第5話:事情
「ただいま」
「あらカノン、おかえり」
控えめに家の中に響く鈴のような声に、
「街中で大量の武器……怖いわねぇ」
母は新聞の内容を
テロ計画でも立てられているのだろうか。その現実味のないニュースから意識をそらし、彼女は二階への階段を登る。
それから、すぐ横にある自室のドアを開けた。
荷物が入った肩掛けバッグを入り口横の物掛けに掛ける。
それから、胸に付いた金のブローチを一瞬躊躇ってから外し、バッグの中に詰め込んだ。
私服の最上部のボタン一つを外して、彼女はベッドにぽすっと倒れ込んだ。
白く柔らかな枕を掴んで彼女は考える。
(なんか……変だったなぁ)
嬉しい、というよりも突然の変化による困惑と、これからへの不安の方が強かった。
(嫌われてないかな、変なこと言ってないかな……大丈夫かな。不安だな)
ちょっと自分の言動を思い返してみると、少しばかり不安になってきた。
いきなり、今まで見たことのないような人間と友人になって、彼女は疲れを感じていた。
ぐるり、と布団の上で転がる。
視界の端に見えた白い翼の先っぽを自分の手で
(スイルさんは、セレストでもない普通の天人族みたいだったな)
私もそうだったらいいのになぁ。
そう思いながら、彼の顔を思い浮かべた。
そうすると、なんだか胸の中にもわもわした何かが溜まっていくような感覚があった。
あの笑顔や恥ずかしげな顔が浮かんでは、消え。
「……いやいや、まさか」
そりゃ、いい人だったけど。
二日で? と自問自答をする。
しかし、そういえば長らく男子の友達なんでできていなかったなとも思う。飛べない、ということが知れ渡ってからは、カノンは随分孤独になっていた。
「一旦、忘れよ」
彼女はかぶりを振って、まずは明日の約束のことを考えることにした。
一度、勉強のことと家のことは忘れて、昨日描いた絵と、自分自身が絵について考えていることをまとめることにした。
◇
翌日、彼女は学校に行った。
朝食は食べてきたが、パン一つにジャムを塗って食べただけで、家族で食事を摂るようなことはなかった。
昼食や夕食は家族で食べることもあるが、どこか沈んだ空気であることは否めない。
そんなことはどうでもよくて、彼女にとって重要なのは、今日の学校が何事もなく休み時間まで進んだことだった。
昼休みの時間になった頃。
いつも通り昼食は適当に済ませ、彼女は校舎の脇にある庭で、スケッチブックと鉛筆を手に絵を描いていた。それは学校から支給されているものだ。
ちら、と周りを見て誰も居ないことを確認してから、お気に入りの歌の歌詞を口ずさむ。
「雨雲だって仲間なんて言ってたいんだ――〜♪」
その小さな歌声は、庭の隅から風に乗って流れる。
透き通っていて、音程もほとんど違えていないとても綺麗な歌声だった。
彼女が被写体――空と校舎を見るために顔を上げると、吹き抜けになった連絡通路を歩くスイルと目が合った。
他の男子生徒と
それに気づいて、カノンもひらひらと手を振る。
「……聞かれてないよね」
彼女は一人呟いた。
――
――――
それからしばらくすると、またスイルがやってきた。
彼女が目的だった、というよりは歩いている途中にたまたま居たから寄った、という感じらしい。
「カノンさん、歌も上手いんだね」
「……聞いてたんですか」
「うん、バッチリ聞こえてたよ」
いたずらっぽく笑うスイル。
一応距離はあったはずだが、風の流れが悪かったらしい。
「なんでそうタイミングが悪いんですかね……」
カノンはふくれた。
「あははっ! でも、本当になんでもできちゃうんだね。やっぱり凄いなぁ」
ちょっぴり、本当にちょっとだけ悲しそうにスイルは笑った。
「……いえ、私は飛べませんし」
空を眺め、独白のように呟く。
それは実際に自分がそう思っているということでもあり、彼の悲しそうな顔が一瞬でも見えてしまったから、謙遜した方が良い気がしたのだ。
「確かにできないことはあるかもだけど、できることだって沢山あるでしょ? 僕は凄いと思うよ――僕は何もできないから」
一瞬目を伏せる。どうやら、先程の言葉は逆効果だったらしい。
どう声を掛けるか悩んでから、彼女は訊いた。
「……何もできない、ですか」
「うん。絵だって下手だし、歌も無理。勉強だって、まあ赤点ってほどじゃないけど、良くはないよ」
となると、カノンは両親からの圧力もあるのではないか、と考えた。
「ご両親は、特に?」
