狂乱の晩餐会

 世界一の化物狩人シアハンマー・コッキンレバーの来仏を下民層向け新聞紙エマーブル・フォーブリアンが、いち早く大々的に報じました。


 四柱の異教の神々、幾つかの国境、無数の怪物をほふった流離さすらい化物狩人ハンターシアハンマー女史。彼女が狙う次の獲物や如何いかにと…………

 

 シアハンマー女史は記者からの問いにこう答えます。


「アタシがこんな騒乱ばかりの陰気な国に、遠路はるばる来てやったのは質面倒な獲物やろうを追ってのことだ。でけえ犬コロ弾きに来たわけじゃねえよ。獲物やろうの名はサン・ジェルマン、不死を手に入れた吸血鬼の貴族様よ」


 かつてのヨーロッパ社交界において、知らぬ人は居ない怪人物それが、サン・ジェルマン伯爵です。

 

 しかし、サン・ジェルマン伯爵が亡くなったのはおよそ百五十年も前のこと。


 にわかに信じがたい応答はこう続きます。


「一年前にあったバチカン公会議で不死者の一斉断罪が決まっちまった。つまりはが不死者とやらをお許しにならない。なので教皇様にサクッとソイツらを刈り取ってこいと命を受けたって訳だ。そしてアタシの耳は、スペインである噂を拾ったのさ。サンジェルマンは吸血鬼になったとな」


 その吸血鬼は度重なるまつりごとの混乱に乗じて、フランスに潜伏しているとシアハンマー女史は語りました。

 極めて胡乱うろんな内容ですが、世界一の腕利きがそれを語るとなると、信憑性の程がいくぶんか増します。


 吸血鬼サンジェルマン伯爵狩りの動向に、フランス中の人々の耳目じもくが集中するまで、それほど時間はかかりませんでした。


 * * * * *


 晩餐会に話題の有名人シアハンマー女史を招待することが、今の社交界ではステータスにほかなりません。


 晩餐会の価値は誰に招待されるか、誰を招待するかで決します。


 今晩シアハンマー女史を招くとあって屋敷の使用人は皆、色めきたちます。


 コック達は腕を振るい贅を尽くした料理を仕上げ、給仕達はテーブルに並ぶ食器に曇りが無いか確認すべく磨き上げます。


 通例の晩餐会にはない異様な熱気がありました。


 かくして晩餐会の準備は十全に整います。

 

 めいめい着飾った来賓の歴々が貴賓室に集い歓談に勤しみ主賓の到着を待ちます。


 そしてシアハンマー女史はやってきます。


「待たせたな諸君」


 貴賓室の入り口に立つ私の腰に手を回しながら続けます。


「主賓様の登場だ喜べ」


 いきなりのことで体が強張ります。


「ところであんた何処かで会ったな……アタシのちっせぇ脳味噌があんたの名前を思い出すまで、ちいとばかし待っちゃくれないか」


 シアハンマー女史が私の腰を引き寄せると顔を覗き込んできます。

 反射的に身を引いた私は体勢を崩します。


「取って食おうってわけじゃねぇ大人しくしろっての」


 


「おっと危ねぇ」


 シアハンマー女史は空いていた右腕を私の後頭部に沿わせます。

 とっさの抱擁が転倒を防ぎましたが、いっそ衆目で転び恥をかいた方が気が休まると感じます。


 猛禽もうきんの如き鋭い眼光、夕日の茜色を思わせる腰まで伸びた赤い髪、側頭で輝くルビーが嵌った銀の髪飾コーム、日に焼けた茶色い肌はショコラショーのよう、鼻を突くほどの麝香ムスクが振りまかれた焔の赤を織り込んだようなレッグオブマトンスタイルのドレス、緩く巻かれたジェヴォーダンのショール。


 見め麗しい怪物狩人の正装が眩し過ぎて目をそらそうとしますが、シアハンマー女史に頭を虎鋏とらばさみのように捕らえられておりままなりません。


「そうだこの犬ころをばらした時にいただ。ダフネさんだったな」


 ショールの端をひらひらと揺らしながらシアハンマー女史は問います。

 言葉がうまく出ず私は小さく肯くことしかできません。

 不意に私の腕を誰かが引き寄せシアハンマー女史の抱擁を解きます。


「ごめんあそばせコッキンレバー様、わたくし侍女メイドが見苦しいところをお見せして」

 

