある意味決まっているんじゃないかと思うんだ。僕はそれを発見した時、絵を始めて書いていいんだと思ったさ。そして、一歩前に進んで、今度はまた別のことにぶつかったんだよ」

 と如月は興奮気味に話している。

「というと、どういう壁なんだい?」

 と俊介が聞くと、

「壁というのは少し違うのかも知れないんだけど、僕が思ったのは、絵というのが、ジグソーパズルのピースのように、端から埋めていくのがいいと思っていたんだけど、実際には違うのかって思ってね。以後のように真ん中から端に向かっていくものなのかも知れないと思うと、またそこで迷ってしまった」

 と如月は言った。

「結局どっちなんだい?」

 と聞くと、

「それが俺にもハッキリとしないんだよ」

 と言って、苦笑している。

「俺も自分から言っておきながら、結論としては分からないんだ。描く絵によって違ってくるような気がする。それが風景画なのか、人物画なのかによっても違う気がするしね。さらにいうと、動くモノを捉えて描くのも、結構難しい。だけど、それができるようになると、第一段階を卒業できたような気がしたんだよ」

 と如月は続けて言った。

「じゃあ、如月君の中では絵が描けるようになるまでには何段階があると思うんだい?」

 と俊介は訊いたが、実はこの質問は、実は答えがないものだという意味で聴いていた。

 素人の目から考えても、答えを出せるだけの根拠がないような気がしたからだ。

「うーん、難しい質問だね」

 と言って、如月は苦笑いを浮かべながら、俊介の表情を盗み見ているようだった、

 ひょっとすると、如月の方も、俊介が答えを求めていないことを分かっていて聞いているのが分かったのかも知れない。それほど、この質問は、曖昧で相手に考える隙を与える質問のような気がした。

「そもそも、この質問には無理があるのさ。というのは、何をもって、絵を描けるようになるという定義がないからね。それが分かっているのであれば、そこから考えることもできるけど、絵を描けるということがどういうことかが曖昧なだけに、この質問は最初から破綻しているような気がしていたんだ」

 と、今回は想像していたような回答が返ってきたので、俊介の方も、その回答には苦笑いをせずにはいられなかった。

「確かにそうなんだよね。プロだから、絵は描けるというのかということであれば、じゃあ、プロのレベルっていうのが、具体的に何ができればプロなのかってことになるよね。それは結局、売れる絵が描けるか描けないかという違いなだけで、お金を出すのは相手なんだから人それぞれで感性がある。でも、本当に芸術家としての目を持っている人は、優秀な作品を見抜く目を持っているんだよね。きっと彼らには何か他の人には見えない何かが見えるから、大金を出してでも買おうと思うんだろうね」

 と俊介がいうと、

「もっと言うとね。実際に売れると言われる絵を描いている人だって、自分の絵がそういう選定のできる人の目に適う絵を描いているという自覚はないと思うんだ。言い方は変だけど、点は二物を与えずというだろう? 生み出す方と見出す方の両方を持っている人というのは、少し考えてみるとなかなかいないような気がするんだ。他の世界では分からないけど、芸術の中でも絵画や造形は違うと思うんだ。贔屓目になってしまうけど、それだけハードルが高いものなんじゃないかって思う。だって、絵や彫刻なんて、買い取る値段が違うだろう? 絵一枚に、何千万とか、創造を絶するものだと言ってもいいよね」

 と如月は言った。

「そうなんだよ。しかも絵に対しての評価というよりも、有名画家が描いた作品ということで値が跳ね上がるケースだってあるからね」

 と、俊介は言った。

 ギャラリー「くらげ」として利用する人もさることばがら、ここのコーヒーは、結構評判もいいようだった。

 マスターが、コーヒーの淹れ方を先生から教わったというが、その人物がどこの誰なのか、教えてくれない。

「そりゃあ、教えたって、別にソムリエとかパテシェのようなプロじゃないんだから、誰も知らない人だからね」

 と言っていた。

「その人は今、どこにいるんですか?」

 と聞くと、

「どこにいるか分からないんだよ。元々私にコーヒーの淹れ方を教えてくれた時は、住所不定でしたからね」

 というではないか。

「えっ? じゃあ、ホームレスということですか?」

「まあ、そういうことになるかな? でも、そういう人の方が意外といろいろ知っていたりするし、そもそもホームレスになる前は、大会社の社長だったりするかも知れないわけで、それだけ人を身なりで判断してはいけないということの証明になるんじゃないかな?」

 とマスターは言った。

「確かにその通りですね。特に数年前の伝染病禍の時には、国や自治体の散々な政策のせいで、経済が壊滅的になった時に、ホームレスが溢れたりしたからね、本当に有望だった人だっていたはずだし、本当に困ったものだったですよね」

 というと、

「まあ、その人は、伝染病禍の前に知り合った人だったので、何とも言えないけど、その人の淹れるコーヒーには味わいがあったのさ。そしていうんだ。俺には先の世の中が見えるってね」