「ん? 別に何も。頑張ってって応援してくれるし、背中は押してくれるけど……全然ダメだから、申し訳ないね!」
言いながらも、彼は面白そうだった。
それを聞いて、そういえば自分がセレストだから期待を掛けられているだけで、他の家がそうとも限らないんだった、ということを思い出した。
「あ、でも市長の次男って立場だから、親からはないんだけど周りの期待はあるかなぁ……そっちがちょっと面倒かな」
スイルは笑った。そこにはあまり感情は乗っておらず、多分純粋に邪魔だから居なくなって欲しいだけなのだろう、とカノンは勝手に思った。
しかしそれにしても、とカノンは考える。
「市長の息子だったんですね……」
スイルも普通の家庭に生まれたというわけではなかったらしい。
「うん、次男だけどね――そういえば、カノンさんの両親は? 結構凄いところだったりするんじゃないの?」
若干期待を込めた目をカノンに向ける。
少し怖気づくが、その視線も慣れてはいる。
髪色は普通だが、金色の瞳と白い翼が目立って、貴族と勘違いされることが多いのだ。
「いえ、父は新聞社で働いてますが、それくらいです。母も普通です。親からの教育は丁寧だったそうですが……」
「へぇ、そうなんだ……貴族だったりするのかと思った。所作とかも丁寧だしさ。教育方針みたいなのはあるの?」
「私は……最近は『セレストとして飛べるようになってくれればいい』とだけ。昔は芸術も学べと言われましたが。最近はそれだけです――結局私は、いつまで経っても何もできないままですが」
訊かれて、少し迷ってから彼女は答えた。
「ごっ、ごめん。なんか変なこと聞いちゃったね……」
悲しげに目を伏せるカノンに、慌てながら謝るスイル。
それを見て、カノンはハッとする。
「い、いえ。私も変なことを言ってしまいましたね。私は大丈夫です――飛べない私が悪いわけですし」
カノンは自嘲するように薄く笑った。
「……そっかぁ。でも、カノンさんは十分色々してると思うけどね。絵だって上手いんだし」
困ったように笑うスイル。
「私は――それより、スイルさんだって、謙遜していますが本当はすごく上手かったりするんじゃないでしょうか」
カノンはずっと自分の話題をされているのがなんだか気持ち悪くて、話題を変えた。
「……君ほどじゃないよ? じゃあこれ――はい、証拠。見ていいよ」
ふくれたように言ってから、彼は自身のバッグからスケッチブックを取り出した。
「いいんですか? ……ありがとうございます。では見させていただきます」
「丁寧だなぁ」
苦笑いを浮かべる。
カノンがそれを見ると、確かに自身のそれと比べると劣っているように見えた
鉛筆で描かれた空の絵だが、一部線が曲がっているし、陰影の表現も違和感のある箇所がある。
しかし、そこまで酷いようには見えない。
生徒の平均より少し下、といったところだろう。十分及第点ではある。
「……別にこれでも全然いいと思いますよ。はい、ありがとうございました」
カノンは考え込みながら、スケッチブックを返した。
自分と比較して、という部分は言わなかった。なんというか、自分は凄くないはずなのに、一瞬でも自分より劣っていると思ってしまったことにとても違和感を感じたのだ。
「みんなそう言うけどさ、僕はめちゃくちゃ頑張ってこれだからさ――ちょっぴり悔しいんだ」
そう言う彼の顔には悲しさがにじみ出ていた。
「そう、ですか……すいません」
「ああいや、謝らなくていいって――なんかごめんね、嫉妬してるみたいで。でもそういうわけじゃないんだ――僕は、絶対君みたいに上手になってみせるって思ってるから」
彼はキラキラした、けれども確かな意思の宿った瞳で、あの空の向こうに手を伸ばした。
カノンから見ればその手はまるで、あの太陽にまで届いてしまいそうに感じた。
カノンにはそれが眩しくて、少しだけ羨ましかった。
――だけど、それを口にするのはおこがましいことのように感じて、口には出さなかった。
「凄いですね。あなたなら、いつか届くと思いますよ」
私には、無理ですが。
言葉を飲み込んだ。
「ありがと」
スイルが笑うと同時、鐘の音が鳴り響いた。
時計塔のものではなく、学校のものだ。
「あ、もう戻らなきゃだね。それじゃあバイバイ」
「はい、さようなら」
彼を見送ってから、彼女も教室に戻るべく立ち上がった。
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