第4話:スイル=ラークル
しばらく時間が経って、休み時間。
カノンは騒がしい教室の中、静かに窓の外から景色を眺めていた。
昼間の活気に溢れる街を見て、どこか一人取り残されてしまったかのような感覚に陥る。
(いっそ、翼なんてなければよかったのに)
なければ、特異な扱いを受けることも、期待されることも、そして飛ぼうなんていう無謀なことも考えなくて済んだのに。
彼女は思考を振り切ってから、まず昼食をどうにかするべく、肩掛けのバッグだけ持って街の方で何か買ってくることにした。
学校の運営する販売所はあるのだが、いかんせんメニューが少ない。
「あっ、こんにちは。カノンさん、だよね?」
声を訊いて、彼女は振り返る。
そこに居たのは、スイルだった。
そういえば忘れていたが、カノンは彼に会うためにもここに来たのだった。
「あなたは昨日の……こんにちは、また会えましたね」
「だね。というか、やっぱり同学年だったんだ。絵の件、頼んだよ」
すると、彼は微笑みながらカノンに言い放った。
半ば流れで決まってしまっただけなのに、よく覚えているものだ、とカノンは思った。
「……まだ覚えてたんですね」
彼女は目を逸らして呟いた。
正直なところ、彼女は約束が嫌いだった。
なぜなら、生まれたときからしている『いつか飛んでみせる』という約束を、未だに達成できていないのだから。
「これからご飯食べに行くところ?」
「はい。私は弁当がないので、買いに行くところです」
「そうなんだ。じゃあ一緒に――い、いややっぱりなんでもない」
彼は言いかけてから、急に目を逸らした。
「どうしました? 私は別にいいですが……」
しかし、自分で言いつつ、カノンは自分の口から出てきた言葉に驚いた。
(――私、いつもはこういうのも断るはずなんだけど)
彼女は、どちらかといえば一人の方が好きなタイプだし、まして初対面であれば、長く居るようなことは避けるはずだった。
「そう言ってくれるとありがたいんだけど……前に距離の詰め方早すぎるって女子に言われたことあってさぁ、なんかよくないかなって」
うんうん悩みながら言うスイルを見て、カノンは彼の今までの言動を思い出した。
確かに、距離の詰め方はかなり早いと言えるだろう。
「確かに、早い方なんじゃないでしょうか。それに、人によっては下心があると思ったり――いえ、私自身がそう思っているわけではありませんが」
「……うーん、ならやっぱりやめた方がいいよね?」
スイルはがっくりとうなだれた。
だが正直なところ、彼女は彼の言動に何一つ違和感や嫌悪感など抱いていなかった。
彼が純粋であったのもそうだろうし、今彼が改善しようとしているように、自信を
「でも、そういうのが好きな人も居ると思いますよ。別にいいんじゃないでしょうか?」
「うーん、そういうものかなぁ」
彼は困ったように考え込んだ。
「でもさ、やっぱりほら、異性同士じゃん? てなるともうちょっと考えたほうが……みたいな?」
すると、それから彼はどこか恥ずかしげにしながら頬を掻いた。
「そうですか? 私は別になんでもいいですが……」
カノンは小首をかしげた。
さらに、妙に自分の顔に釘付けになっているスイルを見て顔をしかめる。
「……なんでしょう?」
「いや別に、そういうんじゃないから。うん」
顔をそらしては居るものの、耳は未だに真っ赤だった。
一瞬考えてから、ようやくカノンは感づいた。
少し見惚れていたんだ、と。昔はそういう視線にさらされることも多かったし、気づくことができた。
「あ、そういうことですか」
「べ、別になんでもないからね⁉」
必死に叫ぶスイルが面白くて、カノンはくすくすと笑う。
「すいません。なんでもないです――でも、案外可愛いんですね」
半目で睨むスイルを見ると、カノンはさらに面白くなってきてくすくすと笑った。
カノンは最初、彼のことを初めて会ったときは元気一杯で優しい男子、と思っていたのだが、案外
そう思うと少し面白くなってきた。
「かっ、可愛い……別に男で可愛いって言われても嬉しくないんだけど」
「あははっ! じゃあなんでもないですよ」
恥ずかしそうにするスイルに、カノンはいたずらっぽく笑った。
「それで、結局ご飯の方はどうしましょうか?」
「そ、そうだったね。実は下の露店の方に、学校向けって言ってご飯出してる人が居てさ。それが美味しいから行こうよ。串肉とパンとかだったかな。串肉は美味しかったよ」
まだ少し赤い顔のまま、彼は提案した。
「そうなんですね。じゃあ行きましょうか」
気がつけば、授業であった嫌なことも、もしかしたら自分を嫌っていたかもという不安すらも消え去っていた。
◇
二人は、街の外のベンチで買ったものを食べていた。
どちらもとり串は頼んでいて、他にはカノンはサンドイッチ、スイルはホットドッグをそれぞれ頼んでいた。
「……黙々、モグモグ」
沈黙を破るようにして、やけに真面目な顔でスイルが呟いた。
「あ、はい」
「一番困る反応やめて」
「……だって、こっちだって反応しにくいんですからしょうがないでしょう」
カノンは不満げに返す。
「そう言われたら反論できない」
言葉に反して楽しそうにしているスイル。
しばらくの間、沈黙が流れた。
(そういえば、私のこと本当に知ってるのかな。飛べないこととか、学校のこととか)
消えたはずの不安が、また少し湧いてきた。
カノンは、意を決して聞いてみることにした。
「あの……私のこと、知ってるんでしょうか? その、セレストである私のこととか、学校でのこととか」
まだ少し勇気がでなくて、曖昧な質問をしてしまう。
「セレストである? 学校である? 変なこと聞くね……知ってると言われても、具体的に何がというのが分かんなくて」
困ったような顔でスイルは頭を掻いた。
「……セレストなのに、怖くて飛べないこととかです」
少し言葉に詰まり、目を逸らしながらカノンは答えた。
「ああ、それなら知ってるよ。あっ、じゃあ学校のことというと……ちょっとまばら登校なこと? まあ確かに普通じゃないけど……わざわざ突っ込むのもよくないかなと思ったから、別にって感じ」
「そう、だったんですか……」
カノンは若干困惑しながらも、手元のとり串の最後の一つを食べきった。
サンドイッチはまだ少しだけ残っている。
本当に何もなかった。スイルからの反応は。
もしかしたら、嫌われているかも。もしかしたら、知らないだけなのかも。
なんだか水底から水面に上がってきて、体に掛かる圧力がなくなったかのような、そういった解放感があった。
「あそうだ、結局絵の話してないじゃん」
スイルははたと気づいた。
「あ、そういえばそうですね」
なんだか拍子抜けして、ちょっとだけ間抜けな言葉を返してしまう。
「まあいいや。それじゃあ今日の、最初会ったとこで七時集まる……とかでもいいかな?」
「あ……いや、できれば明日にお願いできますか?」
少し悩んでから、答えた。
なんだか今日は色々なことがあったし、さらに色々なことに気を使いすぎて、疲れた気がしていた。
「うん、いいよ。あ、もう食べ終わったみたいだし、そろそろ戻ろうか」
スイルもカノンも、もう食べ終わったようだ。
「はい」
カノンは薄く笑って、スイルに続いて立ち上がった。
――こうやって誰かと二人きりで話すのは、どこか懐かしくて、嬉しいような気がした。
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