あなたの顔のわたし

刹那

あなたの顔のわたし

 出来立てのケーキをショーケースに補充していると、自動ドアが開いた。入ってきた客の足元だけが見える。女の客だ。

「いらっしゃいませ!」

 明るい声でそう言い、慌てて立ち上がった。

「え…」

 洋菓子店店員の三輪山エリは思わず声を漏らした。

 若い女の客が一人、ショーケースに並ぶケーキを眺めて思案し始めていた。客はエリを見ていないが、エリは女の顔をそれとなく覗き見た。息が止まるかと思った。その女の顔は――。

 客は顔を上げた。

「このモンブランと、それと…」

 客もまた最後まで言い切る前に、目の前にいるエリを凝視した。

「え…」

 言葉をなくし、エリを指さしている。エリはそこに鏡があるのかと思った。客の女は、それほどエリとそっくりだったのだ。

 それが、エリと千萱アユミの出会いだった。


「でも考えてみるとホントに奇妙だよね」

 エリはクリームソーダを一口飲んで言った。縮毛矯正したばかりの前髪を弄るのが最近癖になっている。

「まあね」

 向かいに座るアユミも同じクリームソーダだ。チェリーを指で摘み、口に放り込んで応えた。時々二人を見る周囲の視線を感じ、アユミは顔を逸らした。

 初めて会った日以来、アユミは度々エリの勤める駅前のケーキ店に顔を出すようになった。気さくだが礼儀正しいアユミに、エリはすぐに好感を持った。姉妹というものを知らないエリなので、それも手伝って興味を抱いたのだった。

 二人が親しくなるのに、そう長い時間はかからなかった。以来、時間の都合を合わせて会う回数が増えた。

 土日は休めないエリだが、アユミもまた「私も電話オペレーターだから土日は無理なの」と言って笑った。

 会うたび、二人の話題は〈よく似ている自分たち〉のことに集中した。

「実は幼い頃に生き別れた双子——ってことは…」

「無いわよね、それ。親に訊いてみたけど、なにそれ?って呆れられちゃったもの」

「やっぱり…。てことは本当に偶然似てるってこと?」

 二人はガラスに映る自分たちを見比べた。髪型や長さは若干違うが、顔立ちは瓜二つと言える。

「それにしても」

「そっくりよね」


 二人で会うことをデートと呼ぶようになり、互いの住まいも行き来するようになった。

 住んでいる場所はエリが立川でアユミは江東区と離れていたが、泊まり合うことも増え、その関係は実の姉妹と変わらないものになっていった。

 ただ、顔は似ているが性格は違った。

 エリは引っ込み思案で、何事も慎重に考えるタイプだ。恋愛にも消極的だが、仮に付き合ったりすると相手に合わせることが多い。周囲が見えなくなるほど夢中になるのだ。そんな自分を、主体性がない——と、自己評価してもいる。アユミは真逆な面を持っていた。自信家で自分の意見にブレがない。そして大胆に物事を進める。レストランで注文を迷うエリと手早く決断出来るアユミ。自分には無い面を持つアユミを、エリは羨ましく思うことがある。やがてその感情は、信頼に変わっていった。


 ある日のこと、アユミのマンションで食事を終えると、アユミが正座をしてエリに向き直った。

「お願いがあるの!」

 あらたまられ、エリも正座した。

「なに?急に」

「一日だけ代わって!」

 エリを拝んでいる。なにを言っているのか分からず、エリは眉根を寄せた。

「明日ってエリは休みでしょ?」

 頷いて返した。

「う、うん、そうだけど?」

「私って明日は仕事じゃない?そうなんだけど、明日はマズいのよ」

「ねえ、アユミがなにを言ってるのか全然わからないんだけど…」

 アユミはバッグを引き寄せた。中から取り出したのは一枚の無記名カードだ。小さいがアユミの顔写真がプリントされている。受け取ると『未来投資塾講座会員証』と書いてあった。

「これ、なに?」

 首を傾げるエリに、アユミは言った。

「会社から指示されて参加した投資セミナーなの。業務命令で仕方ないってやつ。毎回二時間聴くんだけど、私さあ、明日ってちょっと…」

 言い淀むアユミに、エリはピンときた。

「もしや、彼氏?」

 付き合うなかで彼氏がいる臭いを感じなかっただけに、エリには驚きだった。アユミは苦笑して頷いた。

「彼がね、アメリカに出張なんだ。三ヶ月もね。で、見送りに行きたいのに、この野暮用だしね」

「それで私が替え玉に?」

「ごめん!頼めるのはエリしかいなくて!だってさ、会員だけ入室できるわけだけど、顔写真でチェックされるのよね。しかも参加記録は会社にも送られるのよ!信じられる?奴隷じゃあるまいし!」

