第5話 吸血姫と聖女
《
「ふむ……」
それではと《
対象を認識できていれば通話ができる《念話》と登録した相手へとメッセージを飛ばす《伝言》のスキルの違いから考えると、指定対象の登録情報が消えているか、以前とは変わっていて繋がらないかだろう。
つまり、自分のかつての知り合いがこの世界にいるとしても連絡を取る事はできない。
「まあ、急ぐ話でもないか」
急いで連絡を取りたいような相手がいるわけでもなければ、誰かの助けが必要な状況にいるわけでもない。
ただのプレイヤーよりも強力な人外種族かつ禁忌職のアバターを己が身としているから、たいていの事は脅威とも呼べないだろう。この世界の基準がわからないが、賊達を参考に考えると一般人でも脅威的な強さという事はあるまい。軍人や犯罪者など、暴力を生業としている者達。あるいは、先に来ているかもしれない他のプレイヤーという不安要素はあるものの、無駄に警戒する必要は現段階ではなさそうだ。
ヘルハウンド達を送還し、新たに屋内探索用に
命令を頷いて受諾すると、グール達が散っていく。
「ヘルハウンドの時はよくわからなかったが、興味深いな」
かつては、召喚モンスターの外見はコピペとばかりに同一の姿が並んでいたが、先ほどのグールは容姿に明らかに個体差があった。同じ毛並み、同じ毛色で、体格も差がさしてないヘルハウンドでは個体差はわかりづらかったが、人に似た容姿のグールだとよくわかる。
皺が多く、枯れ木を思わせる乾いた肌に、ばさつき乱れた髪。猫背のように歪んだ体躯。開いた口から覗く乱杭歯。異形ではあるが、人の似姿でもあるグールは外見的な個体差をヘルハウンドよりは認識しやすかった。
外見的な個体差だけでなく、能力的な個体差もある可能性も窺え、細かなスキルの検証と考察をしておかないと、ゲームとの差で思わぬところで足をすくわれるかもしれないと心の中にメモをする。
先の命令で、この小屋の中の賊どもはグール達が片付けるだろう。囚われているかもしれないそれ以外の者達も、賊が片付くとなれば早急の問題は無いだろう。
万が一、グールが始末されるような事があるのであれば察知できるし、ここに危険があるという事の示唆になる。
本格的な家探しなどは、グール達によって一通りの安全確認が済んでからでよい。
ちらりと、ベッドで寝ているシェリルを眺める。夢見が悪いのか、その表情は苦し気に歪んでおり、胸元には着衣の乱れ。
賊どもの頭とおぼしき男がその肌にむしゃぶりついていた事を思い出し、次にするべき事が決まった。
「そうだな、身を清めるためにも風呂だな」
かつて、世界がゲームであった時には風呂というものは嗜好品に過ぎなかった。
プレイヤーのアバターは単なるデーターであり、生身の体と違って新陳代謝による各種の汚れが発生するという事は無いし、野外で活動しても泥や汚れがつくかというとそういう事もない。
汚れを落とし、清潔を保つという実用性を理由とすれば風呂は必要が無い。湯の温もりに包まれ、安らぎを得るという精神的理由。つまりは、気分の問題に最終的には落ち着く。
だが、死してやってきたこの世界は現実だ。
故に、風呂は現実的必要性を持っている。
好きでもない小汚い男に肌を舐められていい気分のはずがない。早く洗い落としたいだろうし、湯の温もりに浸ってリラックスでもすれば、不安定気味に見える精神も落ち着くだろう。
小屋の外に出て、宿泊用の施設を展開するテント系の上位アイテム。インスタントコテージを展開し、備えつけの風呂が沸くのを待ってからベッドで眠るシェリルの肩を優しく揺らす。
「起きろ。お風呂にでも入って、気分転換をするといい」
「ん~、連れてって……」
返ってきた反応は、寝ぼけているのかむにゃむにゃとした頼りない言葉の連なりとこちらへと向かって伸ばされる両手。
小さく吐息を漏らして、シェリルの背中と膝裏に腕を回して抱き起す。プリンセスホールド。いわゆるお姫様だっこの姿勢で、よいしょと彼女を抱き起す。
吸血鬼の人外の膂力は、人ひとりの体重をものともしない。身長的に言えば、シェリルの方が背が高いので、傍から見ると違和感が仕事をしている気がするが気にしない。
こういう時には小柄な体に設定したことを悔いるが、今更だ。
そのまま、小屋を出れば見た目には六畳程度の内部空間しかなさそうなちんまりとしたコテージがある。見た目と違い、内部空間が拡張されているこれは充実の内装と設備で快適な一夜が過ごせるというフレーバーテキストがあったが、それに違わぬ快適空間。
うつらうつらと、腕の中で微睡むシェリルを脱衣所まで連れて行くと床に下ろす。
「湯は沸いている。あとは、ゆっくりと湯に浸かって体を休めるといい。風呂上がりに何か飲みたいというのなら、用意しよう。コーヒーでもミルクでもアルコールでも、それなりに揃っている」
「それなら、お酒を飲みたい気分かなぁ……」
もぞもぞと、服を脱ぎだしたシェリルに背を向けたセラフィールドの腰ががしりと掴まれる。
「……この手は?」
振り返り、逃がさぬとばかりに握り込んでくる手へと視線を落とし。そのまま、半裸のシェリルへと冷めた視線を流す。
