第2話 ラストフォーリナー

 目覚めは唐突で、そして極めてクリアだった。

 ちょっと目を瞑っていただけという風に、あるいはスイッチをぱちんと入れて起動したという風に。

 ふと気づけば闇の中。

 唐突な意識の覚醒の割には、何の不調も感じられず。ただ、意識の連続性だけが不自然に途切れていた。

「ここは……?」

 一切の光の存在しない真の闇の中。視覚は役に立たず、背中に伝わる石のような硬い感触のみが確かな実在として認識できる。

 どうやら、どこかの床に横たわっているらしい。

「なにが、どうなって……」

 身を起こしながら、閉じていた目を開くように感覚を開き闇の中を見通す。

 身を起こす際に手に伝わる、ざらりとした感覚は砂埃だろうか。どうやら、手入れのされていない場所らしいと肌や服についたそれらを叩き落としながらあたりを見渡し。

「廃棄されたダンジョンといった風情だが、どこだここは」

 視界に映るのは石造りのダンジョン。それも、廃墟のごとく内装は機能しておらず、朽ちていて管理されている気配はない。

 手をのばせば、透き通るように白く美しい肌のたおやかな繊手が目に映る。胸元をまさぐれば、柔らかな弾力の豊かな膨らみがふたつ。

 つまりは、理想の異性として作成したゲーム内のアバターの姿のまま。

「死んだと思ったが、別のステージにでも転送された……か?」

 認識できる最後の記憶を振り返り、確かめる。

 ケルベロス・ゲートの守護者との戦い。支援役の『黄金の聖女』が落ちた事による均衡の崩壊。欠け落ちていくこちらの戦力。

 そして、相討つ形での自分の死。

 意識が分解され、自我が削られていくおぞましい感覚と激しい頭痛。

 そう、アリス13の言葉通りに自分はヒトの脳に隠れていた構造的欠陥。あるいは、バグを突いた不可逆的な脳機能の破壊を受けたはずなのだ。

 だが、こうして意識は健在。それはつまり、脳は正常に機能している事を意味するはず。

 この矛盾を埋めるには、脳死させるというのは嘘で別のステージに転送していたというのが簡単だが、それだと何のためにと、行為の意味が分からない。

「……?」

 改めて、自分の手をしげしげと眺めてふと感じた違和感。

 とっさにインベントリから手鏡を取り出して――傍目には、何もない空間に手を突っ込んで取り出したように見えるが――自分の顔を確認し、驚きに目を見張る。

 鏡に映るのは、黒い髪の清楚系美少女。それも、極めてレベルの高い。

 それはいい。

 時間とか気合いとかを注ぎ込んで作った、自慢の一品というべきアバターの容姿なのだから。

 問題はそこではない。

 アバターの容姿は、しょせんゲームキャラの容姿であり。リアリティの追求はされてはいるが、リアルそのものではない。

 ポリゴンのキャラとリアルの人間の違いは、確かにあるのだ。その確かにあったはずの違いが、鏡に映る顔にはない。

「いや、待て。さっき、わたしは……」

 ふと気づく。

 何を当り前のように、自分は闇の中を見通しているのだろうかと。

 確かにゲーム内では、そういうスキルを持ってはいたが使うに必要なアクションをしただろうか? インベントリからのアイテム取り出しは、メニュー操作からが基本のはずなのに何を当り前に、空間に手を突っ込んで取り出しているのだろうか?

 意識してみれば、理解できる。

 自転車の乗り方を言葉で説明できないように、言語化はできないがゲーム内でのスキルをはじめとした能力類の使い方が理解できる。

 使える事が、理解できてしまう。

「いったい、何がどうなっている?」

 感じたのは恐怖というより、困惑。

 自分は、いったいどういう状況に置かれているのか。それがまったくわからず、いきなり未知の状況に放り出されて、若干の不安とそれを上回る理解不能の状況に対する混乱。

 『黒の殲姫』セラフィールド。ゲーム内でそう呼ばれた少女は、ただ呆然と闇の中に佇んでいた。



「地上は夜か」

 いつまでも呆けてはいられないと、気を取り戻し。手持ちのリソースを確認しながら、寂れたダンジョンの出口を目指して上へ、上へと歩いて辿り着いた出口。

 振り返ってみれば、半ば崩壊した神殿を思わせるかつては荘厳であっただろう建築物がそびえたっている。途中見かけた戦闘の痕跡などと合わせて考えれば、攻略されて放棄されたダンジョン。あるいは、戦争などで被害を葬り放棄された軍事施設。

