旧友の話③-6 出会い
静寂に包まれた施設内では、自販機のコンプレッサー音がよく響く。浅原は深い霧の中、音を頼りに自動販売機へと辿り着いた。
ぶううん。
霧の中で自動販売機は白く怪しい光を放っていて、音に合わせて光は明滅を繰り返す。
ばちっばちばちばちっ。ぶーん。
蛾が燃えるような音だ。浅原はなぜだか首の後ろが痒くなった。
いざ水を買おうとして、浅原は小銭がないことに気づく。そういえば、所持品は何処に保管されているんだった?そもそも施設に連れてこられた時に貴重品は持っていたんだっけ。
水が目の前にあるというのに、絶対に手が届かないのが恨めしい。自販機を見るだけでこんなにも涎が溢れて止まらないというのに。
〈なんとしてでも手に入れなければ〉
小銭が落ちていないか辺りを探し回るが、目の届く範囲にも釣り銭入れにも見当たらない。水を前にするとせっかく霧の晴れてきた頭の中も再び濁った衝動で埋め尽くされてしまう。
浅原はなりふり構わず自販機の前に腹這いになると、自販機と地面の隙間に手を伸ばして必死に弄った。
ここにもない。あそこにもない。なら奥だ、もっと奥へ。汚い床の上だろうと埃が酷かろうと関係ない。俺は関節が外れるくらい限界まで隙間の奥底に手を伸ばす。
「うわっ」
すると突然手が暖かい何かに触れ、浅原は慌てて手を引っこ抜いた。恐る恐る覗いてみるが、隙間には闇が広がっているだけだ。
自販機の側面に回り込んでみると、そこに男が蹲っていた。いや、男の様だったと言う方が正しいか。この霧では何かを正確に判別する事は難しい。
「こんにちは。お話があるなら二階で聞きますよ」
俺は今日初めての信者だと思い、喉の渇きも忘れてそう声を掛けた。信者は例外なく不安定で、こうして蹲るものがいても不思議じゃない。
「………ぁ…れ」
男の発した声は壊れたスピーカーの様にざらついて耳障りだった。
自販機の音が男のかすれ声をかき消してしまい、何を言っているのかよく聞き取れない。
男はうわ言のようにぶつぶつと何かを繰り返しながらゆっくりと浅原に近づいてくる。
「さ…れ……い」
「…てくれ」
遂には浅原と向かい合う形になったが、相変わらず男の顔は霧で覆われてよく見えない。
目の前にいると、男の息遣いが伝わってくるのだが、男の吐く息からは腐敗臭が漂っていた。
何度も聞いているうちに、男が「あいつを殺してくれ」と言っているのがわかった。
男の顔はさらに近づき、今度は浅原の耳元で繰り返し繰り返し、永遠とも思えるほどその言葉を呟き続けている。
俺は目の前の男に生理的な嫌悪感を覚え、「死んでしまえ」と言い放つと、男を押し退けて玄関の扉を閉めに行った。目の前の男の顔すら見えないなんて不便すぎる。
だが、霧のおかげで喉の渇きは少し癒えていて、頭は益々覚醒しているように感じていた。浅原が扉を閉めて自動販売機の所まで戻ると、男はもう居なくなっていて、自動販売機の明滅も、五月蝿かったあの音も、いつの間にか止んでいた。
男は先に告解室に向かったのだろうか。浅原も男の影を追うように、二階へと上がっていった。
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