第5話

 サンが手にしている資料は四枚。見ていないのは残り一枚だった。残り一枚に目を通そうとしたサンだが、鼻を鳴らす。


 周りを見渡しつつ、部屋を出ると、床が濡れていることに気が付く。窓は施錠されており、雨が降っているわけではない。床に撒き散らされたものが何なのかを確認するより先にサンは手で口と鼻を抑え、駆け足で玄関に向かっていく。


 開け放たれた玄関の扉に向かって全速力で駆けて行ったサンは、外に出た瞬間、体内にある空気全てを取り替えるかのように何度も大きく息を吸い、吐いた。


「早く去ると言ったのに随分遅く来たのね」


 厭味ったらしくシュフィが言うと、サンは最後にもう一度深呼吸をして、あたりを見回す。


 海沿いに建っている施設の正面には海があり、それ以外は枯れた森で囲われている。都会独特の明るさもなく、星と月、そしてサンが持っているランプの光、それらの明かりに反射する海の明るさだけが頼りだった。


 海のさざめく音以外は何も聞こえない場所にいたのは、ロン、シュフィ、リトの三名のみであった。


「ソンと先生は?」

「すぐに来ますよ。準備ももう終えたようですし」


 リトがサンの質問に答えると、同時に再びサンは鼻を抑える。ロンも不快に思ったのか、静かに施設から離れる。


「待たせたか?」

「サンも今来たとこよ」

「なら、それほど遅れてないな」


 サンが振り返るとソンが近くにいた。なぜかソンの全身が濡れている。


「別に特に集まる必要性はねーんだ。でも、ま、折角の年末だからな。締めの挨拶くらいはしておきたいだろ」


 十二月三十一日。誰一人として時計を持っていないために正確な時刻は分からないが恐らく十一時過ぎだろう。


「こんなことになって悪かったと思う。でも、お前らとはすぐに会える気がするよ」

「いい」

「そうね」

「そう思います」


 ソンの言葉にすぐさま三人が賛同する。


「お前らがどうか、一瞬だけでも幸せであれることを心の底から祈るよ」


 サンはソンを見ることはなく、施設の方を見つめている。


「これが俺と父さんからの門出の言葉だ」


 父さん、の言葉に反応したサンはソンを見るが目は合わなかった。


「今年はどうもありがとう」


 軽く頭を下げて言うソンは頭を上げるといたずらっ子のような笑顔を浮かべる。


「楽しんで来いよ」


 その表情を見た三人もまた楽しげな笑顔を浮かべる。


「またな」


 ソンが手を振ると同時にロンは四足歩行の駆け足で森の中へと、シュフィは魚の尾ひれを使い、海の中へと、リトは鳥の羽のような機械を利用して空へと吞み込まれていった。


「先生がまだ来ていないのに」

「父さんはここには来ないよ」


 サンが小さくつぶやいた言葉をソンは拾い上げる。


「父さんは家に残るから」

「は?」

「父さんの研究は早すぎたんだ。生き残ったところでどうなる?」




―—名前・ソン 性別・男? 特徴・息子を模して作ったもの。顔も性格も正確に作ることはできたが、成長することはない。食事をすることも排泄をすることもない。間違いなく人の型を持った機械である―—




「サン、資料はもう要らないだろ。持っていったらややこしくなる」


 手を差し出し、近寄ってきたソンにサンは顔をしかめる。


「……ガソリン?」


 鼻に入る不快な臭いの正体に気が付いたサンが施設を振り返ると施設の一室から煙が充満しているのが見えた。


「ダメだ、サン。お前が行くべき場所はそこじゃない」


 施設に戻ろうとするサンの手を掴んだのはじっとりと濡れているソンだった。


「お前は俺たちと違ってこの先も生きていけるんだから」

「それは皆もだろ! 離せよ!」

「この冬の中、裸で森の中をさまよう人間が、海の中を泳ぐ人間が、空を飛ぶ人間が生きていけると思うのか」


 手を振り払おうと暴れるサンにソンは静かに制する。


「狼や人魚、鳥の真似事したって何の意味もない。なれるわけじゃないんだから」


 機械であるサンとソンの力の差は凄まじく、ソンはびくとも動かない。


「匂いは染みついていて、機械は水に弱く、空は酸素が薄い」


 それでもサンは施設へ向かおうと抗い続ける。


「何より父さんの研究は完璧じゃない」


 ソンは片手でポケットに入っていたぐちょぐちょに濡れた紙を取り出す。


「兄さん。俺の元となったサン兄さん。これが貴方の資料だ」


 ソンを振り払おうとしていたサンだが、ソンの言葉に目を丸める。


「兄さん、アンタ以外は皆見抜いていたよ」




――名前・サン 性別・男 特徴・私の息子。

戦争に赴き、終わってもなお帰ってこず、連絡もなかったために死んだと思っていたが生きていた。戦争の影響で顔の形状が変わり、整形し、記憶も飛んでしまったらしいがその程度で間違えるはずもない。癖や人への接し方は何も変わっていない――


――息子が死んだという事実に耐えられず、妻と離婚し、息子を創ってしまった。人として逸脱してしまっている行為に妻を巻き込むわけにはいかないと判断してやったことだ。だが、息子は生きており、もう一人の息子は私を父親と信じてやまない。私は間違え続けている――




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