旧友の話④ 事件
朝、俺はアパートの自室で目を覚ました。施設を出たあの日にどこをどうやって家まで帰ったのか、記憶が曖昧で全く思い出せない。
戻って来てからはとにかくあの水とサンドイッチが食べたくて食べたくて、しばらくは他の物を食べても砂利のような味しかしなくて苦労した。
おそらく何か薬のような物でも入っていたのだろうが、今となってはどうでもよかった。
俺はあれから警察には行かなかった。あの施設の場所も女の素性も、本気で探ろうと思えば出来ただろう。だが、もうそこまでの労力を掛けようとは思わない。それは何故かって?
だってあの女はもうこの世にいないから。
俺は新聞を取っていないが、電子版の新聞を複数購読している。全国ニュースだけじゃなく、地方の小さいニュースも取り上げてくれるのが良いところだ。
2週間俗世から離れていたことで溜まりに溜まった情報を整理している時、俺は気になるニュースを見つけた。
「山林に女性の遺体、事故か」
ー5月28日、方丈町千切の山林を歩いていた所有者の男性が、坂の下に白い服を着た身元不明の女性の遺体を発見した。女性は岩に頭を強く打ち付けており、死因は頭部外傷による脳震盪と硬膜下血腫とみられる。警察は女性の身元確認を急ぐとともに、女性が何らかの理由で山林を訪れ、足を滑らせたとみて捜査を進めているー
山林、観光客、白い服を着た女。方丈町は蓬莱市の隣町で、千切はその外れだ。日付は丁度あの女が来なくなった施設生活14日目を示していた。
あの女は死んだ。そう、死んでいたんだ。だからあの女はいなくなったのだ。何ともあっけない最後だったが、俺はようやくあの女から解放されたのだ。
次の日の地方面でも、何件か死亡事故のニュースが載っていた。あの女の件も含め、新聞に載るような事故が続くのはこの街では珍しい。
ー5月29日未明、国道45号の車道で大型トラックと小型乗用車が正面衝突する事故があり、小型乗用車を運転していた副島義雄さん(76)が頭を強く打つなどして死亡したー
ー5月29日午後8時43分、蓬莱市山添の民家で火災が発生した。この火事で付近の民家を含む3棟が全焼し、焼け跡から一人の遺体が発見された。この民家に住む結浜美智代さん(82)と連絡がとれておらず…ー
ー5月29日早朝、蓬莱市国頭の路上で朧翔太さん(32)が倒れているのを散歩中の男性が発見し、119番通報した。朧さんは搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。朧さんは心臓に持病を抱えており、死因は心臓発作であったと見られているー
…何か引っかかる。只の事故死のニュースに何故こんなに心が騒つくのだろうか。浅原は続けて次の日、その次の日と読み進める。
ー5月30日深夜4時ごろ、方丈町千切の農家で、大佐渡一郎さん(78)が横転したトラクターの下敷きになって死亡した。ー
ー5月30日、蓬莱市立病院透析センターで血液透析療法を受けていた仙川祐一さん(45)が、帰宅後に容態が急変し、そのまま死亡した…ー
ー5月31日、自転車と歩行者が衝突する事故があり、歩行者の女性が地面に頭を強く打ち付けるなどして死亡した。死亡したのは、大為トシ子さん(88)。警察は自転車の運転手に詳しい事情を…ー
あ。
思い出した。
思い出してしまった。
俺はこいつらを知っている。顔写真こそないが、全員あの施設で会った奴らだ。名前や持病、年齢にそれぞれ覚えがある。
嘘だろ?どいつもこいつもピンピンしてたじゃないか。何でこいつらはいきなり死んだんだ?俺が死ねと言ったから?そんな馬鹿な。だが、偶然にしてはあまりに…。
胸が苦しい。陸にいるのに息がまともに吸えなくて、俺は酸素を求めて深呼吸を繰り返した。
あの女は詐欺師で、俺はただのマスコットだろ。これじゃあまるで、本当に俺が呪い殺したみたいじゃないか。
胸が締め付けられる程苦しくなって、視界の端がちかちかと明滅する。
今まで散々「死」という言葉を軽々しく使っておきながら、いざその重みを知ってしまうと、怖くて怖くて堪らない。こんなの知らない。知らなくてよかった。こんなの俺には耐えられない。
あの施設を訪れた信者は何人だった?俺は今まで何回あの言葉を口にした?俺は一体何人殺したんだ!
浅原は頭を抱えてその場に蹲る。今回だけじゃない。あの女に頼まれて、顔も見たことがない奴らに俺は何度も何度も…。
言葉の重みに押し潰されそうになったその時、ふと俺の中である疑問が浮かんだ。
施設に連れ去られるまで、俺は「死んでくれ」とあの女に向けて言ったはずだ。あの女は俺の知らない誰かに向けて言って欲しかったのだろうが、少なくとも俺はそうしていない。
でもあの女は死なず、結局あの女の言う通りに他人が死んだらしい。俺の力が本物だと言うなら、あの女はもっと早く死んでいないとおかしい。そうだ。それなら俺はやはり関係ない。
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