第2話:才能
「だっ誰⁉」
カノンはキャンバスを声の主から隠して、後ろを振り返る。
「うわぁびっくりした!」
カノンと同じように、そこに立っていた少年は飛び跳ねて叫んだ。
「こっちがびっくりしてるんですよ!」
「じゃあ結局どっちもびっくりしてるね!」
「そっ……まあそうですね」
面白そうに声を上げる彼に、カノンは言葉に詰まりながらもそう返した。
「そこ納得しちゃうんだ……」
「……そ、そこはどうでもいいでしょう!」
「あははっ! 君、面白いね!」
恥ずかしくなってきて、若干耳が熱くなるカノンに対して、彼は面白そうに笑う。
「だから! ……はぁー、それで、何か私に用でもあるんですか?」
驚き目を丸くする彼に、若干恥ずかしさがこみあげてきて、誤魔化すようにそう訊いた。
そんな彼は金色の髪に、優しげな光を宿した緑色の瞳をしており、髪の上にはこの街のシンボルリーフでもある翼が彫られた緑の髪留めが光っている。
まだ若干幼さの残る顔立ちからして、彼女と同年代程度だろう。
「いや、単純に絵が上手いなって思って気になっただけ。特に意味はないよ」
彼は言いながらも、一瞬カノンの顔に見惚れてしまう。見覚えがあったのもそうだが、その容姿に惹かれたのだ。
天性のものであるその白銀の翼に、母親譲りの金色の瞳と整った顔立ち。
「そうですか……なら良かったです」
カノンは、ふぅと一息つきながら、水彩画具一式をベンチの上に置いた。
「セレストの人って、絵も上手い人多いし凄いよね……英才教育? ってやつなのかな?」
「……まあ、そうですね。他の方は分かりませんが、私は結構色々なことを学んでいます」
彼女は、母や父から様々な教育を施されていた。
一時期は家庭教師も呼んでいたし、作法なども学ばせていた。カノンは本当は嫌だったが、結果を出した時に褒めてもらえるのが嬉しくてやっていたのだ。
だが、それも飛べないことが判明し、さらに精神状態が不安定になったことで段々とやらなくなっていってしまった。
「やっぱり! この絵も凄いしさぁ。上手くなるコツとかあるの?」
「……いえ、まず私はそんなに凄くないと思いますよ。上手い人と比べたら全然です。なので、もっと上手い人に訊いた方が良いと思います」
彼女は遠い空を眺めながら、小さく笑った。
すると、彼は顔をしかめた。
「……十分上手いでしょ? 自分の実力はちゃんと認識しなきゃ駄目だよ」
「私は、本当に自分のことだと思って――いや、その、ごめんなさい」
カノンは言い返そうとしたが、彼の不機嫌そうな様子を見て目を伏せた。
何かは分からないけれど、怒らせてしまったのだろうと思うと申し訳なくなったのだ。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……とにかく、別にいいよ。今のは僕が悪い」
スイルはバツの悪そうな顔を浮かべ、慌てて謝った。
「そうですか? ……そうだといいんですが」
彼女はまだ確信に至らないまでも、少しは胸のざわつきが収まったようだ。
「それに! こういうのって、同年代の人から教えてもらうのだと気楽っていうのはあるよね。十分上手いと思うし、教えて欲しいかなって」
「それはまあ……確かに、あるかもしれませんね」
カノンは渋々ながらも納得する。
「でしょ? じゃあ教えてもらってもいい?」
「まだやるとは言っていませんが?」
無理やり押し通そうとするスイルを半目で睨む。
「乗らなかったか……」
悔しげに拳を握るスイル。
「――それに、もし上手いとしても、私が満足していないません。そんな状態で人にものを教えたくないです」
彼女は俯きがちに答える。
「……そう? 僕は凄い実力あると思うけどなぁ。だってほら、これよくできてるでしょ」
彼は言いながらその絵を掠め取った。
「あっちょっと勝手に見ないでください!」
「特にこの空。街の構造物との境目も綺麗だし、色使いも丁寧で、空が綺麗に強調されてるし――やっぱり空っていいよね。遠くて、届かなくて、でも綺麗で。僕は、そんな遠い空にいつか絶対、手が届くようになりたい」
どこか感慨深く言う彼の瞳には、しかし強い意志が宿っていた。
