七つの創作神話による習作

かとりせんこ。

まえがき

 昔話とは、教訓を与えるものでなければならぬ。これはいかにも哀しい。民衆の中に生まれ、語り継ぐに相応しい価値を認められるものでなければならぬ。わたくしはいかにもそれをいじらしく、かつ賎しく思うのである。生活にぴつたりと密着して居る点に対してではなく、その説教臭さとそれを必要とした事情に対してである。


 伝説とは、英雄を語るものでなければならぬ。これはいかにも儚い。英雄とは儚いもので、且つ又それらは語られることでしか生きることができぬ。わたくしはいかにもそれを切なく、かつ心許無く思うのである。烈風の如く駆け抜けた英雄の生涯は、文字の中に閉じ込めては忽ちに色褪せて死んでしまうためである。


 神話とは、世界の始まりを語るものでなければならぬ。これはいかにもおほきい。世界とは我々の拠つて立つ万物で、予め自明の与えられたものである。にも関わらず誰れも見たことがないはずの始まりを語ろうとするその不遜さと、古人の想像力の自在さにわたくしは眩暈を憶える。人の想像力の逞しさに圧倒される。


 門外のわたくしが左右さう申すのも僭越なのであるが、柳田先生に言わせれば神話は神聖なものであり信仰の場に相応しい形式を備えなければならぬそうである。斯くして神話は儀礼に則り口頭で語られなければならぬと言われる。然るにわたくしにとっては文字に記すということが神聖なる信仰そのものである。


 不遜の誹りを懼れず、わたくしはわたくしの神話を描くことにする。此れは余多ある世界のほんの一つのはじまりを描いたものにすぎないが、それでも一つの世界のあらましである。



   昭和十五年八月十五日  竹中芳視たけなかよしみ 拝

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