 姫様ひいさまが助け舟を出してくれました。

 なんと情けない猛省せねば。 


「見苦しいなんてとんでもねえ。今宵はお呼びいただき恐悦至極…………」


 ドレスの端をついと摘まみあげシアハンマー女史は深く礼をします。


 こうして宴は始まりました。


 * * * * *


「調子はいががですかな」

「最近サトウキビ畑を広げたのですがね。新たな奴隷が渡航中に半数以上も死んでしまって。いやはや参りましたよ」


 晩餐会は立食で行っているため、給仕の間に間にお客様の談笑が自ずと耳に入ります。

 相手の懐具合を探り、弱り目を見つけ悦に浸るそんな、高いところから人を動かす者特有の鼻持ちならない視座がそこにはあります。 

 

「あんたもしかして調香師か?」

 シアハンマー女史を囲む人垣からも談笑が漏れ聞こえます。

「ええ。いかにも。調香師のズィビトと申します」

「嘘こけ」


 シアハンマー女史の呟きと共に、人垣から喧噪がサッと取り払われます。


「————おのれ狩人」


 シアハンマー女史の右手に仕込まれた暗器の刃が調香師の胸に突き立っていました。

 ジェヴォーダンの獣を撃ったのち口上のあと止めに使われた

 調香師の背中を貫通した銀製の刃は、く熱したフライパンで食材が転がされるようなぜ音をあげながら、刀身を覆う血肉を霧散させています。


「アタシの初手でコイツを使わせたのはアンタが初めてだサンジェルマンさんよお」


「莫迦が狩人」

 胸に突き立つ狩人の腕を握り、口元から滂沱ぼうだのの血潮を滴らせ吸血鬼は語ります。


「俺が撒いた種はな……この躰が朽ちると芽吹くのだ————————」


 がくりと項垂れる吸血鬼。

 そして、悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴の大合唱。

 宴に集ったお客様は皆、膝を地につき頭を抱え絶叫します。


「そいつは重畳ちょうじょうだ! お前ら鼻持ちならねえ成金どもをぶっ殺したいと前から思っていた!」

 手刀を骸から引き抜き舞のようにその場でターン。遠心力でスカートが捲りあがると、腰枠クリノリンを引き裂き腿にバンドで巻かれた無数の投げナイフを左手のみで次々と投擲。

 先程まで貴族にんげんであった方々の脳天にずばばとナイフが突き立ちます。


 いけない。

 このままでは。

 姫様ひいさまが————


「なあダフネさん仕事熱心なのは非常に感心だが、アタシの仕事を邪魔する道理にはなんねえぜ」

「なりません! それだけは!」

 私が咄嗟に庇った姫様ひいさまは胸の中で手負いの獣よろしく暴れます。


「そんなことしてっとあんたの首に巻いてるロザリオが泣くぞ」

「神に背いても私は構いません!」

「参ったね人を殺めるのは趣味じゃないんだが————」

 

 刹那、姫様ひいさまの感触が消えました。

 そしてガラスの割れる音。


「クソがしくじった」



 恐る恐るおもてを上げると、右肩を左手で押さえるシアハンマー女史の姿がありました。


「アタシの奥の手ごとかすめるたあ大した獲物やつだなサンジェルマン」


 なんとシアハンマー女史の右肩から先は喪われています。


「あんたの元主人に盗られちまったよアタシの右腕」


 奇妙なことに腕をもぎ取られたであろう右肩からは出血がありません。


「こんな状況で悲鳴の一つもあげねえのなアンタ。良い肝持ってんじゃないかよ」

「はあ……ありがとうございます……」

「……そうさな……アンタの元主人はだ……アタシの腕をぎって逃げちまった訳だわかるか」

「それはどういう」

「つまりなダフネさんは職を失った、アタシは商売道具をダメにされたってことだ。おたがい死んだも同然ってことよ」

「はあ……」

「あんましピンときてねえみたいだな。いきなし無茶を言って悪いがよ。ダフネさんアタシの弟子みぎうでに今からなっちゃくれねえか」

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