拝まれ屋

  俺の脳がこれ以上話を聞くのは危険だと警告を出している。

 なるほどな、確かにそうだと思うよ。その女が死んで良かったな。俺は生返事で急いで席を立とうとしたのだが、何故だか声が出てこない。

「だけどさ」

 そうか。浅原がまだ語り終えていないから動けないのか。俺はまるで他人事のようにそう思う。

「俺はこうも考えた。いや、考えてしまったんだ。って」

 そんなことはあり得ない。でもそれを口に出すことがどうしてもできない。

「引き金は俺の感情だったんだよ。心の底から相手を憎むことなんてそうそうないだろ。だからやっぱりあの女の言うとおり、自分が知らないだけで俺はその力を持っていたのさ。人を言葉で呪い殺す力をね。あの女と出会ったことで、俺の眠っていた力が引き出されたって訳だ。ゲームみたいで笑えるだろう?」

浅原は折れるんじゃないかというぐらい首を傾けて嗤う。

「まあお前の言いたい事はわかるよ。それならなんであの女は俺の言葉で死ななかったのかって。簡単さ。あの女は最初に『私もがある』と言っただろ。あの女は、自分に対する呪いを別な人間に自在に移し替える事が出来たんだよ。いわゆる呪詛返しってやつだな。だが、力が未熟だから、面と向かって言われた言葉は移し替えられても、見えないところで言われた言葉は返せなかったみたいだな」

 浅原の言っている意味が理解できない。今までの話にそんな場面はあっただろうか。

「わからないか?くくっ。俺が霧の中で出会った顔の見えない男こそが、あの女に恨まれて俺が最初に呪い殺した、あの女の元カレだったのさ。笑えるだろぉ?呪い殺した相手が目の前にいるってのに、それでもまだあの女を殺そうとするあたり、独占欲の塊って感じだよな。口臭もキツくてさ、ゾンビかよって。まあ、本当に死んでたんだけどな!ははははははは!」

ファミレス内に浅原の笑い声がこだまする。こいつはもう、俺の知ってる浅原なんかじゃない。

 恐らくこいつの話は殆どが作り話だ。そもそも呪いなんてこの世に存在しないし、もし仮にあったとしても、呪詛も、呪詛返しも、かけた術者も返した術者も無事ではいられないのが相場だろう。人を呪わば穴二つ。ましてやそれが人を死に至らしめる程強い呪詛であるならば、一人殺した時点で浅原も死ぬに決まっている。結局こいつは女の嘘という呪いに蝕まれて狂ってしまったのだ。


「さて、もうそろそろ良い頃合いだな。この力は使い勝手が悪くてなぁ。死因の指定もできないし、おまけに時間がかかるのが難点なんだ。なあ、俺はこのファミレスに来て、誰に何回「死ね」って言ったと思う?」


 遠くの方で悲鳴が聞こえる。それに何かが派手に割れる音も。誰かが手を滑らせてコップか何かを割ったのだろう。そうに違いない。死ねと口に出すだけで何のリスクもなく勝手に人が死ぬ?そんなことはありえない。

「お前、まだ俺の力を信じていないだろ?そうだよな、お前はそう言う奴だ」

 浅原は俺を見て嬉しそうに笑った。これ以上ないほどの邪悪な笑顔で。ああ、こいつにはもう人の心は残っていないのかも知れない。

「あの後に死んでいったのは、どいつもこいつもくたばりかけの老人や病人ばかりだった。しかも腐っても元信者、一度は俺の力を信じた奴らだ。病は気からって言うだろ?元々死期が近い連中が俺の言葉がきっかけで考え過ぎて死んで行ったに違いない。これが一番納得できる結論だ」

 そうだ、そうに違いない。負の自己暗示は時に体を蝕む。

「お前もそう思うだろ?だが、それにしては少々死にすぎた。相談に来た奴ら全員死んでるんだぜ。あの女さえもな。俺に霊感なんてないし、あの女に言われるがまま適当に拝み屋をやっていただけだ。でも、状況から見ればどうしたって俺が殺したことにしかならない。なあ、俺にそんな力なんてないよな。お前もそう思うだろ。なあ。なあ。なあ。なあ。なあ」

 浅原はぐいと俺に顔を近づける。その黒目には恐怖で引き攣った俺の顔が映っている。大きく暗い瞳に吸い寄せられ俺は自分自身から目を逸らすことができない。金縛りにあったように、体が硬直して指一本動かすことができない。全身から汗が吹き出してテーブルに滴り落ちていく。

 ぽつ。ぽつ。

「だが、俺は良いことを思いついた。老人や病人は死にやすい。なら信者と真逆の奴ならどうだ?若くて、オカルトを信じない、拝み屋じゃない俺を知っている人物。そんな奴がいたら、今度こそ俺の無能を証明してくれると思わないか?」

