夏・3話
ギターケースの重さが、今日はやけに肩に食い込む気がした。
「おーまえさー、なんであそこのソロミスんだよ」
「仕方ないでしょ、ナベは上がり症なんだから」
「三年だぞ、三年目。お前も少し貫禄ってもんをなあ」
「反省してるけどよ、元はと言えばムリっつってんのに押し付けて来たのは舟山、お前だろ」
「……そこをつかれると文句は言えない」
「貫禄、ないなぁ」
「うっせえ」
地元の小さいライブハウスの帰り道、誰が言い出すともなくラーメン屋へと向かう。
もう、高校と同じくらい通い慣れた道だった。
対バンのやつらへの文句、最近のCD売り上げの文句、多すぎる夏休み課題への文句。口を開けば愚痴しかこぼれない。
―――だからバンドなんてやってるのかもな、と彼は自嘲的に考える。
「―――って先輩はいうんだけどさ、どう思う?」
「…あ、悪いわるい、聞いてなかった」
「ギター君、 しっかりしてよ。だから、バイト代を本体に突っ込むならまず足下揃えろってハナシ。と言っても僕はベースだよ?」
「そうなぁ、」
これから演る曲次第じゃないか、と続けそうになったのを飲み込んで
「っつーか好みの問題だろ。お前が今の幅で満足してんだったら良いヤツ買った方がいいんじゃないか」
「分かってたけど、頼りにならないコメントだなあ」
ははは、と空っぽな笑い声が響いた。
彼はネギラーメン。ダイちゃんは普通のラーメンと煮卵。舟山は濃い目のラーメンに半ライス、ナベは餃子のセット。
いつもと変わらない店、いつもと変わらないメニュー、いつもと変わらない席。外と大して変わらない温度をぬるくかき混ぜる古ぼけた扇風機までも、いつも通りだった。
しかし、自販機で買った半券をカウンターに乗せてラーメンを待つ間、今までの会話を断ち切るような強さで舟山が言った。
「まぁ、さ。なんやかんや言いつつも、結構いいカンジに
一瞬だけ、会話が途切れた。
「……そうだなあ、金曜だったし、俺ら目当ても30人くらい来てたじゃん。最高記録だぜ、今までの中ぶっちぎり。それにここだけのハナシ、塾でバイト入れなくなってたから助かったよ」
「今日は大体一人アタマ2000円で済んだのかな。ていうか塾とか言わないでよ、今日だって親に模試受けるって言ってここ来てるんだから」
「どこの世界にギターケース担いで模試受けに行くヤツがいるんだよ」
「あー、昨日俺んちにベース持ってきたのそう言う訳か」
「なんだ、お前ナベ家泊まってたのか。おれも誘ってくれよ」
「昨日電話したけど出なかったじゃん」
「んー……多分寝てたな、ワリ、俺のせいだ」
「お前、このザ・夏休みを寝て過ごすなんてもったいないやっちゃなー」
「ザ、ってなんだよ。ザ・夏休みって。あったま悪そうなバンドの名前みたいにしやがって」
「アコギががんばってそうなバンドだね」
「いやいや、いいじゃないか、ザ・夏休み。theは定冠詞で、たった一つのものにしかつけられないって言うだろ。だからザ・夏休みであってんだよ。同じ夏は二度と巡ってこない。特にこの夏はな。the 夏休み。ぴったりじゃないか」
この中で英語トクイなのは俺だけかい、と続けた舟山の声は、沈黙で迎えられた。
そう、そのことばは、あまりにぴったり過ぎたからだ。
「最後の夏、か」
誰かがぽつりとそう呟くと、後はラーメン屋の喧噪だけが残った。
彼は固めの麺をすすりながらぼんやりと思い出す。
中学二年生、いとこのサキ姉から貰ったオンボロのエレキギター。白い型落ちのテレキャスで、弦は錆びてたしピックアップなんか半分取れかかっていた。けれど、それは、世界で一番輝いている道具に見えた。
たまにサキ姉のアパートに習いに行って、部活から帰ってきてはコードを覚えて、教本なんかを立ち読みして。毎日、指が固くなっていくのが喜びだった。お年玉と貯金をはたいて買ったアンプに繋いではじめて大きな音を出したときには、ちょっと涙が出たのを覚えてる。
必死で勉強して入った念願の高校。フォークソング部、とカンバンが出てる古い教室に入ったときには度肝を抜かされた。全員が全員自分の音を主張しているからあり得ないほどうるさくて、短い会話をしようにもいちいち叫ばなくちゃいけない。先輩たちの演奏に圧倒されたすぐ後だったっけ、こいつらに会ったのは。バンドで音を合わせる難しさとか楽しさとか。一番最初にステージあがった時、真っ青に緊張して声が裏返ったのを何度からかわれたことやら。学園祭、ライブハウス、ナベんちで徹夜して曲考えて。あいつがフラれたときは笑ったなぁ、いきなり切ない路線のラブソングだもの。そんなこんなで気付けば先輩にくっついてた俺らが文化祭のトリ演って、後輩に涙ながらに見送られて。舟山なんて普段あんな態度してんのに大泣きだもん、そりゃ後輩も驚くわ。なのに、親には部活のメンツでどうしても行かなくちゃなんて言い訳して、今日まで頑張ってきた。
ラーメン屋からの帰り道。横に広がってのろのろ歩き、何を買うでもなくコンビニで涼み、くだらないことをだべってみても、ついにこの時は来てしまった。
彼は下りの電車で、ナベとダイちゃんは上り、舟山は普段はバスだが今日はぶらぶらと歩いて帰るという。
「よっしゃー次集まるのいつにするか」
「あれだよ、二十日の花火。みんな大丈夫?」
「おっけー」
「あー俺その日だめだわ。午前中の祭りだけなら顔出すけど」
「シケてんなー、じゃぁま、そのうち会いましょ」
「うーい」
「それじゃ、またな」
「うん、じゃあね」
「お疲れさん」
四つの長くのびた影は、ゆっくりとそれぞれの方向へ分かれていった。
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