 エリは苦笑した。

「二時間!お願い!座ってるだけなの!その代わりと言っちゃなんだけど、〈灯籠〉の焼肉食べ放題奢るから!」

 渋谷の人気焼肉店の名を出され、手を合わされた。エリは思案した。

「バレない?」

「大丈夫!受付でカードを出すと顔と照らし合わされるけど、それだけ。誰かと会話するとかも無し!黙って聴いて、帰るだけ!」

 〈灯籠〉の焼肉食べ放題は魅力だ。

「わかった、出てあげるよ」

「ありがとー!!」

 アユミはエリに抱きついて喜んだ。


 指定されたホテルの会場に到着すると、アユミに教わった通り、会員証を提示した。受付の男は怪しむ様子もなく、会員証の顔写真とエリを見比べて「どうぞ」とパンフレットを手渡してきた。

 会場には百人ほどの男女がすでに着席していた。一番後ろの席に陣取り、身を縮ませて時間が過ぎるのを待った。


 なにを言っているのか、皆目判らないセミナーも終わった。ほっとして会場を出たのは午後二時を過ぎた頃だった。

 地下鉄駅へ向かって歩いていたとき、不意に肩を掴まれた。驚きで声も出ないエリは、力任せに振り向かされた。そこに居たのは、細身の中年男性だった。

「な、なにをするんですか!」

 普段大きな声など出せないエリも、男の異常な形相に、この時ばかりは声を上げた。

 男は血走った目で睨み、エリの両肩を掴んで言った。

「返せ!返せよ!全額返せ!」

 常軌を逸した、悲鳴に近い叫び声だった。エリは恐怖で身を竦ませた。

「チキショウ!よくも騙しやがったな!お前のせいで…お前のせいで俺は!」

 片手が離れた。男はポケットから何かを取り出した。次に、ドンという衝撃を感じた。エリの腹に何かが突き刺さっていた。エリは自分の腹に突き刺さっているそれを見た。ナイフの柄だった。腹から血が噴き出し、ワンピースは見るまに血に染まっていった。痛みは、数秒遅れて背筋から脳天に電撃のように走った。

 近くで悲鳴が起きたが、エリ自身は叫ぶこともなく、静かに地面に崩れ落ちていった。


「部屋は始末したな?マサミ」

 男は金のブレスレットを弄びながら訊いた。

「言われた通りにしたよ…」

「大丈夫なんだな?」

「心配いらない。元々あの部屋はキャバクラに来てた太客に買わせたものだよ。私の名前なんかどこにも出してないしね。それで、もういらないって言ったら他の子にやるって言ってたし」

「その部屋でいいこと出来ると思ったんだろうな、そいつ」

 男の言葉に、マサミは力なく笑った。

「で、その何とかいうヤロウも逮捕されて」

 しばらくの間アユミと名乗ってきたマサミは頷いた。

「私を殺したと思ってるみたい」

 男はほくそ笑んだ。

「だがお前はいない。そう、あいつが何を警察に話すとしても、そんな女はいないのさ。どこを探しても」

 マサミは思い出していた。組織で〈のし上がる〉ためには金が必要だ——と、男に言われたのが三ヶ月前。男は、一枚の写真をマサミに手渡して言った。

「前にチラッと見て覚えてたんだ。どうだ?お前によく似てるだろ?整形してこの女になりきれ。その上で俺がターゲット指定するカモとしばらく付き合うんだ。そいつから金を吸い出して、すっからかんにしたら切れ」

 返済しろと迫られても、その時には写真の女とすり替わりゃいい——と笑っていた。

 男と話しながら、マサミはスマホのアルバムを見ていた。一枚だけ、エリと撮った笑顔の写真がある。

——ごめんね。仕方がなかったの…。ホントにごめんね…。

 酒を飲む男の前で、マサミは俯いた。


 被疑者の供述内容は捜査陣を困惑させた。話に矛盾点はない。会費十二万円で、月一回開催される投資セミナー、その初回で知り合った女から被疑者は「独立して自分で洋菓子店をやりたい」と言われた。あなたのような頼り甲斐のある男性と一緒に生きていけたらどんなにいいか――とも言われた。被疑者は女に対し、数回に分けて多額の現金を渡した。結局、蓄えのほとんどを出資したが、二回目のセミナーに女が姿を現すことは無かったというのだ。住居も架空で、電話番号もすでに抹消されていた。警察でも調べたが、それは俗に言う〈飛ばし携番〉だった。見張るしかないと思った男は三輪山エリと名乗っていた女が現れるのを隠れて待った。