 途中の通路の構造や大きさを考えれば、人間かそれに近しい身体構造の知的生命の手によるものだろう。

 ダンジョンとして見れば、枯れたダンジョンと言える。モンスターがいた痕跡はあったものの生き物の気配はなく、トラップの類も機械式と魔法式の双方が確認できたがまともに機能していたのは魔法式がいくつかといったところ。

 トラップの探知や解除に使えるスキルは無いとは言わないが、専門クラスと比べると危うい。ならば、かかる事を前提に召喚して前を歩かせていたスケルトンやゾンビなどが予想以上に残ったあたり、ここはトラップのメンテナンスもされず放置されてた見るべきか。

 もはや必要ないと召喚したモンスターを送還しながら、夜風に髪がなびくのを肌に感じつつ、空を見上げれば天空に燦然と煌めく圧倒的な数の星々。街の光に掻き消される都会では見ることのできない、思わず見惚れてしまうほどに美しい夜空。

 視線を地上に戻せば、生い茂る木々が視界を遮る森がすぐ目の前。

 灯りも持たずに夜の森に足を踏み入れるのは無謀とも言えるが、灯りを必要としない人外のこの身では夜の闇は障害にもならない。

 問題は、この森に潜む生き物がただの獣だけなのかどうか。

 この身が、ゲームのキャラクターそのままのスペックであることは確認済み。最後の戦闘で使用した消耗品のアイテム類は減ったままだが、残されたアイテムも使える事は確認済みだ。

 ファンタジー世界観のキャラクターとアイテムが普通に能力を発揮するのなら、この世界はきっとファンタジー的だと仮定して行動するのが無難。森の中に潜むモノが、獣だけでなくモンスターもいると考えて行動するべきだろう。

「ジェヴォーダン、頼むぞ」

 ともにダンジョンから抜け出してきた、牛ほどもあるサイズの漆黒の魔狼の毛皮を撫でて声をかける。

 ゲーム時代からの付き合いの長い使い魔であり、試した召喚に応えて現れてくれた時には実にほっとした。

 見も知らぬ異世界にひとりでいるよりは、使い魔でも傍らにいる方が精神衛生的にもいいし、実利的な面でも周囲の警戒などを任せたり、戦力として期待できるのは心強い。

 とはいえ、ここが異世界と仮定して。自分がここでどの程度の強さであるのかによっては気休めでしかないが。

「まあ、警戒して行動するには越したことはないか」

 呟きとともに、ずるりと足元の影から湧き出すように黒い猟犬たちが姿を現す。

 低レベルの召喚魔法である《ヘルハウンド召喚サモン・ヘルハウンド》で喚び出した地獄の猟犬どもは、雑魚と呼べるレベルだがその分コストが安く、数が呼べる。

 それに、夜闇に囚われず、鼻が効くので偵察用途には使い勝手がいい。

「先に行け。指示は追って出す」

 その内の一頭に感覚を繋ぐと、森の中を先行させて自分たちもゆっくりと歩き出した。



 それは森の中に設えられた粗末な小屋だった。

 元は、森の中に出入りする樵や猟師が利用するための仮宿だったのだろうそれは、無秩序かつ無造作な増築でいびつな外観を形成し、内部の音や光を漏らす隙間も多い。

 そして、今もまた内部から女性の悲鳴が響き渡る。

 その悲鳴を耳にして、ゴドーはゾクゾクとした興奮に思わず舌なめずりしてしまう。

 ゴドーは、冒険者崩れの盗賊だ。

 冒険者としての限界を悟って引退して、安易な道に転んで盗賊として生きる事を選んだ男だ。人格やら実力を真面目に評価したら、それほど高い評価を下される事はないだろう。

 掃いて捨てるような雑魚よりかは、何歩か抜け出したという程度の男でしかない。

 多少なりとも魔法が使えるという事で夢を見て、自分の才能の限界に挫折してしまった。そして、その事に自覚的であるがゆえに格上の才能を持つ相手への嫉妬が隠せない。

 そんなゴドーが組み敷いているのは、美貌の女。緩やかに波打つ金の髪は手入れが行き届いている事を示す艶やかさを保ち、豊満さを隠し切れない肢体を包む衣装も極めて上物の法衣。

