第19話

 きららの高校を出て、30分くらい経っただろうか。お姉ちゃんの運転する車の後部座席に私ときららは並んでいた。きららは車に乗ってすぐに声を上げて大泣きし、しばらくして泣き止み、今はゆるんだ表情で前のシートと窓の外を眺めている。かといって、誰一人として言葉を発しはしなかった。道路の段差で3人の体が跳ねる。

「ひめお姉ちゃん」

 ひと際大きな音を発するエアコンの音に混ざって、きららが私の名前を呼ぶ。

「なに、きらら」

 きららの方を向くと、きららは正面を見たままだった。きららの口が小さく動く。

「来てくれてありがとう」

 きららがこちらを向く。今度は私が正面を向いて「うん」とだけ答えた。

 「まいお姉ちゃんもありがとう」とお姉ちゃんに言うと、お姉ちゃんは「うん。きららのためだもん」と笑った。それにつられて、私もきららも笑った。

 ひとしきり笑ってから、私も口を開いた。当然だが、視線は正面だ。

「私もきららに言いたいことがあるんだ。聞いてほしい」

 言ってから、ちょっと言葉を選んでいたら、きららが私の手の上に自分の手のひらを重ねた。エアコンの音は相変わらず大きい。

「私も学校に行けてないんだ」

 きららの手のひらがぴくりと動いた後、ゆっくりと私の手を包んだ。

「突然行けなくなった。それからずっと行けてない。もう1年くらいになるかな。まだ多分行けない。つらい思いしても一生懸命通おうとしていたきららとは違う。がんばろうともしてないし、がんばり方もわからないんだ」

 お姉ちゃんがルームミラー越しに「ちょっと」って止めようとしたけど、「私は大丈夫」と制した。

「だから、私はきららに憧れられる理由もないし、きららの方がずっとずっとすごいよ」

 あれ? 私、泣きそう?

「ひめお姉ちゃん。ひめお姉ちゃん」

 きららは私の名前を2度呼んだ。

「それでも、ひめお姉ちゃんはひめお姉ちゃんだよ。どんなことがあっても、ひめお姉ちゃんが私の憧れなのは変わらないよ」

 きららになぐさめられる。ああ、やっぱり泣く。

「お姉ちゃーん」と運転席のお姉ちゃんに助けを求めるが、「私、運転中」と冷たくあしらわれた。けど、

「でも、ひめ。あんた、今日がんばったわ」と一言付け加えた。

 本格的に泣きたくなってきた。前のシートに寄り掛かるように額を押し付ける。泣き声が漏れる。もう言葉にならない。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 きららが私の背中をぽんぽんする。ぽんぽん一回いっかいにきららのあたたかさを感じた。

 きららはいつだってあたたかくて、かわいいし、強い。たぶん、私たちの中で一番。

 お姉ちゃんは、いつだってやさしくて、みんなのことを考えてくれて、美しい。間違いなく、私たちの中で一番。

 私はこの中で一番弱い。弱いけど、私たち姉妹のことが好きだし、誰からも何からも守りたい。その気持ちだけは一番だと思ってる。

 夏のせいか、沈み始めた夕日はまだ昼間の時間を、私たち3人の時間を引き延ばしてくれているような気がした。

「きらら、今日は私たちのところに泊っていく?」

「うん。今夜は3人いっしょがいい」

 ああダメだわ。これは本格的に泣き止めそうにない。

 私はもう顔を上げられなかった。ただ、たぶん、車は明るい空の方に進んでいるような気がした。

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