第14話

 雨音がどんどん強くなっている。どんどん、どんどん。どんどん、どんどん。窓枠が揺れ、雨粒が窓ガラスを叩く。その音が、ひどく私を落ち着かせて、時間を忘れさせた。

 雨が降り出したのがきららを駅に送り届けた後だったことだけが幸いだった。

 玄関の扉に鍵が刺さり、開く音が聞こえたがとても動く気にはなれなかった。

「ただいま。ひめ、迎えに来てって言ったじゃない」

 お姉ちゃんの荒れたスリッパの足音が近付いてくる。

「ちょっと、ひめ、いないの?」

 リビングの電気がともされ、お姉ちゃんと視線が合う。

「ちょっと、どうしたの。びしょびしょじゃない」

 お姉ちゃんにひっぱり上げられて、厚手のファイスタオルで荒っぽく髪を拭かれる。大学に行けなくなってから切らないままになっていた、長くなった髪ごと頭が大きく振られる。

「お姉ちゃん」

「なに」

「きららが転校するって、なに?」

 お姉ちゃんの手が止まる。

「え…あんた、なんでそれ」

「今日、きららに聞いたの」

 私の頭からタオルが避けられて、再びお姉ちゃんと視線が交わる。左に反らしてから、もう一度お姉ちゃんの目を見つめる。

「なんで、きららが転校しなきゃいけないの? お姉ちゃんだって、きららが一生懸命受験勉強してたの知ってるでしょ。なんで? 悪いのはどっちなの?」

「ひめ、そこまで知って…」

「きららから全部聞いてたよ。お姉ちゃんだって全部知ってるんでしょ? 悪いのはどっちかって知ってるんでしょ? 悪くないきららが、なんで転校しなきゃいけないの。おかしいよ。おかしいよ……」

「こうすることが、きららにとって一番いいことなんだよ。また、三人一緒に暮らそう」

「きららと一緒に暮らせるのはうれしいよ。でも、こんなかたちは嫌だよ。お姉ちゃんだって、わかってるでしょ。

 きららは強い子だから、新しい学校でだったらうまく行くかもしれないけど、そうじゃないでしょ。わかる、わかるでしょ。

 きららの体が、心が傷ついてるんだよ。逃げるとかそういうのじゃなくてさ、転校もいいかもしれないけどさ、ちゃんときららの中で終わらせないとさ、誰も救われないよ。きららが救われないよ」

 お姉ちゃんの前髪から水滴が額を伝う。お姉ちゃんの髪はまだびしょびしょだった。お姉ちゃんが私から視線を外したとき耐えられなくなった。

「こんなのお姉ちゃんじゃないよ」

 気がついたら、部屋を飛び出していた。アパートの駐車場でお姉ちゃんに後ろから羽織い締めにされた。暴れる私。お姉ちゃんの腕に痛いくらいに力がこめられる。強い雨が私とお姉ちゃんを叩く。

「きらら、言ってたよ。お姉ちゃんのことが最終目標だって。今のお姉ちゃんは、きららのその言葉に、気持ちに耐えられるの? 胸を張れるの?」

「それに」

 力いっぱい駄々をこねて、お姉ちゃんの腕を払いのけた。

「それに、なんで私に言ってくれなかったの。私も姉妹なんだよ。お姉ちゃんはお父さんとお母さんから、きららのこと聞いていたんでしょ。なんで私には言ってくれなかったの。私も姉妹なんだよ。私も、お姉ちゃんときららの姉妹なんだよ。それとも、あれ? 私が大学に行けてないから? 心が病んじゃったからなの? もう私は何も知っちゃいけないの? 私はもう何にも言っちゃいけないの? 私のこと、信用してないの? 私はもう姉妹じゃないの?」

 風であおられて、お姉ちゃんの前髪が額に張り付いていたが、お姉ちゃんはそれを払わなかった。

「私は姉妹だと思ってるよ。私でも少しはお姉ちゃんときららのために何かできると思ってる。思ってもいいでしょ?」

 お姉ちゃんの答えを待たずに、台風の中を走り出していた。お姉ちゃんの顔を見ることができずに、走り出していた。

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