「一緒に、入ろう。お風呂」
その冷たいまなざしにめげることなく、にへらと表情を笑みに崩してシェリルが誘う。
「子供じゃあるまいし、ひとりで入れるだろう」
露出度が高くなっている白い肌から目をそらし、溜息とともに手を振り切ろうとしたところに、低く小さくシェリルの声が響く。
「……駄目、なの?」
その声に奥底に透けて見える不安の響きが、セラフィールドの足を止めさせる。
ああ、なるほど。未遂とはいえ、レイプ被害にあったばかりだったなとの思いが脳裏をよぎる。
深く重く、地の底へと沈み込むような吐息をひとつ溢してセラフィールドは頷いた。
「……しかたない。狭いと言って文句は言うな」
「うん、ありがと」
返ってくる短い感謝の言葉に、やはり心が弱ってはいるようだと思いながら、自身も身にまとう服を脱いでいく。
しゅるりと肌を滑り落ちていく布地の感触。
つつっと、背筋を撫でる指先の感触。
「ひゃん!」
びくんと、背筋を反らして慌てて振り返れば、こちらをしげしげと興味津々の眼差しで見つめるシェリルの姿。
「可愛い声。それに、随分とえっちな下着を着てるのね」
言われて、自分の体を見下ろす。
透けるような白さの肌と対比を成すように、肌を隠すのはレース仕立てで装飾性の高い黒い下着。
「あ……」
艶めいた雰囲気を演出する色気ある下着。
色っぽくていいな程度の軽い感覚で身に着けていたそれが、どう見えるのか、どう見られるのか。それを意識させられて、羞恥に肌が熱を帯びる。
あらためて、シェリルの方へとちらりと視線を走らせる。彼女の下着は、白の正統派。さすが、聖女。
緩やかに波打つ豪奢な金髪が肌にかかる様と相まって、その下着姿は華のある艶姿となっている。
ひとつ深呼吸をして、動揺を収める。
「悪戯はよせ。さっさと脱げ」
「ん。せっかくの可愛い姿なんだから、下着とかもう少し色々着ない?」
「それは、またの機会にな」
こちらの下着のチョイスが気になっただけなのか、素直に言葉に従って自分の下着に手をかける姿を横目に、小さく溜息をつく。
生身の女性とふたりきりで、裸の付き合いだなどと経験がないのであまり心の余裕が無いというのに。
あまり、動揺を誘うような事はして欲しくないなと。
ゆらりゆらりと、温かな
「はー、落ち着く」
背後から耳元で響く声は、実にのんびりとしている。
背中に感じるのは、たわわな胸の果実がふたりの間で押し潰される柔らかな弾力。大きいと思ってはいたが、こう肌に触れて押しつけられているとその大きさを実感する。
だが、その感覚に興奮したり動揺したりする段階は既に通り過ぎていた。
湯船の中、シェリルの腕の中にすっぽりと抱え込まれたまま一緒に湯に浸かっているセラフィールドは、気力が尽きて成すがままに抱きかかえられていた。
最初は、女性と広くもない浴室に裸でふたりきりという状況。死地に赴くのとはまた違った種類の緊張があった。
意識的に目をそらし気味にしていたというのに、シェリルは遠慮なく構いたててくる。べたべた触ってくるし、胸を揉んでくるし。洗いっこしようと、全身をくまなく――途中、記憶が飛んでいる。洗いっこでなく、一方的に洗われ玩具にされたような曖昧な記憶はあるが。
どうにも、こちらの反応が初々しく可愛いなどとのたまって、機嫌がよくなっているのでこの精神的疲労も、ひとまずはよしとしよう。
そのように、自分に言い聞かせて崩壊していた精神を立て直して再起動をかける。
「ところで、聞き忘れていたが。連絡の取れるヤツは、この世界にいないのか? 取り巻きとか、結構いたと思うのだが」
「あっ……」
「あっ……?」
「わ、忘れてたーっ!」
思わずといった風情で声を張り上げるシェリルに、何をと聞いたらいけないのだろうなと溜息をつく。
背後でぶつぶつと言っているのは、たぶん《伝言》か何かで連絡を取っているのだろう。
やはり、自分たち以外にも誰かが来ているのは確実か。
単純に考えれば、最終決戦で落ちた誰かというあたりが妥当か。
「すぐに来るって」
「そうか。では、出迎えの準備をしないとな」
誰だろうかと記憶を振り返る作業を、シェリルの言葉を機に中断し立ち上がろうとしたところを腕を掴まれ、阻まれる。
「ん? 急がなくてもいいかもしれないが、賊どもの始末などする事はある。もう少し、湯に浸かっていたいというのなら――」
「あのね、もうちょっと可愛い服着た方がいいと思うの」
訝し気に、振り返りかけた声を、シェリルの笑顔と言葉が遮る。
「さっきの格好も、雰囲気あって悪くないけど。清楚な感じの服とかも、似合うと思うの」
あ、アニマルセラピーのアニマルさんは偉大だなぁ……。患者の心を癒すために、身を捧げているのだから。
精神的に立ち直ってはいるようだが、自分を可愛がり、構う事で立ち直っている。それはいいが、今度は着せ替え人形にされる予感にセラフィールドの目からハイライトが消えた。
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