 三回目のセミナーには姿を現したので返済を迫ったが、拒絶して逃げようとする女に、虎の子を奪われという確信を初めて持った。騙されたと知って、もう殺すしかない——殺して、自分も死のうと思った——というのだ。

 捜査の結果、確かにセミナーには被害者である三輪山エリ名義で参加登録がなされていた。ただし、勤務店舗や友人関係の中にエリがそうしたセミナーに参加していたことを知る者は見当たらなかった。

 受付で参加証や顔の確認はするが、事件当日の受付担当者に確認しても、参加したのは被害者に間違いがないという証言が取れた。だが——。

 エリの入出金記録を見ても、会費の支払いに充てられたような形跡は見られなかった。口座状況にも、加害男性から騙し取ったとされる多額の現金の動きは見当たらなかった。何より、捜査員を困惑させたのは、被疑者のこの一言だった。

「あれは…本当にエリだったんですか?」

 捜査員は、被害者は間違いなく三輪山エリという名で、洋菓子店に勤務し、セミナーに登録していた人物だと告げたが、男は顔を曇らせて俯き、首を傾げていた。


 一月後——。

 洋菓子店従業員殺害事件も、ニュースに上がることは無くなっていた。都会では連日のように事件が起きる。捜査員は日々、違う事件に駆り立てられ、裁判は無数に行われる。人の関心など続かない。

 マサミは大きめのサングラスをかけ、喫茶店にいた。夕闇の迫る窓側の席でコーヒーを飲んでいた。

 付き合っていた男が、話の通りに〈のし上がった〉かどうかは知らない。カネを手にし、事件も落ち着きを見せると、男はマサミとの関係を切った。

「警察にタレ込むのは勝手だが、お前も共犯だ」

 その言葉が最後だった。マサミは吐息をこぼし、冷めたコーヒーを一口啜った。その時、マサミはウインドウに映る自分を見た。それが自分だというのはわかる。だが確信がない。

 サングラスを外してみる。それは生まれた時から付き合ってきた顔ではない。

「あなたは…だれ?」

 窓ガラスのマサミは答えない。自分の顔に触れてみた。

「私は…だれ?」

 涙が一粒溢れた。エリを好きだと思った。企てのことはエリと笑い合う時もいつも頭にあったが、戻れない道だと思った。そんな自分に、エリはいつも笑みをくれた。そのエリを騙し、死なせたのは自分だ。

「私は…」

 エリがよく「アユミの性格っていいなぁ」と言っていたのを思い出した。サッパリしていて過去にとらわれない強さがあるというのだ。そんなことはない、とマサミは思った。

「私は囚われてばかりなのよ。過去にも、男にもね…」

 エリの死んだ日から、マサミはずっとエリを思っていた。ガラスに映るのはエリの顔だ。間違いなく、エリのものだ。エリの顔で泣いているのは自分だ。では、私は誰なのだろう?そう思うと、涙は止まらなかった。

 ハンカチで涙を拭こうとした時、違和感を覚えた。

「え…?」

 目元を押さえ、上目遣いでガラスを見た。ガラスに映るマサミはジッとアユミを見つめている。何かが変だった。

「こ…これ…は」

 映っているマサミは、ハンカチを持っていない。涙を流していない。ただジッと見つめてきた。背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。口が渇き、声も出せない。ありえないものがそこにあった。

 映っているマサミは、前髪を弄っている。

「それは…!その癖は!」

 

 食器の割れる音に、狭い店内にいた皆がその席を見た。

 テーブルに女が突っ伏している。小さな悲鳴が起きた。テーブルから流れ落ちる鮮血は、割れたカップで傷ついたマサミの顔から流れたものだ。何かを凝視するように目を見開いてマサミは死んでいた。

 異様な形相以上に周囲を驚かせたのは、マサミの爪が深く顔に食い込んでいたことだ。まるでそれは、自分の顔を剥ぎ取ろうとでもするかのように——。

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あなたの顔のわたし 刹那 @arueru1016

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