 と言われて、さっと緊張が走った。

「そうなんだよ。その人にはあの伝染病禍が分かっていたようなんだ。もちろん、大っぴらには言わなかったんだけど、その理由が、世間が混乱するという理由からか、それとも、どうせ誰も信用する人がいないという理由からなのか分からなかったが、そのどちらもだったような気がするんだ。しかも、もしあの時予言のようなことをしていれば、実際に伝染病禍になった時、その人は良くも悪くも世間で評判になって、引っ張りだこになるだろうね。だけど、予言したからと言って、この状況をどうすればいいかなんて、分かるはずもなく、できなければ、下手をすれば、ほら吹き呼ばわりされて、石を投げられたりするくらいのものだよ。一歩間違えると、殺されるかも知れないほど、物騒な世の中になっていたからね」

 とマスターは言った。

「そうだよね。あの時の伝染病禍の時は、有事や災害でよく起こることとして、誹謗中傷やデマが横行してしまうので、予言していた人がいたなんてウワサになれば、ただではすまなかったでしょうね。何しろ関東大震災の時には、朝鮮人が大量虐殺されたというからね」

 と俊介は言った。

「当時はネットどころかテレビもない時代だったので、情報はほとんど入ってこなかったでしょうからね。でも今の時代は一瞬にして全世界に情報が広がる時代なので、誹謗中傷も何でもありになってしまうんだよね、情報がまったくないのと、情報が行き届いている場合とで、結果がほとんど最悪な方に一緒だというのも、有事の際の宿命のようなものなのかも知れないな」

 とマスターが言った。

「本当にそうですよね」

 と俊介がいうと、

「私の師匠は、でもそんなことはあまり気にしていないようだったけどね。何しろ、一人のホームレスのいうことなんか、誰も聞きはしないという意識があるようだったからね。何か聞かれるとすれば、夜中に何かがあった時、目撃したかどうかというのを、警察に聞かれるくらいだって言っていたよ。まるで路傍の石のような存在なんだって言っていたんだよね」

 とマスターは言った。

 それを聞いて、俊介も考えた。

「そういえば、ホームレスがいた時代は、結構いるなと思ったけど、最近は気が付けばほとんどいなくなっているけど、本当にどこに行ってしまったんだろうな?」

 と、呟いた。

「確かにホームレスが姿を消したのはどうしてなんだろうな? 駅や地下街は以前から、電車の最終が終わってから、閉めるようになったので、昔のように、駅のコンコースや地下街で寝ているというのはあまり見かけないけど、たまにビル街の正面玄関をねぐらにしている人を見かけたことがあったんだ。だけど、それだと冬の寒さや梅雨時期の雨の中など、どうやって過ごしているのか。まったく想像もつかないよね。それを思うと、本当にどうしたんだろう?」

 と、マスターがいうと、

「僕も、公園なんじゃないかと思ったんだけど、最近は公園にもあまり見かけないらしい。ホームレスの数は増えているのは間違いないのに、一体どういうことなんだろうか?」

 と俊介がいうと、その横から如月が口を挟んだ。

「ネットカフェとかなんじゃないかい?」

 というと、

「ネットカフェだってお金がいるだおう?」

 とマスターがいうと、

「僕もハッキリとは知らないけど、ホームレスにも自治体から支給が行ってるんじゃないかな? 支援団体かどこかに。そこからホームレスに少しずつ分けられているとすれば、ネットカフェくらいは泊まれるなないかって思うんだけど」

 と如月が言った。

「生活保護のような感じで?」

「そんな感じじゃないかな? ホームレスは住所が不定なので、正式には自治体から支給はできないけど、その間に自立支援のような団体が絡んでいるとすれば、そこに支給するだけで、あとは、民間の自立支援団体が配るだけなので、問題はないのかなと思うんだ。だけど、これだって税金が使われているわけだから、大っぴらにはできないのかも知れないよね、でも、そうでもなければ、ホームレスがどこに行ったのかというのも、分からないよね」

 ということだった。

「でも、そんなに政府や自治体って優しいんだろうか?」

 と、如月が言い出した。

「どういうことだい?」

 と俊介が聞くと、

「だって、この間の伝染病禍の時だって、自粛や休業要請を出しておきながら、なかなか保証を出そうとしなかった国や自治体なんだよ。あれだけのことがあっても、出し渋ったんだ。それをホームレス対策にそんなに簡単にできるだろうか?」

 と如月が言った。

「確かにその意見はあると思うけど、伝染病禍は、いきなり起こったことだろう? 予期せぬことで誰もが何をどうしていいのかという戸惑いがあった。しかも、問題は山積みになって、どんどん増えていくばかりだ。それを一つ一つ解決していかなければならないので、優先順位のつけ方も問題があるだろう? だけど、ホームレスの問題は昔からあることで、対策はいろいろ考えられてきて、ノウハウもある。そういう意味で、逆にあの伝染病禍を何とかしてきた。というか、何とかなってきたんだから、ホームレス問題のように積み重ねてきたものに対しての対応は、ある程度まではできるんじゃないかと思うんだけどね」

