第15話 水樹の真実

 私は、その場にぺたりと座り込んだ。

 水樹の背中はどんどん小さくなって、やがてドアの向こうへと消えていった。

 みずき……水樹。


「ごめ、ごめんな、さい」


 私は床につっぷす。

 泣いちゃだめだ。私は、泣いたらだめだ。


『姉弟にだって、分からないこともあるよ』


 ……“分からないこと”、じゃない。

 私は今、水樹のこと、何もわからない。

 何を考えているかも、気持ちも、どうしてあんなことを言ったのかも。


 悲しい。でもそれは、強い言葉を言われたからじゃない。

 ……もっと距離が離れて、関係にヒビが入ってしまったからだ。





 ――――私と水樹は一個違いの姉弟。

 だから、水樹が生まれたときのことなんてとうぜん覚えてなくて、気づいたら一緒に住んでいた。


 姉弟だけど、共通点は少ない。

 例えば、私が夏生まれなら、水樹は秋生まれ。

 水樹は運動が得意だけど、私は得意じゃない。


 だけど、似てないところばっかりじゃないんだ。


 私の千海って名前の由来は、潮が引いたり満ちたりする海と浮き沈みする心、ということで海=心とし、千=たくさんという意味で、つまりたくさんの心に寄り添える子になりますようにという意味。


 水樹の名前の由来は、水の中から生える木って日本では珍しくて沖縄でしか見られないから、水樹もたった一人の貴重な存在であり、そして何事にも大樹のようにどっしり構えるっていう意味。


 意味は全然違うけど、私はすごく好きなんだ。

 自分の名前と水樹の名前が、似てることが。


 異性の兄弟だし趣味も全然違うから、軽口を叩きあうことはあっても、大きなけんかをすることってことはほとんどなかった、のに。


「……私、どうしたら……」


 姉として、弟を心配してるつもりだった。

 だけどそれは、水樹にとっては迷惑だったのかもしれない。




 次の日。

 水樹は先に行ってしまったので、私は一人で家を出た。

 美沙ちゃんは陸上部の朝練で忙しいみたいで、最近は一緒に登校していない。

 こんな日に限って、外はしとしとと静かな雨が降っている。

 4月の下旬。まだ、梅雨の時期にしては早い。

 朝だというのに空は真っ黒で。

“希望に満ち溢れた世界で、昨日とは違う今日を精一杯生きよう”だなんて、思えないや。


「……ふう」


 私は誰にも気づかれないくらいの小さなため息をついてから、学校へと向かった。





 放課後。

 帰りのホームルームを終えて教室に人がほとんどいなくなったころ、私はカバンを肩にかけた。

 部室……行かないと。

 北橋くんのことだってなんとかしなきゃならないし。

 教室を出て、部室を目指す。


 4階の一番端。

 部室の電気がついている。もう、誰か来ているのかな。

 もうすっかり慣れた調子で、私はドアノブをひねった。

 そして、扉を開ける。

 ……中には、誰かいる。

 それが部員だとは、かぎらない。


 開けた瞬間目の前に現れたのは、ほぼ同じ目線にある瞳。


「……よ」


 手を上げて、軽い挨拶をしてきた。

 ……えーと、こんな人……いたっけ……って。


「わっ!!」


 やっと理解した私は、びっくりして一歩後ずさった。

 そこにいたのは、まぎれもなく制服姿の蓮くん。

 な、なんで、こんなところに!

 いや前も来てたけど!


 蓮くんは変わらない調子で腰に手を当て、呆れた様子だ。


「そんなに驚かなくてもいいでしょ」

「いや、驚くよ。他校の生徒がいるんだから……」


 朝からの憂鬱な気持ちが、一瞬で吹き飛んじゃったよ。


「今日は、話があってきたんだ」

「話? 花恋先輩に?」


 蓮くんは、違うというように首を振る。


「あんた。水樹の姉に、話があるんだ」

「え、私?」


 予想外だ。確認するように自分を指差す。

 だけどそんなのはフル無視で、蓮くんは私に向かって手招きをした。


「入れ。……水樹について、分かったことがあるんだ」

「え……」


 私はとりあえず部室に入り、蓮くんと向かい合わせに座る。

 そして、蓮くんはためらうことなく口を開いた。


「昨日、クラブに行ってきたんだ」


 きのう……私は思い出す。

 昨日、水樹は今までないほどひどい怪我をして帰ってきていた。

 やっぱり、クラブが関係している……?

 私は真剣に耳を傾けた。


「……特に何も問題はなかった。でもそれは、

「注目して見ていなかった場合……?」


 蓮くんの意味深な言葉に、私は疑問を持つ。

 蓮くんはうなづいた。


「昨日練習試合の第二試合目、俺はベンチだったんだ。それで、お前のことを思い出して、なんとなく水樹に注目しながら試合を見ていて……気が付いたんだ」


 気が付いたこと、って。

 嫌な予感がして、額に冷や汗が流れる。


「水樹と同じポジションの新妻砂来にいづまさらっていうのがいるんだけど。なんとなく、砂来さらと水樹との間にボールの迷いが見える、というか。二人の間にはチームとしての空気が流れていない気がする」


 蓮くんは言葉を続ける。


「つまり、水樹は砂来と何かあった可能性が高い。たぶんだけど」


 ―――私は考える。

 その、蓮くんの言う砂来さんと何があったかわからない。

 そしてそれが、水樹のけがにどう関係、つながりがあるのかってこともまだわからない。

 分からないから、憶測で決めつけたりなんかしたくない。

 私は、真実を確かめたい。

 キッと前を見つめる。


「蓮くん。私、水樹のところへ行く」


 水樹の力になりたい。

 ―――私の大切な、たった一人の弟だから。


「ああ、わかった」


 蓮くんは力強くうなづいてくれた。


「ありがとう」


 私はお礼を言って立ち上がり、カバンを持った。

 4月の夕空は、赤く染まりつつある。

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