旧友の話 ③-1 彷徨い
緩やかな振動で浅原は目を覚ました。どうやら自動車に乗せられているようだ。目を覚ましたと言っても、浅原の視界は未だ暗いままだ。拘束されている。直感的にそう思った。手も足も動かせない。口はテープか何かで塞がれていて、声を出すことすら叶わない。耳に装着されたヘッドホンからは、聞き馴染みのない言語の羅列が流れている。
何処へ連れて行かれるのだろう。浅原はまだ痺れる頭でぼんやりと思う。何故かは解らないが、拘束されて拉致されているというのに不思議と抵抗する気は起きなかった。
車はしばらく快調に進んでいたが、途中から悪路になったようで車内はかなり揺れた。少しずつ坂を登っているように感じるのは、気の所為だろうか。
これが小説の世界なら車を降りて山奥まで歩かされ、目的地に着いた途端に殺されて埋められてしまうのだろう。
浅原は穴に放り込まれた自分の上にどさとさと土が被せられていく姿を想像する。土の中は暗くてジメジメしていて、土と同じくらい冷たい浅原の肉体は、虫や微生物のオアシスになっていく。肉体は長い年月をかけて徐々に徐々に朽ちていき余分な物が削ぎ落とされて骨になる。その様子を自分自身が見つめている。自分が失われていく処を延々と。いや、待てよ。死んだ時点で自分という存在はもう失われているのではないか。ならこの朽ちている肉体は誰のものだ?そう考えた瞬間意識までもどろどろと溶け出して、朽ちた骨の隙間に吸い込まれていく。浅原の意識は肉とともに土に還り、それから…
自動車が停まり、体から不快な振動が消えた。それと同時に浅原の思考も瞬く間に止まり現実へと引き戻される。アイマスクとヘッドホンが外され、手と足の拘束も順番に解かれていった。もう少しあの不思議な声を聴いていたかったが、それは叶わないようだ。長時間拘束されていたためか、手も足も頭も全てが痺れている。
「着きましたよ、拝み屋さん」
浅原の目の前に表れたのは、やはりあの女だった。浅原の脳裏に笑顔でスタンガンを持つ女の顔が浮かんですぐ消えた。女はそれだけ言うと、すたすたと先に歩いて行ってしまった。
見知らぬ場所に一人取り残された浅原は、重い頭でひとまず辺りを見回してみる。
前後左右が大きな樹で覆われており、何処もかしこも薄暗くてじめじめしている。鬱蒼とした森だ。かなりの時間車に揺られているた気がするから、もしかしたら何処かの樹海まで連れてこられたのかもしれない。
ふと、このまま逃げてはどうだろうかと考えたが、この暗さでは間違いなく迷ってしまう。それに、気絶させられ長く拘束されていた所為か、思考が上手く纏まらない。こんな状態で樹海を彷徨くのは間違いなく危険だ。
浅原は仕方なく後を追いかけたのだが、気がつけばあの女は思ったよりも先に進んでいた。こちらも追い付こうとそれなりに急いだのだが、ただでさえ動かしにくい体に加え、泥濘んだ腐葉土やあちこちにはみ出した木の根に足を取られて思うように前に進めない。木々の切れ間から断続的に太陽が降り注ぎ、次第に額に汗が滲みてべっとりと服が張り付いてくる。けれども、少しでも歩みを止めるとそれはそれで寒い。暑いような寒いような、暗いような明るいような、何とも対極的で不思議な空間だった。何処を見渡しても変わり映えのない景色で、前に進んでるように見えて同じ処をぐるぐると回っているのではないかという錯覚に陥ってしまう。
独特な地形と空間に手間取っている内に、浅原はとうとうあの女を見失ってしまった。歩き回っても付近に何か目印になるような物もなく途方に暮れかけたその時、突如として眼前に大きな白い建物が現れた。
建物は折り重なる樹々の合間を縫って建てられており、その存在は外部から巧妙に隠されていた。現に浅原も今に至るまで全く気付かなかった。年代物の建物なのか、廃墟のように外壁がひび割れ窓には外側から腐りかけた木が打ち付けられている。建物は宛ら市営の複合施設のようで、この樹海然とした場所に明らかに似つかわしくない。
自然の中に佇む圧倒的なまでの人工物。その強烈な異物感に浅原は眩暈を覚えた。自分は異界に迷い込み、生と死の境界を彷徨って居るのだろうか。浅原はそう思わざるを得なかった。
あの女は既に建物の中に入っていったのかもしれない。他に行く宛のない浅原も、ふらふらと建物に引き寄せられていく。
建物の入り口はガラスの引き戸になっていて、周りの冷気に当てられ鉄の取っ手が冷んやりと濡れている。どうやらいつの間にか霧が出てきたようだ。浅原は扉にゆっくりと手を掛けると、緩慢な動作で建物の中に入っていく。古ぼけた外観とは裏腹に、思いの外扉は軽い。
急速に侵食していく深い霧はまずは森の木々が飲み込むと、あっという間に建物までも覆い被さってしまう。建物の中の浅原もまた、霧に呑まれてこの世界から消えていった。
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