しばらくその言葉を咀嚼してから、カノンは自分の絵を長いこと見られていることに気がついた。
「あっ、返してください!」
「うわっ!」
「全く、あんまりじっくり見ないでください……恥ずかしいので」
若干頬を赤らめながら、彼女はボソリと呟いた。
「あ、うん……」
垣間見えた彼女のその表情に、逆に彼自身も若干赤面してしまう。
「だけど、空がキレイだって言ってくれたことは嬉しかったです。私も空、好きなんです。でも私は――最初から、空なんて届かないと分かり切っていた方が嬉しかったかもしれません」
激しく動かしたせいで若干崩れた手元の絵を眺めながら、彼女は目を伏せ、悲しげに笑った。
最初から翼もなくて、届かないと分かっていたのなら、期待されなかったのなら、諦められた。だけど、この背に翼があるから、諦めきることができなかった。
それが、逆に辛かった。
しかし、彼女はハッとしてそれを完成絵入れにしまった。
自分のことなんかそう話すものじゃない、それに明確に『届かない』と言ってしまった。
怪しまれるかもしれないし誤魔化さないと。
「ともかく! 勝手に見ないでください。若干崩れちゃいましたし。こんなこと続けるなら絶対教えてあげませんよ?」
「そ、そう――あっ、じゃあつまり、やめたら教えてくれるってこと?」
スイルも現実に引き戻されたように返事をするが、すぐにいたずらっぽい顔を浮かべてそう訊いた。
「いや、そういう意味で言ったわけじゃ――」
「でも、言ったは言ったじゃん?」
「それはまあ、そうですけど――ああもう! 分かりましたよ! やればいいんでしょう⁉」
カノンは目を泳がせた後に立ち上がり、開き直って叫んだ。
「本当にやってくれるんだ……」
「あなたが頼み込んだんでしょう……」
目を丸くするスイルに、カノンは呆れたように額に手を当てた。
「あ、それじゃあ名前分からないと不便だよね。僕はスイル=ラークルって言って、アルタスト学校中等部所属なんだ。よろしくね。君は?」
それを聞いて、彼女は背筋が凍った。
そこは、彼女も通っている場所だったからだ。
考えてみれば、どこか見覚えがあるような気もする。
だが、彼女のことを知らないのであれば都合がいい。このまま隠し通そうとカノンは考えた。
「あ、ああうん。私の名前はカノン=レイフィムです。よろしくお願いします」
カノンは自己紹介と共に会釈をした。
「カノン? えーっと待って、なんだったけかな……」
そんな彼の様子に、カノンは内心焦っていて、何を言えばいいか分からなかった。
もし飛べないことが、学校に行ってないことがバレたらどうしよう、そういった不安で埋め尽くされていた。
しかし、願いも届かず、彼はすぐにそのことに思い当たったようだった。
「ああそうだ! もしかして同じ学年じゃない? 忘れてたけど、そういえばセレストの人が居たなぁ。意外と世界って狭いものだね」
だが、予想とは異なり、彼は特に変わった様子もなく面白そうに笑っていた。
まるで気にした様子のない彼の様子に、カノンはなんだが自分が不安に思っていたのがバカみたいに感じてきた。
「えっとまあ……そうですね」
そういえば、と彼女も記憶を探ってみると、同じ学年に彼――スイルが居た気がする。
しかし、スイルも彼女のことを忘れていた、というのは珍しい。
カノンは、セレストであることも相まって目立っているはずなのだが。
だが、カノンが一番驚いたのは、彼がカノンの素性を知っても特に反応がないということだった。
恐らく飛べないことは有名だし知っていると思うのだが、不思議だ。
「あっ、ごめん。僕、親が心配しちゃうからそろそろ帰らなきゃ。それじゃ!」
スイルはまるで太陽のような笑顔を浮かべながらこちらに手を振って走り去った。
困惑しながらもその後ろ姿にひらひらと手を振る。
素性を知っても態度を変えないなんて珍しいなぁなんて他人事のように思いながら。
ふと見上げると、遠くに見える時計塔はもう六時を指していた。
(そういえば、もう下校時間だったんだ)
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