 と、マスターが言った。

「確かにその通りなんでしょうね、ホームレスがどこに行ってしまったのかというのは、意外と、如月君の話が的を得ているのかも知れない」

 と俊介が言ったが、

「でもね、ハッキリとしたことが分からないので、ここでどんなに話しても、机上の空論でしかないよね。でも、話をしていろいろな意見が飛び交うというのはいいことだと思うんだ、何も考えなくなると、あの禍の時のように、何もできなくなってしまうのが恐ろしい。何しろ、国と自治体は、危機管理という意味では、まったくの無能力だということが分かったんだからね:

 とマスターがいうと、

「でも、国の危機管理のなさは前からありましたけどね。大地震が起こったと報告を受けた首相が、ゴルフを最後まで楽しんでいたなんて話、どこまでは本当か分からないけど、何かがあった時には、いつも問題になっている政治家がいるじゃないですか。それに、一番責任がある人間が、責任を取らないのが、この国の政治ですからね」

 と俊介が言ったが、どうも最初はホームレスの行方の話のはずだったのに、いつの間にか政府や自治体への不満を話している空気になり、ハッとなった。

 だが、これこそ今に始まった話ではなく、政府への批判は、今は酒の肴のごとく、日常茶飯事になっているのだった。

 ギャラリー「くらげ」での個展を真剣に考えている如月だった。彼は、あまり無駄遣いをする方ではないので、アルバイトをしたお金は結構残っていた。それを趣味に使っていたわけだが、絵を描くという趣味はそれほどお金がかかるものではない。

 写生をするのに、郊外に出かける時に掛かる交通費と、絵を描くために必要な最低限の費用くらいで、普通に遊びに行くよりも、よほどお金もかからない。

 そもそも食事はどこに行ってもするものだから、それをお金が掛かるところに入れてしまうのも変であろう。

 そういう意味でも、ここでの個展を開くために貯めていたお金ではないかと思えた。

「もし、彼が、ここでの個展を躊躇うことがなければ、最初からそのつもりでお金を貯めていたということだろうな」

 と思っていると、

「俺、ここで今度個展を開くんだ、来てくれよな」

 と言われた。

「うんうん、俺も楽しみだ。お前の作品が他の人からどんな評価を受けるかによって、俺の作品もその指標になる気がするからな」

 と、俊介はまるで自分のことしか考えていないような言い方をしたが、それはそれで如月の方も別に問題にしていないようだ。

「そうだな。俺の作品への評価がお前の作品の評価基準にもなると思うと、責任重大だな」

 と答えた。

 それは、如月にとっても、初めて自分の作品をギャラリーとして開く個展なだけに、人の評価基準など、別にどうでもいいことであろう。まずは、自分の作品をいかに展示するかを詰める必要もあるだろう。

 そういう意味で、確かに如月が言っていたように、

「作品の並び順にも意味があるんだよ」

 と言っていたのも分かる気がする。

「どういうことなんだい?」

 と聞くと、

「君は、ここに並んでいる作品が見た目で、例えばキャンバスの大きさなどで配列されていると思っているかも知れないけど、そうじゃないんだ。展示をするには、まず展示をする上での一番大きなコンセプトがあって、そのコンセプトによって、自分の作品を選ぶんだ。そして、選んだ作品を、まるでストーリーが存在しているかのように配列を考える。見ている人には、順番などどうでもいいと思う人がほとんどだと思うんだけど、この配列こそが、作者の勝手で自由なところなんだ。絵は見てもらう人のために描くわけではなく、描きたいものがあるから描くんだよ。それを忘れないようにするためにも、この順番というのは結構重要だったりするのさ」

 と、如月は言った。

「でも、見ている人が分からないというのは、どうなのかな? って思うんだ。せっかくなんだから、知らないというのはもったいないと思わないかい?」

 と俊介がいうと、

「いや、それは価値観の問題なんじゃないかな? 僕は絵の順番にこだわったのは、素人だけど、プロのような気持ちで展示したいという、ささやかな抵抗のようなものかも知れないんだ。だから、絵の順番まで考えているということが見てくれた人に分かってしまうと、自分のことを、この人はプロなんじゃないかって思うかも知れないだろう? それが嫌なんだ。僕はあくまでも素人であって、プロではないんだからね」

 と如月は言った。

「それって、そこまでこだわる必要あるのかな?」

 と、俊介がいうと、

「それはそうだろう。僕は素人だからプロも展示しているような公共の美術館などでは展示ができない。だけど、こういうギャラリーだったら、いくらでもできるんだよ。しかも、こっちがお金を払ってね。これって、素人だからできる特権というか、楽しみでもあるんだよ、というのは、何でもかんでも自分でしなければいけないだろう? もちろん、店も協力はしてくれるけど、お金を出すのは作家なんだから、いくらでも好きにできる。マスターはアドバイスはするけど、そこまでだよね。要するに、ここで僕の考えていることは素人なだけに人に知られたくないんだ。この思いは恥ずかしいとか、おこがましいとかではなく、素人であるがゆえの贅沢なんだって僕は思っているんだ」

 と、如月は言った。

 如月の話を訊いていると、

「気持ちだけは、プロなんだな」

 と思えてきた。

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