 さっきから息が苦しい。店内の冷房の設定温度が低すぎるんじゃないか?喉の奥から喘鳴が聞こえてくる。ひゅー。ひゅー。ひゅー。体が芯から冷えきっているのがわかる。世界から音が消えていき、代わりに自分の心臓の鼓動が酷く煩い。そんな騒音を貫いて、浅原の言葉が脳に目掛けて刺さってくる。

「そう、お前だよ!若く!オカルト嫌いで!かつての俺を知る友人!ははっ。ピッタリだよなぁ。お前なら協力してくれるよな?俺を救ってくれるだろ?確かめさせてくれ。俺を安心させてくれ。あの女が死んでから、毎日毎日夢に出てくるんだ。あいつも、あいつも、あいつもあいつもあいつも!こんな生活はもううんざりだっ!」

 周囲は静まり返っていて、店内には激しくテーブルを殴打した音だけが響き渡った。静まり返っている?煩い大学生達は。親子連れは。マダム達は。さっきまでの喧騒はどうした。いや、気のせいだ。騒ぎ疲れたのか、単純に満足して帰っただけだ。俺が来てからもう大分時間が経っている。

 呪いや言霊などある筈ない。ましてや人を簡単に殺せるようなものなど。俺の視線は浅原の呪縛から逃れようとあちこち無意味に彷徨っている。ガラスの衝立。ドリンクバー。レジ、調味料、呼び出しボタン。そうだ。さっきから何度もボタンを押しているのに、店員はまだ来ない。いつまでも来ない。気のせいだ。全て気のせいだ。忙しくて忘れることもある。何度忘れられたとしても、不思議じゃない。ガチ…。何だ?ガチガチガチガチ…。何だこれは。視界が振るえて体が揺れる。これは一体何の音だ!

 いや、これは俺だ。俺の歯の鳴る音だ。俺は震えているのか。この店は妙に寒い。ああ、きっと冷房が効きすぎている。俺は寒くて震えている。そうに違いない。浅原の顔が更に近づいてくる。

「どうした?黙ってないで答えてくれよ。どっちなんだ?協力するのかしないのか?さあ、早く。聞いてるのか?なんで何も喋らない。ああそうか、協力してくれるんだな」

 浅原はそう言うなり俺の後頭部を鷲掴みにすると、思い切り自分の方へ引き寄せた。ぐぐううっ。あまりの勢いに思わず蛙のような声が出る。その拍子にすっと金縛りが解け、体がいきなり軽くなった。口が動き、声も出る。

「待て!待て待て待てっ!ちょ、ちょっと落ち着けって浅原!俺は協力なんて」

「なあ、あの女は一体なんだったんだろうな。結局はあいつこそ拝み屋。そうは思わないか?」

 抵抗しようにも、物凄い力で引き寄せられて抗うことができない。こんな痩せた体の何処にこれほどまでの力があると言うのか。

「ぐぐっ…。離…せっ。俺の、話を…聞けよ!いいか、そんなのは」

「お前に会えて嬉しく思うよ。ようやく俺はあの女の呪縛から解放される」

 これほどの力を出しながら。あいつは笑っていた。

「それが思い込みだ!お前も」

「卒業してのうのうと過ごしているお前が憎い」

 浅原は不意に能面のような表情になると、俺の耳元で囁いた。

「お前も死ね」

「ああああああああああっ!」

 俺の脳が瞬く間に沸騰し、限界を超えた心臓の鼓動があらゆる血管を破裂させる。身体の内側からじわじわと熱が広がっていき、俺は忽ち前後不覚に陥って椅子から転げ落ちた。  

 感覚が鋭敏化している。胸に刺すような痛みが走り堪らず呻き声が出た。視界が歪んでいる。呼吸が頻回なのは過呼吸になっているからか。

 落ち着け。こいつも言ってたじゃないか。時間がかかるって。本当だとしてもまだその時じゃない。ならこの胸の痛みは何なんだ?

 心臓発作?そんな馬鹿な。最近受けた健康診断も異常はなかったのに。

 突然死。心不全。呪殺。そんな言葉が次々と頭をよぎっていく。

「た、助け…」

 この場から逃げ出したいのに体が上手く動かない。俺は地べたを不恰好に泳ぐ。無神論者でもどうしようもなくなれば自然と神の存在を意識するらしい。俺は縋る思いで必死に天に手を伸ばして生を懇願する。

 嫌だ。こんなところで死にたくない。訳のわからないまま、こんな。

 拝まれる代弁者は、そんな俺を見下ろして満足気に笑っていた。

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拝まれ屋 波と海を見たな @3030omio

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