第15話

 雨音はどんどん大きくなっていく。それに負けずに風も強くなり、路面に落ちる雨粒を巻き上げる。誰も歩いていないアーケードを抜け、車のいない大通りを進む。交差点の手前でスマホを見ると、3姉妹の待機画面が映って、急いで閉じた。視線を上げると、信号は誰も見てないのに、緑の明かりを点滅させ、やがて赤に変わる。目に雨粒が飛び込んできて、視界がぼやける。

 お姉ちゃん、何で…。

 この怒りの理由も在り様もわからなかった。

 でも、

「お姉ちゃん、何で…」

 その言葉だけが口から漏れる。

 服が雨を吸って、身体にまとわりつき、地面に引っ張った。風に押されるように、足を進めた。

 公会堂へ向かうイチョウの枝が激しく揺れている。

 美術館に併設する公園の、ガス灯を模した街路灯を大きく育った雨粒が音を立てて叩く。大学に行けなくなってすぐの頃、この公園に来るのが唯一の外出だった。

 いつもはレイトショーをやっている小さな映画館は、早々に今日の営業を止めたのだろう。新作映画のポスターが貼ってあるガラスの置くは真っ暗くなっている。ここもお姉ちゃんと何度も来た。

 コンビニののぼりが大きく煽られ、お姉ちゃんと同い年くらいの店員さんが忙しなく取り込んでいいる。

 気が付けば、いつもの散歩コースに迷い込んでいた。

 メロンパン屋の看板が見えた。

 私が大学に行けなくなって、夏休みが終わって、後期の授業が始まって、すぐに行けなくなって。今思えば、過食だったのかなって思う。ただ、あの時は、いっぱい食べて、元気になれば大学に行けるようになって、また元通りになると思った。

 とにかく食べた。手あたり次第。はじめは、太らないようにって、豆腐とか野菜とかこんにゃく麺とか。それでも良くならなくて。お肉とか果物とかを食べて、それでもダメで。最後は総菜パンとか、コンビニ弁当とか、ほんとに手あたり次第だった。その時は、いくらでも食べることができたから、お姉ちゃんが作ったご飯も食べたからバレないと思った。自分が元気になるためって思っていたけど、罪悪感はあった。お姉ちゃんが会社に行ってる間しか食べないようにしていた。でも、それも、すぐに歯止めが利かなくなった。

 お姉ちゃんが寝た後、夜中の2時くらいだったと思う。耐えられなくなって、過食に走った。目が覚めて、菓子パン1つのはずだった。1つでは止まらなかった。部屋に隠してあったパンやお菓子を片っ端から食べた。止まらなかった。食べて食べて、涙が流れた。泣いていた。でも、手は止まらなかった。

 その時、背中にあたたかいものに包み込まれ、後ろから抱きしめられた。お姉ちゃんだった。お姉ちゃんが背中から手をまわし、きつく抱きしめて、そして、泣いていた。耳のすぐ後ろで泣き声が聞こえ、背中で小さく震えている。

 私の手が止まった。両手に食べ物を持ったまま、「お姉ちゃん、ごめん」と私も泣いた。

 翌日、お姉ちゃんはこの店のメロンパンとチョコメロンパンを両手に抱えて帰ってきた。「どうしたの?」って聞いたら、「ひめばっかりズルいから、私も一緒に食べる」って笑った。お姉ちゃんとおしゃべりしながら食べたら、びっくりするほどの数のメロンパンが一晩で無くなった。さらに翌日、「太った」「太った」って体重計の前で笑い合った。それから過食をするときは一緒にするという約束ができた。

 お姉ちゃんはいつも私たちの味方だった。私の味方だった。

 なのに。

 お姉ちゃん、何で。

 メロンパン屋を通り過ぎるとき舗装の継ぎ目に足をとられた。雨と涙で、視界がゆがむ。

 お姉ちゃん、何で。

 雨足がどんどん強くなっていく。ひとつひとつの水滴が槍となって私に突き刺さる。

 立っていられなくなって、通りのベンチに腰が落ちる。

 お姉ちゃん。


 お姉ちゃん…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る