 体も、体を包み飾る衣服も上物の女を組み敷いているのは薄汚い粗末なベッドというのが、綺麗なモノを引きずり堕とし、穢しているという背徳感を刺激する。

 そして何よりも、垣間見せた魔法の才は自分など足元にも及ばない圧倒的な実力。

 間違いなく、貴種の女。

 本来なら手が届くはずもなく、こうして組み敷くことなどあるはずがない相手。

 それを自由にできるという興奮が理性を蒸発させていく。

 敵意を剥き出しの強気の双眸が、征服欲を煽りたてる。興奮のあまり、引きちぎるような乱暴さで胸元を肌蹴させた時の嫌悪の悲鳴に頭が沸騰する。

「たまんねぇな、おい」

 肌蹴た胸元から見える胸の谷間の深さに、うまそうな白い肌にごくりと喉を鳴らしてむしゃぶりつく。

「嫌ぁぁっ! 離しなさい! 離しなさいよっ!」

「おいおい、落ち着けよ。暴れるのも、抵抗するのも勝手だが……助けたいんじゃなかったのか?」

 押しのけようとする腕を乱暴に掴んで、首筋をべろりと舐めあげ唾液の跡を残しながら耳元に囁くと、びくりと身を震わし抵抗がやむ。

 手が届くはずがない高嶺の花。力尽くで手にしようとしても、力で叩き潰されるがオチの相手。それを自由にできる手品のタネは、ありきたりな人質を取っての脅迫。

 ゴドーにしたら、理解の苦しむことに見も知らぬ相手のために自分の身を差し出したした女に内心で嘲笑を浴びせながら、髪に鼻をうずめ匂いを嗅ぐ。

「くくっ、いい匂いだぁ……。貴族の女は俺らみたいな底辺とは、匂いまで違うってか」

「くっ……」

 悔しげな、押し殺した呻き。それが、嗜虐をそそる。

「胸もでかいし、たまんねぇな。やらしい体だぜ、ほんとに」

 遠慮なく胸を揉みしだき、揶揄して――反応のなさに訝しく思って顔をあげれば、女は愕然とした表情で自分の背後を見つめている。

 獣欲に茹だっていた頭が、すっと一気に冷える。

 とっさに警戒とともに背後を振り向いて目にしたのは、こちらを興味深そうに眺めるひとりの少女。




 黒を基調とした衣装に身を包み、長く伸ばした髪も艶やかな黒。それらと対比をなすように肌は、透き通るような白さを見せつている。

 総体としてみれば、ひどく美しい少女だといえる。

 薄汚れた室内から場違いさのあまり浮いているその少女を目にした瞬間に覚えたのは、ぞくりとした緊張感と恐怖。

 ゴドーは確かに、人格や実力で評価すれば大したことがない小物だが、命の危険が日常的な冒険者稼業で五体無事に生き延びて、捕まらずに盗賊稼業もこなしてきたことは伊達ではない。

 それなりに頭は回るし、何よりも危険に対する勘が冴えていた。

 少女を目にした瞬間に、その勘が警報を鳴らす。飢えた獣が開いた顎に頭を突っ込んでいるような、振り下ろされる刃に首を差し出しているような。

 死線を踏み越える刹那にいる。そんな死の危険を告げる警鐘を、やかましいほどに勘が鳴り響かせる。

 意識するよりも早く、組み敷いていた女を突き飛ばし。傍らに置いていた剣を一動作で抜き放ち、少女の首を刎ねる。

 余計な意識が抜け落ちたそれは、生涯で最速にして最高の一撃だったと言える。

 そして、最悪の一撃だったとも。

「あぁ……。実にわかりやすい」

 首を刎ねられたはずの少女が、何事もなかったかのように無傷の首筋を撫でて微笑む。

「ひょっとして、そういうプレイの最中なのかとも思っていたが。やはり、違っていたようで何より。では、眠れ」

 勘が死を目前にしているとうるさいほどに警報を鳴らした相手に、攻撃し敵対してしまったと認識が追いついて恐怖に背筋を凍らせたゴドーの意識は、少女の命ずる言葉とともにふつりと途切れて消えた。

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